第17話
「マスター。外部からの搬入部隊が、指定のポイントに到着しました」
静寂を破ったのは、ふわりと宙に浮くシズクの淡々とした声だった。
俺は手にしていた鉄剣をゆっくりと壁に立てかけ直す。常人なら持ち上げることも困難な重量だが、十年の付き合いになる俺にとっては、手足の延長のように馴染んでいる。
「わかった。セリアに案内を頼んでくれ」
国が最強の武力を投入してくる。その事実は確かに重い。だが、だからといって今日の予定を放り出す理由にはならなかった。
俺たちが今優先すべきは、この迷宮をより快適なマイホームへと改築することだ。
数十分後、居住区画の入り口に、黒装束のセリアが数人の部下を引き連れて現れた。彼らの背後には、木箱や布に包まれた大量の荷物が積まれている。
「依頼されていた品です。上質な寝具に、調理器具、それから指定された木材と布地。すべて揃えました」
「助かる。これでようやく、みんながゆっくり休める部屋が作れる」
俺が荷物を確認して頷くと、セリアは少しだけ呆れたような息を吐いた。
「……国が勇者パーティを動かしたというのに、随分と余裕ですね。彼らはこれまでの討伐軍とは次元が違いますよ」
「焦っても仕方ないさ。それに、ここを居心地良くすることが、俺たちにとって一番の防衛準備なんだ」
俺は莫大なポイントを消費し、居住区画の拡張を指示する。
何もない岩壁が音を立てて後退し、広々とした空間が生まれた。そこにセリアたちが運んできた家具を配置していく。
魔物たちも手伝いに加わり、真新しい絨毯を敷いたり、木箱を運んだりしている。その光景は、これから激しい戦いが起きるとは思えないほど穏やかだった。
「あなたは本当に、不思議な人ですね」
セリアは手際よく作業を進める魔物たちを見つめながら、ぽつりと呟いた。
効率や利益だけを追い求める外の世界では、こんな光景は絶対に見られないだろう。だが、俺にとってはこれが日常であり、絶対に守り抜きたい場所だった。
◆ーーーー◆
作業が一段落した頃、再び通信機が短い電子音を鳴らした。
画面に表示されたのは、赤いフレームの眼鏡をかけた見慣れた顔だ。
『レオン、聞こえますか?』
「ああ、エリーゼ。さっきはありがとう。何か追加の情報か?」
彼女の表情は、先ほどよりもさらに硬かった。
『はい。勇者パーティのリーダー、アルトについての詳細が分かりました。彼は……とても厄介な相手かもしれません』
「強いのは分かっているさ。伝説級の武具を持ってるんだろ?」
『それだけではありません。彼は、国のプロパガンダを純粋に信じ込んでいるんです』
エリーゼの言葉に、俺は眉をひそめた。
『アルトは、この迷宮を「人々を脅かす邪悪な根源」だと本気で思い込んでいます。利益や名誉のためではなく、正義のために討伐に向かっているんです。だからこそ、交渉や脅しは一切通用しないでしょう』
厄介だな、と俺は内心でため息をついた。
欲に駆られた連中なら、痛い目を見せれば逃げていく。だが、自分の行動を絶対的な正義だと信じている人間は、心が折れるまで止まらない。
「……厄介な相手だ。だが、やることは変わらない」
『どうか、ご無事で。私にできることがあれば、いつでも言ってください』
通信が切れ、静寂が戻る。
正義の味方、か。俺からすれば、平穏な日常を壊しに来る侵略者でしかないのだが。
「マスター。迎撃の準備を始めますか?」
シズクが静かに問いかけてくる。彼女の瞳には、迷宮に害をなす者への冷酷な光が宿っていた。
「ああ。だが、まずは浅い階層に警告用の仕掛けを頼む」
「警告、ですか?」
「いきなり命を奪うような真似はしたくない。彼らが引き返してくれるなら、それに越したことはないからな」
俺の指示に、シズクはわずかに首を傾げたが、すぐに深く頷いた。
「あなたの意思のままに」
俺はポイントを操作し、第一階層の構造を書き換えていく。
致死性の罠は外し、代わりに足止めや方向感覚を狂わせるギミックを重点的に配置する。壁面を覆う緑の植物群——迷宮の索敵を担う特殊な魔法生物たちにも、侵入者の動きを遅らせるよう命令を下した。
「ドーラたちにも伝えてくれ。相手が奥まで進んでこない限り、直接の戦闘は避けるように、と」
無駄な争いは避ける。それが俺のやり方だ。
だが、もし彼らが警告を無視し、俺たちの居場所を本気で壊そうとするなら。その時は、容赦なく払い落とす。
◆ーーーー◆
数時間後。
迷宮の入り口付近を監視していた植物群から、強い反応が伝わってきた。
空間モニターを起動すると、そこに映し出されたのは、眩いばかりの光を放つ白銀の鎧に身を包んだ青年だった。
背には身の丈ほどもある大剣を背負い、その瞳には揺るぎない決意が宿っている。彼が勇者アルトだろう。
背後には、それぞれに強力な魔力を纏った数人の仲間が控えていた。
アルトは迷宮の入り口に立つと、大きく息を吸い込み、よく通る声で叫んだ。
「邪悪なる迷宮の主よ! 我ら王国が誇る勇者パーティが、貴様を討ち果たしに来た! 罪なき人々を脅かすその野望、ここで打ち砕いてみせる!」
その声は、迷宮の奥深くにいる俺の耳にもはっきりと届いた。
堂々たる宣戦布告。彼の中では、俺は完全に世界を滅ぼす魔王のような扱いらしい。
「……野望なんて、ゆっくり昼寝することくらいしかないんだがな」
俺は苦笑しながら、モニター越しの勇者を見つめた。
熱血漢の彼に対し、俺が用意した警告用の仕掛けは果たして通用するのか。
静かな日常を守るための最大の試練が、今、幕を開けようとしていた。




