第14話
俺は隠し通路を歩きながら、目前に展開した半透明の操作パネルに指を滑らせていた。
迷宮の防衛機構が本格的に稼働し、侵入者たちが分断されていくのを横目に、俺は全く別の作業に没頭している。
「居住区画の空調は……よし、これで適温だ。あとは浴場の湯量調整と、リビングの照明をもう少し暖色系に落として……観葉植物の配置も変えておくか」
俺は鼻歌交じりにパネルを操作し、次々と設定を確定させていく。
長年通い詰めたこの場所を、自分と仲間たちが快適に暮らせる最高の空間へと改築する。莫大なポイントを消費して壁紙を張り替え、ふかふかの絨毯を敷き詰める作業は、何度やっても飽きることがない。
外部からの侵入を阻むための物理的な障壁やトラップの設置は、すでにシズクのサポートを得て完了している。
俺が望むのは、誰にも脅かされない平穏な日常だ。その基盤となるマイホーム作りを、強欲な連中の都合で邪魔される筋合いはない。
パネルの表示を切り替えると、迷宮内の各所で起きている戦闘の様子が映し出された。
シズクが放った幻覚胞子と粘着床のコンボにより、クランの構成員たちは終わりのない通路を彷徨い、完全に足止めを食らっている。
そこへ、赤い鱗を持つドラゴニュートの女性——防衛隊長のドーラが乱入した。
「オラオラァ! アンタら、もっと気合入れな!」
身の丈ほどある大剣が横薙ぎに振るわれる。刃ではなく峰を使った一撃だが、その風圧だけで重装備の戦士たちが次々と宙を舞い、石壁に叩きつけられていく。
「ひぃぃっ! な、なんだこの化け物は!」
「魔法を撃て! 集中砲火だ!」
後衛の魔術師たちが炎や氷の魔法を放つが、ドーラは避ける素振りすら見せない。
魔法が直撃し、爆煙が晴れた後には、傷一つない赤い鱗を輝かせた彼女が立っていた。
「アハハハッ! 涼しい風だねぇ! アタシの鱗はちょっとやそっとじゃ抜けないよ!」
ドーラは豪快に笑いながら、地面を蹴って敵陣のど真ん中へ跳躍する。
「マスターがせっかく用意してくれた遊び場だ! 存分に楽しませてもらうよ!」
純粋に戦いを楽しむ彼女の姿は、まさに無双だった。
利益と効率だけを求めて踏み込んできた彼らと、この場所を守るために進化した魔物たち。両者の間には、覆しようのない基礎能力の差が存在していた。
◆ーーーー◆
視点を別の区画へ移す。
そこには、石壁によって本隊から完全に切り離され孤立したギルバートと数名の側近の姿があった。そして彼らの背後には、分断された壁の崩落箇所を単身でよじ登り、息を切らしながらどうにか主将の元へ合流を果たした副官のセリアが追いついていた。
彼らは俺が意図的に開けた通路の前に立ち止まっている。
「リーダー、お待ちください!」
セリアの鋭い声が響いた。彼女の黒装束には僅かに埃がついているが、その瞳は冷静さを失っていない。
「これ以上の進軍は無謀です。部隊は分断され、各所で未知の魔物による襲撃を受けています。一度撤退し、情報を整理するべきです」
至極真っ当な意見だ。彼女は部下たちの命を第一に考え、無謀な方針にはっきりと苦言を呈している。
だが、ギルバートは聞く耳を持たなかった。
「うるさい! 撤退だと? この俺に尻尾を巻いて逃げろと言うのか!」
金色の鎧をガチャガチャと鳴らし、彼は血走った目で怒鳴り散らす。
「この迷宮には莫大な富が眠っているはずだ。それを独占するチャンスを目の前にして、引き返せるわけがないだろうが!」
「しかし、この先にはどんな罠が待ち受けているか分かりません。彼らを囮にして進むなど……」
「知ったことか! 俺の栄光のための駒になれることを光栄に思え!」
ギルバートはセリアを乱暴に突き飛ばした。
彼女は壁に背を打ち付けながらも、残された部下たちを庇うように立ち上がる。
板挟みになりながらも、彼女は自分の信念を曲げなかった。
「てめえらはそこで震えていろ! 俺一人で十分だ!」
ギルバートは俺が用意した通路へと、単独で足を踏み入れた。
セリアは義理堅い性格のようだ。無能な上司に見切りをつけられないのは不憫だが、無駄な殺生はしたくない俺としては、彼女がここで立ち止まってくれたのは好都合だった。
◆ーーーー◆
俺はパネルを閉じ、居住区画の最深部——エントランスホールへと足を踏み入れた。
柔らかな暖色系の光が空間を照らし、新調したばかりの絨毯が足音を吸収する。
「お疲れ様です、マスター」
メイド服に身を包んだリムが小走りで駆け寄り、淹れたての紅茶をテーブルに置いてくれた。
「ありがとう、リム。いい香りだ」
ソファに腰を下ろし、ティーカップを手に取る。
温かい液体が胃の奥に落ちていくのを感じながら、俺はカイから伝えられたもう一つの情報を反芻していた。
『国が、最強の勇者パーティを動かす準備をしているらしい』
度重なる討伐隊の失敗と、中堅クランの壊滅。
この異常事態を重く見た国家上層部が、ついに本腰を入れてこの迷宮を制圧しにくるというのだ。
勇者パーティといえば、一騎当千の化け物揃いである。彼らが本気で攻めてくれば、いくらトラップを強化しても無傷では済まないかもしれない。
静かな日常を守りたい俺と、迷宮の力を奪おうとする国家権力。
最大の対立が避けられない事態が、すぐそこまで迫っている。
「面倒なことになったな……」
呟きとともに、紅茶を一口飲む。
自分が大切に育てた迷宮や仲間たちが、強大な権力や暴力によって無惨に破壊されること。それだけは、絶対に阻止しなければならない。
その時、エントランスホールの重厚な扉の向こうから、荒々しい足音が聞こえてきた。
ギルバートだ。
道中に仕掛けた軽い罠——落とし穴やスライムの粘液シャワー——を、彼は持ち前の腕力と強引さで突破してきたらしい。
息を乱し、金色の鎧を泥と粘液で汚しながらも、その足取りには迷いがなかった。
バンッ! と乱暴な音を立てて、扉が蹴り破られる。
「ハァ、ハァ……見つけたぞ」
ギルバートは肩で息をしながら、広間の中央に座る俺を睨みつけた。
そして、周囲の光景を見て目を丸くする。
「なんだこの部屋は……迷宮の最下層に、こんなふざけた空間があるだと?」
彼の視線が、シャンデリアや高級な家具、そして俺の使い込まれた革鎧と腰に下げた安物の鉄剣を値踏みするように舐め回す。
驚きはすぐに、底知れぬ強欲へと変わった。
「素晴らしい。これも全て俺のものだ! 貴様がこの迷宮の主か。随分と貧相な身なりだな」
俺はティーカップをソーサーに置き、ゆっくりと立ち上がった。
「ノックの仕方も知らないのか。ここは俺の家だぞ」
「ふん、強がりを。その首を刎ねて、全てを奪ってやる!」
ギルバートが剣を抜き放ち、殺気を膨れ上がらせる。
俺は腰の鉄剣の柄に手を添え、静かに彼を見据えた。
十年間の探索で馴染んだ、ただの鉄剣。
だが、今の俺にはこれで十分すぎる。
他人の愛着や努力を頭ごなしに否定し、土足で踏み込んでくる傲慢な侵入者。
彼に対し、迷宮の主としての圧倒的な力を見せつける時が来た。




