第八話 灯
倉庫の外を横切っていた白い光は、しばらく周囲を旋回したあと、ゆっくり遠ざかっていった。
俺は息を止めたまま窓を見つめる。
やがて完全に光が消えると、ようやく肩の力が抜けた。
「……行った?」
「ああ」
榊は落ち着いた様子で答えた。
俺は思わず振り返る。
「なんでだよ。さっき完全に見つかった感じだったろ」
榊は少し黙ると、倉庫の奥へ歩いていく。
積み上がった段ボールをどかし、古い鉄扉を開いた。
その向こうには、小さな機械室みたいな空間があった。
むき出しの配線。
点滅するランプ。
古い基板。
見たこともない装置。
低い駆動音が響いている。
「……なんだこれ」
「遮断機だ」
榊は無機質に答える。
「正式名称は知らん。私は勝手に断波器と呼んでいる」
金属箱の表面には、古びた部品が雑に取り付けられていた。
よく見ると、
昔のルーターみたいな機械や、
ガラケーの基板らしきものまで混ざっている。
「再構築後の機器は全部ネットワーク管理下だ。だから旧時代の部品しか使えない」
榊は装置へ触れながら続ける。
「ここ周辺だけ、国民スマホの同期信号を乱している。ドローンは異常を検知できても、位置を確定できない」
「じゃあ、このビルは……」
「ノイズ空間だ」
榊は淡々と言った。
「長時間いれば政府にも察知される。だから定期的に拠点を変える必要がある」
俺は装置を見つめた。
妙に熱を持っている。
焦げた匂いまでした。
「こんなの、お前が作ったのか?」
「半分は私。半分は他の保持者だ」
「他にもいるのか」
榊は俺を見る。
「当然だ。君だけではない」
その言葉に、少しだけ安心した。
榊は機械室の灯りを消すと、「来い」と短く言った。
倉庫を出て、薄暗い階段を上る。
雑居ビルの中は静まり返っていた。
壁紙は剥がれ、
非常灯だけがぼんやり光っている。
二階へ着いた時だった。
扉の隙間から、突然男が顔を出した。
「お、帰ってたのか、ナンバー2」
三十代くらい。
髪はぼさぼさ。
ジャージ姿。
片手にカップ麺を持っている。
目だけ妙にギラついていた。
男は俺を見るなり眉を上げる。
「誰?」
「藤崎だ」
榊が簡潔に言う。
「保持者」
男は数秒黙ったあと、吹き出した。
「うわ、マジか。普通のリーマンに見えるけどな」
「騒ぐな、安田」
「へいへい」
安田と呼ばれた男は、にやにや笑いながら部屋へ戻っていった。
扉の中をちらりと見る。
部屋中に、
紙の新聞が貼られていた。
しかも全部、手書きの漢字。
異様だった。
俺が呆然としていると、榊が言う。
「元新聞記者だ」
「……ああ」
「再構築前夜、締切明けで編集部に泊まり込んでいた。スマホをロッカーへ置いたままだったらしい」
さらに階段を上がる。
三階。
開いた扉の中で、女が黙々と絵を描いていた。
床一面、色鉛筆とスケッチブックだらけ。
こちらを見る。
妙に幼い目をしていた。
「……その人、ふつう?」
「比較的な」
榊が答える。
女はじっと俺を見つめる。
「漢字、読める?」
「読めるけど」
すると女は少し嬉しそうに笑った。
「よかった。ここ、みんな少し変だから」
「おい」
榊が呆れた声を出す。
女は気にせず絵へ戻った。
スケッチブックには、
巨大な壁の絵が描かれていた。
真っ黒なクレヨンで塗り潰されている。
「彼女は小宮」
榊が小さく言う。
「売れない画家だった。再構築前夜、美術館の地下倉庫で寝ていた」
「……変わってんな」
「保持者は大抵どこかズレている」
榊は真顔で言った。
「社会から少し外れていた人間ほど、同期から漏れやすい」
妙に納得してしまった。
四階へ上がる。
そこには初老の男がいた。
和服姿。
将棋盤を前に、一人で座っている。
男は顔も上げず言った。
「榊さん。その子は敵かね」
「違う」
「そうか」
男はそれ以上聞かなかった。
駒を動かす音だけが響く。
「元大学教授だ」
榊が言う。
「再構築前夜、山奥で将棋合宿をしていた」
「なんだよその偶然……」
「だから政府も完全制御はできなかった」
榊は階段を上がりながら続ける。
「世界には必ず“外れる人間”がいる」
俺は黙ってついていく。
このビルには、
社会から少しはみ出したような人間ばかりいた。
なのに。
どこか妙に落ち着く。
榊は五階の扉を開けた。
そこは簡素な会議室みたいな空間だった。
古い長机。
ホワイトボード。
大量の地図。
壁には漢字で、
『壁構造予測』
『区域移動経路』
『中央管理室』
などの文字が並んでいる。
この世界で初めて見る、
“まともな日本語”。
榊は窓際へ立つ。
遠くの巨大な壁を見ながら、静かに言った。
「ここにいる者たちは、いずれ政府に抗う側になる」
その声は、
まるで最初から決まっている未来を語るみたいだった




