表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/45

第五話 No.2

もう一度目を覚ました時、部屋は暗くなっていた。


窓の外から、虫の鳴き声が聞こえる。


しばらく、自分がどこにいるのか分からなかった。


古い天井。


狭い部屋。


薄いカーテン。


そこでようやく思い出す。


ああ。


変な世界だ。


身体を起こす。


女はいない。


机の上には、ラップをかけた皿が置いてあった。


『たべてください』


ひらがなで書かれた小さなメモ。


少し歪んだ文字。


主人公はそれを見つめ、小さく息を吐いた。


腹は減っていたが、部屋にいると余計に頭がおかしくなりそうだった。


上着を羽織り、外へ出る。


夜の空気はぬるかった。


街には明かりが灯っている。


古い商店街。


提灯。


自転車。


居酒屋。


どこまでも東京の下町みたいな風景。


なのに。


異様だった。


『らあめん』


『おさかな』


『ろうどうあんない』


『だいさんく ちゅうおうどうろ』


全部ひらがな。


標識も。


広告も。


自販機も。


漢字が一文字もない。


頭がおかしくなりそうだった。


歩いている人々も、昼間と同じだった。


穏やかで。


笑っていて。


少し幼い。


「こんばんわ、です」


「おつかれ、ですねえ」


誰もスマホを睨んでいない。


誰も怒鳴っていない。


誰も急いでいない。


平和だった。


平和すぎて、不気味だった。


俺はは俯きながら歩いた


すると、不意に靴先へ何かが当たった。


紙切れだった。


くしゃくしゃに丸められている。


何気なく拾う。


その瞬間、呼吸が止まった。


『読者次角右曲』


漢字。


漢字だった。


この世界で初めて見る。


乱暴な筆跡。


まるで急いで書いたみたいに歪んでいる。


「……なんだ、これ」


読者?


次角?


意味不明だ。


だが。


“普通の日本語”に近い何か。


それだけで心臓が速くなる。


周囲を見回した。


誰も気にしていない。


紙を捨て、歩き出そうとした時。


ふと視界の先。


電柱の根元に、また紙が落ちている。


吸い寄せられるように近付く。


『読者次角左曲』


まるで案内だ。


試されるような感覚。


少し迷う。


だが、この世界で初めて見た“漢字”だった。


無視できなかった。


紙の指示通り、次の角を左へ曲がる。


さらに先。


また紙。


『直進』


『地下道右』


『静歩』


まるで宝探しみたいだった。


だが道を進むにつれ、人通りが減っていく。


街灯も少ない。


壁が近くなる。


巨大な灰色の壁。


夜の闇の中で、それはまるで崖みたいに聳えていた。


圧迫感で息が詰まりそうになる。


最後の紙は、公園の入口に落ちていた。


『厠中』


厠。


トイレ。


そこは古い小さな公園だった。


遊具もない。


薄暗い。


誰もいない。


奥に、多目的トイレだけがぽつんと建っている。


嫌な予感がした。


だがここまで来て引き返せなかった。


恐る恐る扉を開ける。


薄い消毒液の匂い。


暗い室内。


その瞬間。


「静かに」


低い声。


反射的に振り向いた。


男がいた。


個室の陰。


黒いコート姿。


四十代後半くらい。


疲れた目をした男だった。


だが、その目だけが異様に鋭い。


男は真っ直ぐ見つめてきている。


そして静かに言った。


「その漢字が読めるなら――君は“前”の人間だな」


背筋が凍った。


男はゆっくり白い端末を取り出す。


国民スマホ。


だが。


刻まれた番号は、一桁だった。


『2』



男は少しだけ苦笑する。


「安心しろ。私は正常だ。もう、政府側じゃない」


その言葉の直後。


遠くでサイレンのような音が鳴った。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ