第三十一話 悪意
それから数か月。
藤崎は回収班長として働いていた。
特別な理由はない。他にやることがなかった。
高木に言われるまま。
回収班を率いて街を巡回する。
再調整対象者を探し捕らえる。
同期施設へ送る。
ただそれだけ。毎日同じことの繰り返しだった。
だが。一つだけ。
かつて榊達との交流があった雑居ビル、そしてあいのアパート
そこには近づかなかった。
怖かったのだ。もし会ってしまったら。
何を言えばいいのか。
どんな顔をすればいいのか。分からなかった。
だから避けた。
そして、回収班として活動する中で。
藤崎は時々、わざと失敗した。
路地裏で見つけた対象者。
本来なら捕まえられる距離。
だが。
「見失った」
そう報告する。
監視カメラの死角を教える。巡回ルートを少しずらす。
些細なことだった。本当に些細な抵抗。
誰にも気付かれないと思っていた。
ある日。
代表者室へ呼び出された。
十七管理街区中央管理代表者室。
高木は机に座っていた。
珍しく笑っていない。藤崎は嫌な予感がした。
部屋にはもう一人、男がいた。
両手を拘束されている。
しかし、その顔には恐怖がない。
むしろ、不気味なほど楽しそうに笑っていた。
「座れ」
高木が言う。
藤崎は黙って椅子へ腰を下ろした。
「気付いてないとでもおもったか?」
高木が切り出す。
「何がだ」
「お前、逃がしてるだろ」
図星だった。
高木は続ける。
「今回で五人目だ。いや六人目か?」
藤崎は答えない。
高木は目の前の男を指差した。
「こいつ覚えてるか」
藤崎は見た。見覚えがある。
数週間前、路地裏で遭遇した男。
取り逃がした。いや。
逃がした男だ。
「昨日」
高木は静かに言った。
「十七街区で大量殺人をした」
藤崎の眉が動く。
高木は机の上へ資料を投げた。
写真。血まみれの現場。
被害者。十数人。子供も老人もいる。
藤崎は無言だった。
高木が続ける。
「同期前の記録を調べた」
「こいつ、逃亡中の快楽殺人鬼だ」
拘束された男が笑う。
「いやぁ、久しぶりだったんでな」
「楽しかったよ」
藤崎は拳を握る。
男は笑い続ける。
「この世界ってさ、皆大人しいじゃん。だから簡単なんだよ」
高木が男の腹を蹴る。椅子ごと吹き飛ぶ。
だが。男は笑っていた。
高木は藤崎を見た。
「分かるか、保持者として覚醒すれば全部戻る。記憶だけじゃない、人格も欲望も狂気も」
部屋が静まり返る。
高木は続けた。
「むしろ酷くなる。本能が抑え込まれてた分な」
翌週は性犯罪者。
その翌週は強盗犯。
さらに翌週は詐欺師。
覚醒した保持者たちは。必ずしも善人ではなかった。
藤崎が見逃した人間。藤崎が助けたつもりだった人間。
その中には。罪のない人々を傷付ける者もいた。
報告書が積み上がる。被害者が増える。
泣く人が増える。藤崎は眠れなくなった。
ある夜。
高木が言った。
「まだやんのか?」
藤崎は答えられなかった。
高木は怒らなかった。責めなかった。
ただ、現実だけを見せた。
藤崎の心は少しずつ削れていった。
善意。理想。希望。
そんなものが。目の前で踏み躙られていく。
何度も何度も何度も。
そしてある日。藤崎はふと思った。
もし、こんな思いをするくらいなら。
もし、傷つく人がいるのなら
記憶など、戻らない方がいいのではないか。
前の世界など、存在しない方がいいのではないか。
そして、今の世界こそ正しい形ではないのか
そんな考えで、頭が支配されていった。




