第三十話 記憶管理室
その部屋には無数のラックが並んでいた。
天井まで届く金属棚。
まるで巨大な図書館だった。
違うのは。
そこに収められているのは本ではなく。
おびただしい量のスマートフォン
そして、その全てが中央のモニターに繋がっているようだ。
藤崎は思わず足を止める。その瞬間。
視界が揺れた。
「っ……」
膝が崩れそうになる。一週間以上続く空腹。
立ちくらみだった。
だが。倒れる前に肩を支えられる。
「おっと」
高木だった。
「無理するなよ」
「お前、気づいてやがったな。」
藤崎は手を振り払う。
高木は苦笑した。
「明日にでも連れてくるつもりだったんだけどな」
「好奇心旺盛なのは昔からか」
藤崎は答えない。
ただ。周囲を見渡した。
「ここは何だ」
高木は両手を広げる。
「記憶管理室」
「十七管理街区に住む全住民の記憶が保管されてる。もちろん、『同期前の』だ」
藤崎は眉をひそめる。
「記憶?」
高木は頷く。
棚の一角を指差した。
そこには数え切れないほどのスマートフォンが並んでいる。
どれも使い込まれている。傷だらけのものもある。
画面が割れているものもある。
「国民スマホが支給される前に使っていた端末だ」
藤崎は理解できなかった。
高木は続ける。
「あの夜、人類全体の記憶を保存する必要があった」
サーバーの駆動音が響く。
「何かと便利なんだよ。あるとな。
だが人間の記憶容量は膨大だ」
「中央サーバーだけじゃ足りない。だから」
高木はスマホを一台持ち上げる。
「個人の記憶を個人の端末へ移した。応急処置だ。」
「脳から抜き取ってな」
藤崎は黙る。
高木はまるで当たり前の話をするようだった。
「正確には大脳皮質に保存された長期記憶をデータ化した」
藤崎は棚を見た。ここに何万人分もの人生が眠っている。
そう考えるだけで気味が悪かった。
高木は少し考えた後。
「あ」
何か思い出したように言う。
「そういや最近面白いもの見つけた。これを見せたかったんだなー。」
藤崎は嫌な予感がした。
高木は端末を操作する。
検索画面。
しばらくして。
一つのデータが表示された。
『田沢あい』
藤崎の心臓が止まりそうになった。
高木は笑う。
「見つけたんだよ、前時代の記録」
モニターを指差す。
「出力できる。見るか?」
拒否する理由も。無いが、妙に寒気がする。
高木は再生ボタンを押した。
映像が流れる。
明るい家だった。
笑顔の少女。幼いあい。
今よりずっと幼い。十歳にも満たないだろうか。
隣には父親がいた。優しそうな男だ。
大学教授らしい。人工知能の研究者だったようだ。
時折研究室に連れてこられるあいは、まるでアイドルのように楽しそうに踊っていた。父親も、他の学生達も笑顔だった。
幸せそうだった。
藤崎は少し安心した。
だが。その映像は長く続かなかった。
病室。葬儀。泣いている少女。
父親は病気で亡くなったようだ。
そこから全てが変わった。
母親の疲れ切った顔。
酒。怒鳴り声。暴力。
年月を追うごとに酷くなる。
そして、田沢という男と再婚した。
肥満体型。成金のような格好。
笑い方が気持ち悪い男だ。
映像を見るだけで嫌悪感を覚える。
田沢はあいを殴った。蹴った。怒鳴った。
そして。映像は断片的になる。
だが、それだけで十分だった。
藤崎は理解してしまう。理解したくなかったことまで。
画面が暗転する。同期の日。
そこで記録は終わった。
静寂。
サーバー音だけが聞こえる。
藤崎は絶句した。胃がひっくり返る。
視界が揺れる。
そして、近くのゴミ箱へ駆け寄った。
「っ……!」
嘔吐する。何も入っていない胃から。
胃液だけが吐き出された。
高木は黙って見ていた。
藤崎は思い出していた。
初めて会った時。あいの腕にあった痣。首筋の傷。
全てを理解した。
長い沈黙の後、高木が口を開く。
「どうだ」
藤崎は顔を上げる。
高木はモニターを見ていた。
「これでも、元の世界を望むか?」
その問いに。藤崎はすぐには答えられなかった。




