第十四話 さいちょうせい
その通知が来たのは、
雨の日だった。
外は静かに降っていた。
窓ガラスを水滴が流れている。
俺は机でぼんやり国民スマホを眺めていた。
相変わらず、
俺の画面はロード中のままだ。
あの日から、もう二ヶ月が過ぎようとしているのに
未だに仕事は与えられていない。
だが、
変わったこともあった。
「あい、それ取って」
「はい、しょうゆ、です」
もう、
簡単な会話なら普通に成立する。
最初の頃みたいな、
めちゃくちゃな文法も減っていた。
時々、
変な言い回しは混ざる。
でも。
少しずつ、
“普通”へ近付いている気がした。
俺の影響なんだろうか。
この前なんて、
あいは急に窓の外を見ながら言った。
「……なんで、かべ、あるですかね」
俺は思わず箸を止めた。
この世界の住民は、
“なんで”をほとんど言わない。
決められたものを、
当たり前として受け入れる。
なのに、あいは少しずつ変わってきている
「なんでって……」
「ふじさきさん、そとのせかい、ある、いうました」
「ああ」
「なら、なんで、とじる、です?」
言葉を探しながら。
ちゃんと、考えていた。
俺は答えられなかった。
最近、あいは時々ぼーっと考え込むようになった。
仕事の帰り道。
空を見上げたり。
壁を見つめたり。
昔の夢を見たと言ったこともある。
「くらい、おへや、でした」
「……覚えてんのか?」
「よく、わからない、です」
不安そうに笑う。
榊の言っていたことを思い出す。
保持者と長く接触すると、同期が乱れる可能性がある。
その時は、
半信半疑だった。
だが。
今のあいを見ていると、
本当に少しずつ何かが変わっている気がした。
突然、
電子音が鳴った。
ぴこん。
向かい側にいたあいが、
小さく顔を上げる。
「あ」
国民スマホを手に取る。
その瞬間。
あいの表情が、
ほんの少しだけ止まった。
「……どうした」
あいは黙ったまま画面を見ていた。
指が微かに震えている。
俺は立ち上がる。
「おい」
画面を覗き込む。
そこには、
ひらがなでこう表示されていた。
『さいちょうせい つうち』
『たいしょうしゃは、あした ちゅうおうひろばに、しゅうごうしてください』
俺は眉をひそめた。
「……再調整?」
あいは小さく頷いた。
「たまに、つうちくるひと、いるみたい」
声が少し小さい。
「何するんだ」
「わからない、です」
「分からないって……」
あいは困ったように笑った。
「でも、だいじょうぶ、ですよ」
その言葉に、
妙な寒気が走った。
「受けたことあるのか」
「ない、です」
「じゃあなんで大丈夫って言えんだよ」
あいは少し考えてから言った。
「みんな、なおって、かえる、です」
なおる。
その言い方が、
妙に引っ掛かった。
俺はすぐ国民スマホを掴んだ。
榊に電話をかける。
数回のコール音。
すぐ繋がった。
『……藤崎か』
雑音混じりの低い声。
「再調整ってなんだ」
数秒、
沈黙があった。
雨音だけが部屋へ響く。
『対象者は?』
「……あい」
その瞬間。
電話の向こうの空気が変わった。
『通知はいつ来た』
「今」
『内容は』
俺は画面を読み上げる。
榊はしばらくの沈黙の後言った
『今すぐ来い』
「は?」
『今すぐだ』
「いや、だから何なんだよ」
『説明は後だ』
声が妙に硬かった。
普段の榊とは違う。
「おい」
『藤崎』
初めてだった。
榊が、
こんな焦った声を出したのは。
『時間がない、お前だけ来い。女は部屋に閉じ込めておけ。絶対に外に出すなよ。』
そこで通話が切れた。
ぶつっ、と無機質な音。
俺はスマホを握ったまま固まる。
部屋の中は静かだった。
雨音だけ。
あいは不安そうに俺を見ている。
「ふじさきさん……?」
俺はゆっくり立ち上がった。
胸の奥がざわついている。
理由は分からない。
だが。
あの榊が焦っている。
それだけで、
十分嫌な予感がした。
「あい、俺が帰ってくるまで絶対外に出るなよ。いいな。」
「わかった、です。どこいくですか?」
「いいから、すぐ帰ってくるからな。」
降り続く雨水を掻き分けるように
俺は息を切らしながら雑居にビルへ向かった




