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第十二話 こころあんしんしょ

次の日。


朝。


俺は奇妙な静けさで目を覚ました。


通勤ラッシュの音がしない。


怒鳴る声も。


電車のブレーキ音も。


何もない。


この世界は、静かすぎる。


隣を見る。


あの女――あいは、もう起きていた。


小さな机で、

何かを包んでいる。


「あ」


俺に気付くと、

少し笑った。


「おはよう、です」


「……おはよう」


まだ慣れない。


他人の部屋で目覚めることにも。


この世界にも。


あいは小さな袋を持って立ち上がった。


「おしごと、いく、です」


白い服。


昨日と同じエプロンを着ていた。


「毎日あるのか」


「あります」


「休みとか」


あいは少し考える。


「つかれたら、やすむ、です」


曖昧だった。


俺は起き上がりながら言う。


「……見に行っていいか」


あいは目を丸くした。


「みる、です?」


「邪魔しないから」


しばらく考えて、

あいは小さく頷いた。


「いい、ですよ」


外へ出る。


朝の街。


ひらがなの看板。


同じ色の服を着た人々。


穏やかな顔。


まるで巨大な幼稚園みたいだ。


『ぱん』


『おくすり』


『おしごとせんたー』



漢字だけが、

世界から消えている。


あいは迷いなく歩いていく。


時々、

通行人へ笑いかけていた。


みんな嬉しそうに笑い返す。


その光景を見ていると、

自分の感覚の方がおかしい気がしてくる。


やがて、

昨日の広場へ辿り着いた。


『こころあんしんしょ』


丸っこい文字。

淡い色の壁。

可愛らしい建物。


だが、

俺には妙に現実感がなかった。


中へ入ると、

何人もの住民が並んでいた。


泣いている女。


ぼんやり座る男。


不安そうな子供。


そこへ、

あいが近付いていく。


「だいじょうぶ、ですよ」


優しい声だった。


女の肩を撫でる。


子供の頭を撫でる。


老人の手を握る。


すると、

みんな安心した顔になる。


「えらい、です」


「ちゃんと、できてます」


「あしたも、あります」


その言葉だけで、

人々は笑った。


俺は壁際からその様子を見ていた。


昨日も見た光景だが、以前の世界で言うところのメンタクルリニックやカウンセラーのような仕事なのか。


広場の奥には、ここで働く者の

労働適性一覧が貼られていた。


『やさしいひと』

『えがおができるひと』

『あんしんさせるひと』


適正で、社会的役割を全て決められる


完全なる監視社会。そこに自由は果たしてあるのか


なのに。


俺はそれを、

完全には否定できなかった。


前の世界を思い出す。


終電。


怒鳴る上司。


コンビニ店員へキレる酔っ払い。


電車で泣く子供への舌打ち。


疲れ切った顔。


誰かを気遣う余裕なんて、

誰にもなかった。


あの世界では、

“優しい人間”ほど先に壊れていった。


でもここでは違う。


優しい人間が、

幸せのままで居られる。


少なくとも、

今目の前にいる人たちは、

救われて見えた。


泣いていた男が、

あいに背中をさすられて、

安心したように笑う。


その顔を見た瞬間、

胸の奥が妙に痛んだ。


「……なんなんだよ」


思わず呟く。


気持ち悪いくらい穏やかだ。


なのに。


少しだけ。


ほんの少しだけ。


前の世界より、

マシなんじゃないかと思ってしまった。


その考えが、

自分でも怖かった。

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