83.エピローグ(前半)
1946年3月15日に、翔が戦時内閣の終了を宣言し、内閣総辞職と国会の解散をした。
俺たちがこの世界に来てから初めての能力無しで公正な普通総選挙が行われた結果、園田会のメンバーを中心に立ち上げた日本未来党が圧勝し、帝国議会の議席の4分の3を獲得した。
終戦後最初の内閣総理大臣は、ナチスのイギリス侵攻時にロンドンで在英大使をしていた日本未来党初代党首の大西に決まった。
大西は園田会の中でもメンバーからの信頼が特に厚く、ソ連、イギリスとの太いパイプを持っていることから、園田会のメンバーが総力を挙げて彼を推した結果である。
また、大日本帝国憲法下では、文民統制という現代日本の原則は適用されないので、陸軍大臣と海軍大臣は内閣総理大臣が現職または予備役の軍人から指名して、天皇が承認するという制度になっている。そのため、翔は内閣総理大臣を引退してからも4年間は海軍大臣を続けた。
俺は予定通り陸軍大臣の席を義父である木村元帥に譲り(押し付け)、義父の就任期間と同じ4年間を副大臣として働き、義父をサポートした。
そして、義父の退任と一緒に俺も副大臣を退任。楓からの強い希望で陸軍からも除隊することになった。
1950年に陸軍を除隊してすぐにSKグループの兵器製造部門である株式会社SK製作所の社長に就任。同時に義父にはSK製作所の顧問になってもらった。当然採用するスタッフは役員も社員も元陸軍関係者ばかりとなり、製造した武器はすべて陸軍に売れるので、俺の社長就任後から急速に工場の規模を拡大し、陸軍省からの天下りも積極的に受け入れた。
大西総理が2期8年の任期満了による総理交代後は、対米英に対する融和路線の外交から強硬路線に方針転換され、日ソ中&東ヨーロッパ王国連合対米英を中心とする西側連合による東西冷戦が始まり、世界中が軍拡競争をする動きになった。
同盟国に対して武器を押し売りするアメリカに対して、日本は政府による厳しい武器輸出規制があるため製造コストの面でアメリカよりかなり不利な状況だった。
そこで、陸軍から武器調達コストを何とかして下げたいと相談されたので、じゃあ、アメリカと同じようにすればいいんじゃね?ということで、同盟国への武器輸出を承認してくれと提案したところ、あっさり認められた。陸軍は武器調達コストを3分の1に抑えることができ、SKグループも市場が一気に拡大するため、えっ、いいの?と思いつつも、武器を同盟国に売りまくった。
その結果、俺が65歳で引退する頃にはSK製作所は世界第4位の武器製造メーカーになっていた。
ちなみに1位ロッキード社(米)、2位ルノー(日本)、3位ゼネラル・エレクトリック社(米)で、4位がSK製作所(日本)である。
翔は海軍大臣を退任してからも海将の定年の60歳まで海軍で働き、定年退職から3年後の1988年に63歳の若さで脳梗塞で亡くなった。
翔は3人の子宝にも恵まれており、長男が妻の実家を継ぎ、次男は父の姿に憧れて海軍に入隊した。長女は悠斗の長男に嫁ぎ皇太子妃となった。悠斗や翔の子供達とうちの子供達は幼少の頃から家族ぐるみの付き合いをしていたので、大人になってからも交流は続いている。
悠斗は元の世界とは違い、象徴としての天皇ではなく、大日本帝国憲法第4条の「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬」を維持し続けいる。国民主権ではなく天皇主権が続いていることについては、アメリカを始めとする西側諸国が批判してくることは度々あったが、東ヨーロッパ王国連合でも国王主権が存続しており、日本が孤立することはなかった。天皇自身も国民から人気があるため国内からの批判は少ない。
悠斗は、翔が亡くなった翌年の1989年の冬に64歳で崩御。成和の次は大平元年となり、翔の長男である皇太子様が新天皇に即位した。
遥は帰国後すぐに俺の義兄である木村三佐と結婚。その後、一男一女の子宝に恵まれ、専業主婦として夫を支え続けた。1994年に家族に見守られながらすい臓がんで亡くなった。
結局、親戚になってからも俺と椿は遥と和解することができず、甥と姪にも一度も会わせてもらえなかったが、俺と木村三佐は除隊後も友人として付き合いは続いた。
二人の子供は陸軍とは全く関係ない仕事に就き、長男は逓信省で勤務、長女は小学校の先生になった。
中国人になった藤井先輩は1946年に元ナチス党幹部の娘と結婚したが約2年で離婚。
キレやすい性格のせいで、育ちの良い女性と結婚するとすぐに相手が愛想をつかして出て行ってしまう。その後も結婚と離婚を繰り返し3人の有力者の娘と結婚したが、一番長い相手でも3年間しか続かなかった。
最後に5人目の妻と結婚したのは藤井先輩が40歳の時に市場を視察に行った際に肉屋の屋台を手伝っていた18歳の中国人だった。年の差はあったが大らかな性格の娘で、一度も喧嘩をすることなく、2008年に藤井先輩が89歳のときに肝臓がんで亡くなるまで添い遂げることになった。
ちなみに俺が79歳で藤井先輩が80歳のときにFPSが発売されたので、オンラインで対戦してみないかと誘ったが、手が震えてコントローラーが持てないと言われて断られた。
また、毛沢東が1950年に旧ナチス親衛隊の勢力から暗殺されて亡くなるまでは、毛沢東の相談役として陰で中国を日本の国益のために動かしていた。暗殺後はボルマンが北アフリカから北京に拠点を移し、藤井先輩の協力を得て中国の権力を掌握。
それから5年後の1955年には共産党を解体し、日本や東ヨーロッパ王国連合から新国家建国の承認を得るために、立憲君主制に移行することを宣言。日本で暮らしていた溥儀を象徴としての皇帝に迎え、国名を大中華帝国に変更した。そして、ボルマンが初代の首相になり、藤井先輩はドイツ時代の経験を活かせる空軍大臣として、大中華帝国最初の内閣に入閣した。
以降は旧ナチス親衛隊や元ナチス党幹部だけで中国の中枢部の要職を独占し、1年足らずで中国人は大中華帝国の政治の舞台から完全に排除された。
そして、ボルマンは憲法に規定した終身首相として権力の座に居座り続け、1980年に心不全で亡くなって以降も、ドイツ出身者とその子供たちによる中国の支配は継続され、2023年現在でも体制を維持し続けている。
ムッソリーニこと梓はアメリカで裁判にかけられて、A級戦犯となったものの、処刑はされずに終身刑を言い渡された。アメリカの刑務所で15年間服役したが、特赦により1960年に釈放された。釈放後はイタリアに戻り、イタリアで不動産業を始めて数年後にはイタリアの不動産王と言われるまでになり、実業家としての成功を果たした。75歳で亡くなるまで一度も結婚をすることがなかったが、常に18歳から20歳の若い男を周りに置き、身の回りの世話等をさせて、何度もゴシップニュースのネタにされていた。数年に一度、日本に遊びに行くので食事でもどうかと、椿のところにボイスチャットで連絡があり、椿は定期的に会っていたようだが、俺は特に用事もなかったので一度も会うことはなかった。
佐藤二曹は1947年に陸軍の上官と結婚して陸軍を除隊した。除隊後は専業主婦になったが、子供が出来ないことを旦那の実家から佐藤二曹の責任にされて僅か1年で離婚される。
離婚後は楓の誘いでSKグループに入社し、定年まで楓の秘書としてSKグループに尽くしてくれた。紺野二曹は佐藤二曹と同時に陸軍を除隊し、SKグループの警備部門の設立時から責任者に就任した。また同年の法改正により警備会社は小銃までなら銃火器を所持と使用が許可され、楓や梢などのSKグループ幹部の警護や園田会所属の重要人物の警護等から始まり、数年後には全都道府県に支社を設置する国内最大の警備会社にまで成長した。なお、紺野二曹は幼少期に父親が母に暴力を振るっている姿を見て育ったことがトラウマとなり、男性と付き合うことができず生涯独身を貫いたが、家族は欲しいとのことで、体に障害のある孤児を養子に迎え生涯で25人の障害児の養母になった。紺野二曹の活動は後にマスコミの報道により話題になり、『私たちのママは優しいソルジャー』というタイトルで映画化されることになった。
梢はSKホールディングを時価総額世界一の企業にすることを目標に、仕事一筋で働き続けた。2006年に85歳で肺炎で亡くなるまでSKグループのナンバー2として生涯をSKグループに捧げた。梢の目標である時価総額世界一位は1990年に達成され、以降現在に至るまで常にトップの座を守り続けている。目標のためには家族は邪魔以外の何物でもないからと、誰とも結婚することはなかった。亡くなった当日も病院のベッドで仕事をしていたらしい。
俺は1946年の春には子供が生まれて、ついに父になった。最初の子は楓似の可愛い女の子で名前は「未来」にした。楓との間には、その後、長女から2歳離れた男の子が一人と、さらに2歳離れた女の子一人が生まれ、全部で3人の子宝に恵まれた。
未来が3歳になったときに俺たちと同じ能力を持っていることが判明したが、悠斗や翔、遥の子供には能力が備わってないことから、能力者同士の子供じゃなければ能力が受け継がれないことが判明した。そのことが分かってからは、園田一族の能力が次の代で途切れないように、俺と楓、椿の3人で協議して、人工授精で椿も俺の子供を産むことになり、椿も生涯で4人の子供を産んだ。その結果、7人の子供たちは全員が能力者ということになった。椿と楓の子供を結婚させれば血が濃くなってしまうが、この能力を代々受け継ぐことができる。そうすれば、何代か後になるとは思うが、園田一族が世界を支配することも可能になるだろう。
楓と椿そして、7人の子供達に囲まれての幸せな生活は長くは続かなかった。楓は1970年に44歳の若さで交通事故で俺より先に亡くなってしまった。既に子供達は自立した後で、楓と椿と3人で暮らしていたが、楓が亡くなってからは椿と二人きりになってしまった。
椿とは恋人ではないが、生涯の親友として、子供達の親として固い絆で結ばれ、去年2022年に椿が100歳で亡くなるまで二人でFPS等をやったり、子供や孫たちの家に遊びに行ったり、幸せに暮らしていた。
椿は俺のことを恋愛対象としてはきっと一度も見ていなかったと思うが、俺は楓が亡くなってからは傍にいてくれる椿に対して密かに想いを抱いていた。しかし、結局椿が死ぬまで思いを告げることはなかった。もしそんなことをしたら向こうに行ってから楓に何をされるか分からないからな。
2023年3月31日 日本国 東京都 園田邸
俺がこちらの世界に来てから84年が経ち、現在は103歳である。長生きし過ぎて、とうとう元いた世界の時代まで追いついてしまった。3か月前に医師から余命宣告を受けて、もう自分の足でベッドから立ち上がることもできなくなった。
俺が産まれた年には、もしかしたらこちらの世界の俺が産まれていないかと、部下に調べさせたこともあったが、残念ながら俺も姉もこの世界には産まれていなかった。
そもそも、俺の両親は結婚せずに、それぞれが別の相手と結婚していた。気になったので調べたところ、俺だけじゃなく元の世界からこっちに移動してきたメンバーは誰も産まれていなかった。
元の世界とは同じ年代でも世界の状況は全く異なるものなので、タイムパラドックスで生まれてこなかったのだろう。
この世界では終戦後に国際連盟が解散し、日本は日中ソ連合と東ヨーロッパ王国連合を中心とした独自の枠組みを構築することになった。
そして、3年前についに俺の悲願だった世界政府が誕生し、俺と楓の長女である未来の息子、つまり俺の孫が初代世界政府大統領に就任した。
世界政府の誕生で元々の国は全てが州になった。日本も現在は日本州となっている。
国家の枠組みがなくなり、世界政府に所属する人間は全員同じ国籍になった。そのため、能力を受け継ぐ俺の子孫達は全人類の90%に対して能力を使用することが可能になったのだ。なお、10%は世界政府が保護対象として接触を禁止している少数民族である。
楓と椿の子供から3組の夫婦が誕生し、現在は能力を使える俺の孫は10人、ひ孫は24人になった。
元の世界から移動してきたオリジナルの能力を持つ人間はもう俺しか残っていない。今後も能力の秘密は園田一族が独占し、これからの人類を管理していくことになるだろう。
近親婚を繰り返すことでハプスブルク家のような一族特有の障害が起きないか、ということが1番の懸念だったが、近親婚の遺伝子操作に特化した研究に莫大な資金を投入した結果、遺伝子操作技術が確立し、近親婚による障害や病気の懸念はなくなった。
それでも倫理的な忌避感で精神面への負担が少ないように、孫の代からは従兄弟同士を離れた環境で育て、18歳になるまで一度も合わせないという園田家のルールも椿が作った。思えばこの辺のルールや管理はすべて椿がやってくれていた。
楓も椿も悠斗も翔も藤井先輩も皆俺より先に死んでしまった。
特に80年間も公私共に常に側にいた椿が亡くなってからは、心にぽっかりと穴が空いたようで、早く迎えが来て欲しいとばかり願うようになってしまった。
昨日から子供、孫、ひ孫達が俺の家に順番に訪ねてきて、俺のベッドの横まで来てお礼や挨拶をしていく。
世界政府大統領官邸が同じ東京都内にあるとはいえ、一番忙しい世界大統領の孫まで来てくれた。どうやら、ようやく俺も皆のところに行けるようだ。こんなに大勢の家族に見送られて旅立つことができる俺は幸せなんだと思う。
視界がブラックアウトして意識が徐々に薄くなってきた。あぁ、良い人生だったなぁ…。
『ikill_seiji_ikillがログアウトしました。』




