八.試用期限
弥生。村では桃の花も咲き始め、風も少しずつ春めいてきた。
律と紅悠の“お試し結婚”も、期限までもう一か月を切った頃。
今日、律は王宮からの呼び出しを受け、朝から出掛けている。
屋敷で一人静かに仕事に向かっていた紅悠だったが、静寂は不意に破られた。
「御免くださいませ。」
玄関から響く女性の声。筆を置いた紅悠が、急いで廊下を駆けて行くと。
「明様?」
扉の向こうに居たのは、御者を伴った明だった。腕組みしながら、紅悠をじっと見据える。どうやら今日は、翠の姿は無いようだが…
突然のことで目をぱちくりさせながらも、紅悠は明に一礼し。
「いらっしゃいませ。旦那様にご用事でしょうか?生憎今は、王宮に出掛けておりますが…」
「存じておりますわ。今日は、貴女にお話しがあって来ましたの」
「私に…?」
戸惑う紅悠を前に、明は大仰に溜息を吐いてみせる。
「その様子じゃ、何も分かっていらっしゃらないようね。今日、律様が王宮に呼び出されたのは、貴女のせいですのよ?」
「え…?」
紅悠の心臓が、どくんと大きく脈打った。
「失礼ながら貴女、狐族では落ちこぼれと言われていたそうね?今や王宮中で噂になっておりますわ。藍龍族王家の方々は、このまま律様と貴女が結婚してしまえば一族の恥だと、心を砕いていらっしゃるようです」
視線を横に流しながら、肩にかかる巻き毛を指に巻き付ける。
「律様の王族としての地位も、揺らぎかねませんわ」
金の瞳が、ちらりと紅悠を一瞥し。
「試用期間が終わったら、すぐに狐族へお戻りなさい。貴女に、ここに居る資格はありませんわ」
冷ややかにそう言い放ち、明は靴音を響かせながら、門の外へ消えていった。
一人残された紅悠は、明の姿が見えなくなってもなお、玄関から動くことが出来なかった。
どうして、気付かなかったのだろう。この結婚で律に迷惑がかかることなど、想像するに容易いだろうに。
理由は恐らく、律の優しさだ。紅悠を受け入れ、尊重してくれる強さと、いつも傍に居てくれる温かさ。
律と過ごす毎日の中で、紅悠はつい、忘れてしまっていた。自分は“落ちこぼれ”だということを。
どうして、望んでしまったのだろう。このままずっと、律の隣に居たい、などと。




