二十一話 不気味な男
予定よりずっと早く、その時は訪れた。
まるで、見張られていたようなそのタイミングの良さ。
ーー違和感と悪意を感じる。
「闇野、お前は部屋に戻っておけ。私が出よう」
「だぁれぇが? どぉやってぇ? そぉれぇともぉ、にげぇる?」
水を顔にぶちまけられたような、そんな気分になる。
マレガさんと俺たちの間、その長い廊下を裂くように、その奇怪な男は笑いながら立っていた。
気持ち悪い、端的に表現するとそれに尽きる。
手足は軟体動物のようにうねり、口は目元まであるのではないか。
羽織るマントは闇のように黒く、スカートなのかズボンなのか分からないものを履いて、ねっとりと絡みつく視線を俺に投げかける。
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い!!
例えるなら汚濁された沼のように、湧き上がるのはただ嫌悪だけだった。
「貴様、黒! マレガすぐに城の者に……ッ!」
下卑た笑いと共に、黒と呼ばれた男は触手のように手を伸ばしレイオンを捕らえマレガさんに向かって投げ飛ばす。
一歩もその場から動かず、ただ単純に手を不自然な程、引き伸ばして。
「てめぇ、触んな!!」
俺は一歩踏み出し、えーー?
いつの間に、そこに、居るんだ。
確かに、今お前はレイオンを掴んで投げ飛ばしたんじゃーー。
「ぎゃは、遅いぇえ」
あれ? 何で俺浮いてーー……!
インパクト、顔を打たれた衝撃が俺を襲う。
殴られたと気付くのに、少し時間がかかるほどあっという間の出来事だった。
「ねぇ、どぉしてぇ君がぁ魔王なのぉ?」
浮いて跳ねたが、幸いに鎧が俺を受け止めてくれた。
……落ち着け俺、あいつは速い。
気絶もないし、痛みも大したことじゃない、OK。
こいつは敵だ、何らおかしな所はない。
すぐさま立ち上がり、俺は自分にそう言い聞かせた。
「触れれば、それで良い」
いくら殴られようが、刺されようが、痛みに耐えれば万事問題ない。
後は右手で触れるだけ、簡単だ。
超簡単、なのにどうしてお前はそこにいるんだよ!
「ぎゃは、ははッ」
「……見えッ!! うガッ……!」
目で追えない、速すぎる。
手が足が鞭のようにしなり、伸びて引く。
ただそれだけの事なのに、俺は何発ダメージを受けたのか。
口はとうに切れ、胴なんかはきっと紫に腫れ上がっているだろう。
「(俺じゃなきゃ、死んでるぞ。これ)」
明確に殺意というのをぶつけられたのは初めてだ。
絶え間ない乱撃に、一歩、また一歩踏み出す。
「……はッ!!」
マレガさんがその間に割って入る。
レイオンの剣の二倍はあろうその大剣はいつの間にか手に握られて、男を叩き潰すかのように豪快に上段から振り下ろした。
「しぇええ。あぶぅなぃなあ。よっと、と」
ーー刹那の隙。
男の手刀、それはマラガさんの腹を貫いた。
鮮血が噴水のように噴きあげ、それを俺は唖然と見た。
こんなにも簡単に、殺す事が出来るの、か。
「え……マラガ! マラガぁあああ!!!」
「マラガ、さん……?」
「っ、ひゅ……」
呼吸が出来ないのか、苦しそうに声を上げようとする。
早く、早く俺の能力で治さないと。
足が縺れて、言うことを聞かない。
けど血が、あんなにも流れて……!
焦るな、しっかりしなきゃダメだ! ここで怯むな!
まだ俺の能力ならマラガさんは治せる。
「レイオン! 十秒くれ!」
「殺す。お前を、お前を殺してやる。塵も破片も最早残ると思うなよ。爆ぜろ、アークライト」
「血がぁ溢れてぇ綺麗だなぁ」
レイオンに俺の声は聞こえていない。
強烈な輝き、アークライトはまるで主人の怒りを表すかのように輝き、鞘から抜かれる。
今はそちらを見てる余裕はない。
早く、早く。
「マラガさん、今俺が治してやるからな」
右手で倒れているマラガさんの痛みを引き受ける。
っがあぁあああ!!!
痛い痛いイタイイタイ痛い痛いイタイイタイ!!!
レイオンに切られ、貫かれた時もこれほど痛みはなかった。
精神が捻れて狂いそうだ。
気絶無効にタフネスを発動してもなおこの痛みは、俺を苦しめる。
……まさか、呪詛か、これは!
あの手刀に呪いをかけていたのだろう、苦しめる為に。
……あの野郎、本気で殺してやる!
俺もここまで殺意を抱いたのは、ここに来てから初めてだった。
痛みで胃が痙攣を起こすが、何とか受け止めきり、すぐに壁に手をつけて痛みを離した。
「ッく、あ……! やっぱり呪詛か、このクソサド野郎」
痛みを与えた壁は手刀分の穴を開け、そこから黒紫の泥のような物が溢れた。
剣が発光し、炸裂している。
俺はあまりの痛みに、それすらも分かっていなかった。
マラガさんは、意識をとりもどし片目を開けて、すぐに立ち上がろうとする。
「動いちゃ駄目だ、マラガさん! 血が出すぎてる。これ以上は本当に危ないから」
口パクで感謝する、と伝え再びマラガさんは意識を失った。
一命を取り留めたが、油断は出来ない。
「やぁっかいな能力でぇす。七位のぉ魔王ー。あの獣人もう一回殺しておきまぁすか」
「よほど死にたいらしいな、貴様ぁあああ!!!」
アークライトはその輝きを濁すことなく、振るわれ続けた。
紙一重で男はそれを躱し続ける。
城の壁は破壊され、魔力行使の跡で焼け払われた部分もあった。
「少々、おいたが過ぎるのう」
そう姿を見せたのはマリーン、だった。
怒りに狂うレイオンを諭すように見ながら、男に向かってそう言った。
「マーリン、こいつは私が!」
「姫はマレガを見てやれ。そうそう、魔術も半端なクソガキが。あまりフレイヤを舐めるでないぞ……!」
そう言ったのは焔、だった。
マリーンは姿を火炎に変化させ、男の周りを覆っていく。
地獄の火炎を思わせるそれは、男に逃げる隙も与えさせない。
「大魔法使いマリーンでぇすか。化石寸前のぉ老ぼれぇが、いい気になぁるなぁ!」
「かかっ、言いたい事はそれだけか? ならば、死ね」
ーー爆ぜる火炎。
火山の噴火のように大きく燃え上がり、文字通り男の塵一つ残さない、はずだった。
「はぁ、はぁ……油断しまぁしたぁねぇ。命と引き換えに七位はぁ……!」
「おとなしく死んでおけば楽なものを……。本当に狡いのう、ほれ行ったぞ七位」
意地汚いお前の事だ、そう来るとどこかで予想していた。
実はさ、殴られた数が多すぎてまだダメージ移動できてないんだよ。
俺半端だから、一気に全部ダメージ移動出来ないんだわ。
静かに俺は、左手で足に触れダメージ変換使う。
ーー巻き起こる、爆風。
だいたい殴られたのは二十発くらいか。
一発が五秒として、合計の発動時間がだいたい百秒。
百秒あれば、お前を蹴散らすくらい出来るよな。
「ころず……ぶ、があああっっ!!」
この日の最速は、文句なしに俺だろうな。
身体が言う前に動く。
脳が指示する前に、右足の蹴りが男の腹部に炸裂する。
サッカーボールを蹴るように、廊下の反対まで吹き飛んで行く。
身体を受け止める物も無く、水切りの石のように何度もバウンドを繰り返しながら男は苦痛の声をあげた。
「ご、ほッ! まとめてぇ、ころし」
そう言いながら男が態勢を立て直そうとするが、高速で間を詰めた俺の拳が顔面を強打する。
「っらああああ!!!!」
力を込めすぎたのか廊下の壁を突き破り、男は外へ。
丁度、その頂点。
後は落下するだけという所で、男の自爆が巻き起こる。
命と引き換えに、とはこういう事だったのか。
俺は能力の使い過ぎらしく、ふらりと倒れこみながら、ーー瞼を閉じた。




