逃亡
地下牢を出ようとすると、エミリアの足に何かが当たった。足元をちらりと見ると、檻の前にいた牢番が倒れていた。薄暗い中で目を凝らすと何人もの見張りが地下牢の出口で倒れている。ジークが倒したのだろう。ジークに手を引かれ、エミリアは地下の礼拝堂までやってきた。地下牢の重苦しい湿った空気がなくなっていく。
「エミリア様、この場所を覚えておられますか」
エミリアは小さく頷いた。そして部屋の中央に鎮座する天使の像を右に二回、左に一回、そしてまた右に三回回した。すると、奥の壁がぎぎぎ、と音を立てて開いた。ここは王族と一部の護衛のみが知る隠し通路の入り口だった。かつて父が兄と自分に教えてくれた場所だ。まさか本当に使う日が来るなんて、思ってもいなかったけれど。
「行きましょう」
エミリアはジークと共に隠し通路へと入っていった。通路には明かりがなく、冷たい空気だけが漂う空間が続いている。
「俺から離れないでください」
ジークは空気の流れや滴る水の音などから出口を探しているようだった。エミリアはジークの手をぎゅっとつかんだ。暗闇で何も見えなくても、その温もりがあれば大丈夫だと思えた。しばらくすると、かすかな光が目の前に差してきた。
「足元にお気をつけて」
エミリアとジークは狭い出口から出て、城の裏手へとたどり着いた。そこには積み荷をのせた古びた馬車があった。ジークは御者に目配せをすると、積み荷の大きな木箱を開けた。
「少しの間だけ……こちらに入ります」
エミリアは頷いた。木箱の中には大きな布が入っており、二人は布にくるまるように木箱の中へと入った。木箱を閉じると馬車は動き始めた。馬車ががたりと揺れ、突き上げるような振動と大きな音が体に響く。エミリアは少し身を縮めた。するとジークがエミリアを抱き寄せるように腕を回した。
「エミリア様、大丈夫です。俺はここにいます」
エミリアは頷いた。ジークの腕から温もりが伝わってくる。そのまま離れようとするジークの手を、エミリアはぎゅっと握って自分の脇腹へと回した。
「……このままでいて」
エミリアは自分の体重をそのままジークに預けた。ジークの熱が、息づかいが、もたれた肩から伝わってくる。ジークは一瞬驚いたように息を漏らしたが、しばらくすると何も言わずにエミリアの手を優しく握り返した。馬車が揺れるたび、ジークががっしりとエミリアを抱き寄せる。エミリアは目を閉じて、その温もりにただ包まれていた。
突然、馬車が止まった。ジークの腕の力がぐっと強まる。
「積み荷をあらためる」
検問所だ。エミリアは目を見開いて息を殺した。足音が、自分の方に近づいてくる。エミリアは布をぎゅっと掴んだ。心臓の音がうるさい。木箱の蓋が揺れる音がして体をこわばらせると——じゃらり、と何かが鳴るような音がして、足音がそのまま離れていった。
(終わった……のかしら)
「通りなさい」
男の低い声が聞こえる。どうやら検問所は通過できたようだ。しばらくすると、息苦しかったでしょう、と言いながらジークが布を二人の身からはがした。
「これでしばらくは安心できると思います。金を渡すだけで本当に通してくれるのかと心配していましたが……こればかりはアルブレヒトの配下の兵士でよかったですね」
職務より私利私欲を優先するのは確かにアルブレヒトの兵士らしいといったところか。もしもジークが同じ立場なら、金など受け取らずに荷をあらためただろう。
馬車はそのまま走り続けた。人の声がどんどん消えていく。やがて木箱の小さい隙間から冷たい空気が入ってきた。王都からどれくらい離れたのだろうか。エミリアは王都の外に出たことがほとんどなかった。祭りや他国のパーティーにでも呼ばれない限り、エミリアの生活は全て城の中で完結していた。木箱の隙間からは冷たい風に乗った虫の声が聞こえてくる。その声もエミリアにとっては新鮮だった。
突然馬車が大きく揺れ、そして止まった。ガキン、と鈍い音が響く。剣と剣がぶつかり合う音だ。ジークはエミリアをぐっと引き寄せた。やがて視界がぱっと明るくなった。
「エミリア様を渡してもらおうか」
木箱が開かれ、体格のいい兵士が剣をこちらに向けている。ジークはそれには答えず、突きつけられた剣に自分の剣を当てた。
「エミリア様、そちらにいらしてください」
エミリアは頷いた。馬車は四名の兵士に囲まれていた。ジークと御者がそれに応じて剣を交えている。ガキン、ガキンと剣の音が響く。御者の剣さばきは素人のそれではなく、おそらくジークと同じく近衛隊の人間なのだろう。四人いた兵士は次々と倒れ、最後の一人が御者と剣を交えていた。
「ジークバルト、行け!」
御者がそう叫ぶと、ジークは荷台から最低限の荷物が入った袋だけをさっと引き出し、その後エミリアの手を強く引いた。エミリアは飛び降りる形で馬車の荷台から降りた。兵士が振り返りエミリアの方へと慌てて向かおうとするが、御者がそれを剣で食い止める。
「エミリア様、走ります。ついてきてください」
エミリアは頷いた。二人は暗い森の中、かすかな月明かりだけを頼りに森の奥へと進んでいった。




