助けて、ジーク
エミリアは暗い地下牢の檻の中、壁にもたれかかって床に座り込んでいた。それは他の囚人から隔離された地下牢で、一切の音がしない。檻の外には見張りが一人ついているだけだ。床の冷たさが体中に伝わっていく。父も兄も、もうこの世にはいない。エルザだって自分を裏切ってしまった。
(私の味方は、もうどこにもいないのね)
エミリアの脳裏に、ジークの姿が浮かんだ。ジークは無事だろうか。裁判の場に、国王付きの護衛の姿はなかった。既にアルブレヒトの手によって始末されてしまったのだろうか。それとも——。
(ジークだって、私たちを裏切ったのかもしれない。仕方ないわね。彼にだって守るべき人が——婚約者がいるのだから)
城に仕えるものは皆、国王に、王族に、国に忠誠を誓ってその身を捧げる。とはいえ自分の大切な人を人質に取られたとして、それでもなお国王を、王族を、国を優先できるものがどれほどいるだろうか。エミリアはエルザに思いをはせた。彼女には田舎に残してきた二人の子どもと夫がいる。もしも自分が同じ立場なら、エルザと同じことをしたかもしれない。それに、エルザはあくまで自分のことは守ろうとしていたみたいだ。最後に確か、そのようなことを叫んでいた。事件の真相を知っているであろう彼女がこのまま生かされるとは考えづらい。それでも生きていてほしいと、エミリアは心から願った。兄を死に追いやった人物ではあるが、憎み切ることができなかった。
地下牢にかつかつと足音が響いた。エミリアの身体が反射的に震える。近づいてくる人影は、この世で一番許せない者の形をしていた。
「エミリア様、お加減はいかがですか」
アルブレヒトはさも心配そうな表情を浮かべている。エミリアは何も言わずにその瞳をまっすぐ睨みつけた。
「まあ、そう怖い顔をなさらずに。私はあなたを助けに来たのですから」
アルブレヒトはそういうと、上着のポケットから鍵を取り出して檻をあけ、エミリアに近づいた。アルブレヒトが目くばせをすると、檻の前にいた牢番は檻から遠ざかっていった。
「青白い顔も、お美しいですね」
(な、に……)
エミリアは目を見開いた。アルブレヒトの品定めをするような視線がエミリアの身体をゆっくりとなぞっていく。その口元は不気味に歪んでいる。今までに感じたことのない気味の悪さを感じて、エミリアは身体をのけぞらせた。
「息子の嫁にと考えていましたが……エミリア様、私の愛妾になりませんか。そうすれば今までと変わりない暮らしをお約束しますよ」
「誰があなたなんかの……!」
エミリアはぶるぶると震えながらも力強くアルブレヒトを睨みつけた。しかしそれはますますアルブレヒトを喜ばせるだけだった。
「おや、ご自分の立場をお忘れのようですね。あなたの命は私の言葉一つでどうとでもなるということを、お忘れなく」
アルブレヒトはそう言うとエミリアの両肩をがっしりと掴み、そのまま冷たい床にエミリアを押し倒した。
「……っ、やめ、離しなさい!」
エミリアは必死で抵抗するが、手錠がカチカチとぶつかり合う音がするだけだった。アルブレヒトはその様子を満足げに見つめている。
(この男、私が嫌がっているのを楽しんで……っ)
今まで従うしかなかった女を、好きに扱うことができる。思いのままにいたぶることができる。アルブレヒトの瞳からはそうした征服欲が滲み出ていた。エミリアの脳裏に、父の言葉が浮かぶ。
——生き延びることを一番に考えなさい。正しさだけでは生き延びられない瞬間が、人生にはたくさんある。
(生き延びて、いつかこの男に復讐するために……今はこの行為を受け入れるしかないの? 本当に、そんなこと……)
アルブレヒトの浅黒い手が、エミリアのドレスを乱暴に脱がせていく。エミリアはもう、暴れることもできずに小刻みに震えていた。まるで別の誰かが服を脱がされているのを遠くから眺めているかのようだった。
(怖い……こわい、助けて、助けてジーク!)
こんなときにも思い浮かんでしまうのはジークのことだった。ジーク。お願い、どうか助けて。暗闇の中でかすかな光を探すように、ジークの姿を思い浮かべた。ジークがここに来てくれるなんて、ありえないのに。
「エミリア様!」
だから、その声も幻だと思った。
「ジーク……?」
瞬間、アルブレヒトの体の重みがずしりと感じられたかと思うと、すぐにジークによってその体は蹴り落とされた。ジークの手に握られた剣からは、赤い血がぽたぽたと落ちている。アルブレヒトは剣で背中を刺され、ぐったりと倒れていた。ジークは剣をしまい、アルブレヒトから鍵を奪うと、エミリアの手錠を外した。そして自分の上着を脱ぐと、それをエミリアにさっとかぶせた。
「エミリア様、俺の手を。ここから逃げますよ」
エミリアはジークの手を取った。そのまま支えられるようにして立ち上がる。その手はとても、あたたかい。
「俺についてきてください」
エミリアは小さく頷いた。そしてジークの手を強く掴んだまま、地下牢の外へと駆け出していった。




