第26話「気になる二人」
※時系列は、22話の後となります。
「かんぱーい!」
「お疲れ様でした……!」
一度は延期になったものの、日を改めて無事に飲み会の日を迎えた。会社近くの居酒屋、いつもの座敷席で、佐藤がジョッキを高々と掲げる。
「いやー、久しぶりだな、三人で飲むの。あの時は、部長のことでバタバタしちまってさ」
「うん。あれから、もう一週間くらい経つんだね」
僕は、ノンアルビールを一口飲みながら、そう返した。
「無花果先輩、リスケありがとうございました!そういえば、最近、また調子良さそうですね」
一ノ瀬さんが、枝豆に手を伸ばしながら、にこにこと言う。
「そうかな。まあ、おかげさまで」
「そうかな、じゃないだろ」
佐藤が、少し呆れたように笑った。
「お前、あれからも、ずっと絶好調じゃん。むしろ、あの時より調子いいんじゃないか」
「そんなことないと思うけど」
「いや、絶対そうだって。……もうお前、社畜四天王に昇格したんじゃないか?」
「佐藤先輩、また適当なことを言って~」
一ノ瀬さんはもう酔ったのか、ふわふわしている。
「そういえばさ」
佐藤は、少しだけ声のトーンを落として、続けた。
「部長のことなんだけどさ。この前、二人きりになった時に、急に『あの時は、迷惑をかけたな』って謝られたんだよ」
「……謝られた?」
僕は、思わず、箸を止めた。
「うん。何のことか、最初は分からなかったんだけどさ。よくよく聞いたら、あの、変になった日のことを言ってるみたいで」
「部長、あの日のこと、覚えてるんだ」
「……本人も、はっきりとは思い出せないみたいだけど、『何か、調子が悪かった』って、気まずそうに言っててさ」
一ノ瀬さんも、少し神妙な顔で頷いた。
「私も、部長に謝られました。急に真面目な顔で、『あの時は迷惑をかけた、これからもよろしく頼む』って」
「そっか……」
僕は、あの後の、まどかさんとの会話を思い出した。今、こうして自分の言葉で謝ってくれる部長を見ていると、少しずつ、自分自身の理想に近づいているんだろうと思えた。
「なあ、無花果」
佐藤が、少しだけ、真剣な顔で僕を見た。
「正直言うとさ、俺、部長のこと、よく分からないんだよな。前の部長は、自分に非があっても決して謝ってくれなかっただろ。それなのに、最近は変わってきたというか」
「私もです。今のほうがいいとは思うんですが。なんというか……」
「……分かるよ、その気持ち」
「お前は、平気なのか?」
「平気、っていうか」
僕は、少し考えてから、言葉を選んだ。
「きっと、何か思うところがあったんじゃないかな。僕も一ノ瀬さんと同じで、今の部長のほうがいいと思うよ。ちゃんと僕たちを見て、自分の言葉で謝ってくれるし。まぁ、過去の部長を許せるかと言われると悩むけど、それで今の姿を否定するのは嫌かな」
佐藤は、しばらく僕の顔をじっと見ていたけれど、やがて、小さく息を吐いた。
「……お前、ほんと変わったよな」
「え?」
「いや、悪い意味じゃなくてさ」
そう言いつつ、ジョッキを傾けながら、続けた。
「前は、そういう、ちゃんと『考え』を持って喋る奴じゃなかっただろ、お前。なんつーか、いつも周りに合わせて、当たり障りのないこと言うタイプだったのに」
「……そうだったかな」
「そうだったよ。一ノ瀬ちゃんもそう思うだろ?」
「そうですね……。私が入った頃から見ても、無花果先輩、確かにここ最近、雰囲気変わりましたよね。前より、ずっと、自分の意見をはっきり言うようになったっていうか」
一ノ瀬さんが、少し照れくさそうに付け加えた。
二人の言葉に、僕は少しだけ、居心地の悪さを覚えた。
「なんか、いい出会いでもあったんじゃないですか?」
一ノ瀬さんが、悪戯っぽく笑いながら聞いてくる。
「いい出会い、か」
その言葉に、僕の脳裏に浮かんだのは、居心地の良い『みやこや』と硝子細工のような瞳をした少女の顔だった。
「……まあ、うん、そうかもね。場所と人に恵まれたのかな」
「え、マジで!?」
佐藤が、身を乗り出してくる。
「なんだよ、どこで、誰と!?」
「秘密」
「ケチ!」
「秘密、ですか。……そう言われると気になりますね」
一ノ瀬さんが、悪戯っぽく目を細める。
僕は二人のやり取りを聞きながら、思わず、遠い目をしてしまった。
あの、温かい引き戸の向こうの光景が、頭の中に浮かんでは消えていく。
「……無花果先輩」
一ノ瀬さんの声が、少しだけ、こわばっていた。
「今の目、なんかヤバかったですよ」
「え?」
「なんていうか、目の焦点が行方不明です」
「そんな大袈裟な」
僕は、笑ってごまかしながらも、視線を少しだけ、皿の上に落とした。
その一瞬の間に、一ノ瀬さんは佐藤とちらりと視線を交わした。何かを確かめ合うように。
「なあ、無花果」
佐藤が、努めて明るい調子で、話を変えるように言った。
「まあ、いいことがあったなら、それでいいけどさ。とりあえず、今日は飲もうぜ!」
「そうだね」
その夜は、それ以上、その話題に触れられることはなかった。僕は、二人がその後、こっそりと目配せを交わしていたことに、まったく気づいていなかった。
――数日後――
「なあ、一ノ瀬ちゃん」
昼休み、給湯室で、佐藤が声をひそめて言った。
「あの日の無花果の目、お前も見ただろ」
「見ました。あれは、絶対何かあります」
一ノ瀬さんも、真剣な顔で頷いた。
「怪しい宗教とか、そういう系じゃないですよね……?」
冗談めかしてはいたけれど、その目には、ほんの少しだけ、本気の色が滲んでいた。
「いや、それは俺も思った。『場所』と『人』って……完全に、その手の入り口の台詞じゃん」
「無花果先輩、優しいから、狙われやすいタイプですよね……」
「だよな。俺たちでちゃんと確認しといた方がいいと思うんだよ……あと、無花果に何かあったら、明日から誰が俺の仕事を手伝ってくれるんだって話もあるけど」
佐藤は、缶コーヒーを片手に、決意を固めたように頷いた。
「今度、無花果が早く帰る日、こっそりついていこうぜ」
「え、それ、大丈夫なんですか?」
「大丈夫だって。部長も最近業務配分きっちりしてくれてるし」
一ノ瀬さんは、少しあきれた表情をしつつも迷うように視線を泳がせて、小さく頷いた。
「……分かりました。無花果先輩のためですもんね」
「よし、決まりだな」
こうして、二人による、ささやかな"尾行作戦"が、静かに幕を開けることになった。




