第24話「みやこやの舞台裏」
――第一話の夜、無花果が『みやこや』を出た後――
私はカウンターを拭きながら、奥から出てきたまどかに声をかけた。
「どうだった、あの子。個人的にはいい子だと思うんだけどねぇ」
「そうですね。働きアリの法則で言えば、ほぼ100パーセント働き続ける側の2割に入りそうな方でしたね。加えて、ある程度の協調性があるから、2割から永遠に逃れられないような」
「あんたはまた難しいことを言って。その法則を覆す可能性のある子かもしれないんでしょう……で、正直なところは?」
彼女は、感情の起伏を感じさせない、淡々とした声で
「私の書いた『メニュー短冊』を読めてましたし、味覚誘導への感度も高い。サンプルとして、申し分ないですね」
「そういう言い方しかできないのかい、普通に期待できそうと言えばいいのにさ」
私は、面白がるように、目じりを下げながら、
「いい子なんだから、あまり無茶をしちゃ駄目だよ」
「安心してください。ブラック企業に勤めていることを考慮すれば、ある程度の結末は予想できます。手に負える時点で対処するので、問題ありませんよ」
そう言いながら、悪びれもせず座席に着く。私は少し呆れながらも、ふと気になっていたことを聞いてみる。
「そういえば、あの子の呼び方をすぐに『お兄さん』から『無花果さん』にしてたけど……そんなに気に入ったのかい?」
「気づきましたか」
「そりゃあねぇ。なんだっけ、あんたの主義、興味があれば『固有名詞』、おかあさんである私は、『名前』で呼ぶってやつ」
「……かけがえのない宝物は、『名前』で、興味があれば『固有名詞』、それ以外は『代名詞』ですよ。遥叶さん」
まどかは、ペン先を軽く指先で回しながら、少しだけ笑った。
「視覚も味覚も良好であり、人のことを信じやすい。そうそういませんからね。観察対象として認識するには、十分ですよ」
「観察対象ね。あんたも結構楽しそうにからかってたじゃないかい」
「……そんなことありません。あれは、限られた時間で相手から信頼を得るザイオンス効果を試しただけです」
「あらあら、まだ一回しか会っていないでしょう。あんたに付き合わされるあの子も、これから大変そうだねぇ」
「何言っているんですか、付き合ってあげるのは私ですよ」
そう言う彼女の横顔を見ると、研究者の顔の下に、ほんの少しだけ、何かが揺れているような気がした。
――別の日の夜――
「そういえば、あんた」と、私はふと思い出して尋ねた。
「あの子の前では、私のことを『お母さん』って呼んでくれるよね。いつもは『遥叶さん』でしょう。なんだい、私は宝物から降格したのかい?」
私が揶揄いながらも、どこか優しい声で聞くと、まどかは心外だとでも言うように、軽く眉を寄せた。
「いつもは、そう呼んでほしいと言うくせに、呼んだら呼んだで面倒ですね」
そう言いつつ少し考えるように視線を落として、
「初対面の観察対象の前で、あなたを名字で呼ぶと、少し、説明が面倒になると思いまして。『おかあさん』の方が、通りがいいでしょう」
「本当に、それだけ?」
彼女は答える代わりに、ペン先をこちらへ向けてくるりと回した。
「……あまりしつこいと、目にレモンの汁をかけますよ」
「あら怖い。初恋はレモンの味だったりしたのかな?」
まどかは呆れたように肩をすくめながら、
「……無花果さんはこれから最適化に進みます。もし彼があなたへ好意をもち、それを叶えることを目的とした場合、私の実験が失敗する可能性があります」
さらに面白がるようなトーンで、
「どうするんですか?急に会社を辞めて、あなたと働くために料理学校に通いだしたら」
「あら、それはそれで新しい展開になりそうだねぇ」
まどかが目を細めて遥叶を見つめると、
「けど、それは困っちゃうかな。今の私の願いはそこには無いんだし」
私は、ゆっくりと、噛みしめるように笑った。
「……まだ忘れられてないんですね。いっそ記憶ごと消してもいいんですよ」
「馬鹿言っちゃいけないよ。あんたのおかげで私は、あの人の忘れ形見であるこの店をやっているんだから、もし記憶を消してしまったら、それこそ”あの失敗”の二の舞になっちゃうよ」
それを聞いて静かに笑いながら、
「ふふ、そういうあなただから、私の宝物なんですよ」
「それよりも今は、無花果さんの話だよ。本当にそれだけなのかい」
「さぁ、どうでしょう。それは今後の経過次第ですよ」
まどかは、いつもの調子ではぐらかすと、そのまま奥へと引っ込んでいった。私は、その後ろ姿に、小さく笑みをこぼした。




