第11話「ハッとなります」
数日後、また『みやこや』に立ち寄った。
「あら、無花果さん、いらっしゃい」
いつもの席に座ろうとして、僕は思わず、瞬きを繰り返した。
カウンターの隅に座るまどかは、淡い水色の着物を纏っていた。帯には、細かい格子模様が織り込まれている。髪もきっちりと結い上げ、まるで昭和の女学生のように、時代錯誤なほど楚々としていた。
「……今日、なんか雰囲気違わない?」
「あら、気づきました?」
まどかは、しれっとした顔で本のページをめくる。
「単なる気分転換です。それより、最近、また調子が良さそうですね」
「わかる? 実はそうなんだよ」
先日の「いいチームだな」の一言を思い出しながら、話を切り出した。
「自分の調子もなんだけど、最近部長が本当に丸くなったんだよね。この前なんて、思わずぼそっと、僕らのこと褒めるようなこと言って」
「へえ。それは、興味深いですね」
彼女は、ペンを取ると、手元のノートに何かをさらさらと書き加えた。
「……何それ、今描いてるの?」
「無花果さんを取り巻く相関図を、わかりやすく整理してみました」
覗き込んだ僕は、思わず、目を丸くする。
ノートには、以前見た「三人が部長を騎馬戦のように担ぎ上げている」棒人間の絵から、一本の矢印が伸びていた。
その先には、四人が横並びに肩を組み、1枚の壁のように組み合った、組体操の絵が続いている。
「……前から書いていたけど、その絵には何か意味があるのかな」
「大学院のレポートの一環で、社畜の生態環境を子供向けの絵本として報告する必要がありまして」
「絶対嘘だよね」
「どうでしょう?……そうですね、子供が喜ぶように色を付けておきましょう」
そう言うと、棒人間の後ろにそれぞれ、青、赤、緑、紫のオーラのようなものを書き足した。
「それに何の意味が……」
「社会人は、命を燃やしてスーパー社会人になるということを表現してみました」
「子供に間違った知識を植え付けないでよ!?」
「さあ、どうでしょう。商業化に成功したら、お礼になんでも言うことを聞いてあげますよ」
「何でも言うことを聞くって……」
「まどか先生の次回作にご期待ください」
「それ、完結しちゃってるよね」
彼女は、悪びれもせずに、しれっとノートを閉じてしまう。
いつもの、掴みどころのないやり取り。それだけのはずなのに、なぜか今日は、喉の奥に小さな骨が刺さったような、そんな感覚だけが残った。
結局、それ以上何も聞けないまま、僕はぬるくなったお茶を、黙って一口すすった。
――さらに数日後
「あら、無花果さん、いらっしゃい」
「こんばんは、女将さん」
いつもの席に座ると、まどかが軽く手を挙げて挨拶してくる。今日は、黒を基調としたフォーマルなワンピースを着ていた。
「お疲れ様です、無花果さん。何かいいことでもありました?顔がにやけて、大変なことになっていますよ」
「絶妙に傷つくことを……、それがさ、仕事が絶好調なんだよね」
僕は、少し興奮気味に、身を乗り出した。
「今日なんて、いつもの倍の量の仕事が、午前中だけで片付いちゃって。頭が、なんかすごくクリアっていうか、迷いがないっていうか」
「へえ。それは何よりです」
そう言っていつものノートを開き、
「調子がいいときほど何か起きるかもしれませんよ」
と、組体操の絵に矢印を加え、一人が倒れるイラストを追加した。
「不穏なことを言わないでよ……」
一気に不安げな顔になった僕を見て彼女は、どこか楽しげに目を細めながら、スマホを取り出した。
「そんな無花果さんに、元気が出る動画を見せてあげましょう」
「動画?」
「無花果さんが見惚れていた淡い水色の着物を着てた日に、実は大学の友人と撮影をしていたんですよ」
「……はぐらかして、教えてくれなかった時だよね」
「見惚れていたのは否定しないんですね。まあ、とりあえず見てください」
画面に表示された動画には、着物姿の2人が白黒対称の狐のお面を被り、やけにポップなメロディに乗せて、何かの祝詞のようなものを歌っている映像が映っていた。
「……何これ」
「友人と一緒に祝詞を、ポップに歌ってみた動画です。YourTubeに上げようかと思って」
「いや、シュールすぎるでしょ、これ」
「そうですか? なかなかいい出来だと思うんですけど、特に最後の「ハッ」という締めが」
まどかは、満足げに頷きながら、動画を何度か繰り返し再生する。
軽快なメロディと、独特な抑揚の歌声が、耳の奥にじんわりと染み込んでくるような感覚がした。
彼女おすすめの締めの言葉は確かに良く、
「 ハッ 」
という音が初めて聞く音のような、妙に馴染むというか
「……なんか、これ聴いてると、変に落ち着くね」
「あら、良い感想ですね。投稿したら1日100回の視聴がノルマですよ」
まどかは、スマホをしまいながら、
「そういえば、無花果さんは、楽器は演奏できるんですか?」
「急だね、学生の頃にドラムを少しだけ叩いていたけど。社会人になってからは、まったくかな」
「あら残念。昔はドラムを叩いていたはずが、社会人になってからは叩かれる側になったと」
「ひどいな……最近は叩かれていないからね」
ふと、彼女はうっすらと笑みを浮かべて
「そうですね。最近、絶好調とのことですが」
「うん、まさに絶好調」
「それはきっと、順調に仕上がってきている証拠ですね」
「仕上がってる?」
「ええ。このまま行けば、もうすぐ、無花果から三軸さんに進化できますよ」
「……何それ」
「視覚に加えて、聴覚まで、綺麗に整理整頓されつつあるということです。無花果から三軸へ。三位一体どころか一位三体ですよ。おめでとうございます」
そう言うと、まるで表彰でもするかのように、両手をぱちぱちと叩いた。
「褒められてる気がしないんだけど、それ」
奥から女将さんが、顔を出し、
「あら、何かのお祝いかしら。無花果さんおめでとうねぇ」と声を掛けてくれた。
「光栄に思ってください。私の観測史上、最速のペースで仕上がっていますから」
悪戯っぽく笑うまどかの言葉を、僕はいつも通り、軽口として受け流した。
けれど、その夜。
布団に入ってからも、「三軸」という、聞き慣れないその言葉だけが、なぜか頭の片隅に、いつまでも引っかかり続けていた。




