第五十八話 麓の街で
山を下り、麓の街に着いた。
小さな街だが、ギルドの出張所がある。
街道沿いの宿場町で、旅人と商人が行き交っている。
山の上の異常な魔力は、ここでも話題になっていた。
「北の山の魔力、昨日から急に薄くなったって話だぜ。何かあったのかな」
酒場で旅人が話している。
セラたちは奥のテーブルで静かに食事を取りながら、その会話を聞いていた。
“何かあった”。それは自分たちだ。
だが名乗り出る必要はない。ギルドへの報告で十分だ。
◇
セラたちはギルドの出張所に報告書を提出した。
アルドが書いた報告書は簡潔だった。
事実だけを、感情を交えずに。
“北方山脈エルドガルド奥地にて、魔力異常の源となっていた上位魔物を特定し、討伐。パーティ『銀夜の残火』による緊急討伐として報告する。魔物の種別は不明だが、影の腕を四本持ち、広範囲魔力攻撃を使用。詳細は添付書類の通り”
“魔王”という言葉は使わなかった。
アルドの判断だ。“魔王”と書けば大騒ぎになる。
“上位魔物”と書けば、ギルドの調査隊が確認に入り、事実を認定する。
手順を踏む方が、混乱が少ない。
受付嬢が報告書を読み、何度も目を瞬いた。
若い女性で、出張所に赴任して間もないのだろう。こういう報告書を見るのは初めてに違いない。
「これ……本当ですか」
「嘘を書いて楽しい報告書じゃないだろう」
アルドの返答に、受付嬢は慌てて頷いた。
「す、すみません。至急、本部に転送します。鳥便で王都に送ります」
報告書は鳥便で王都に送られた。
正式な確認には時間がかかるだろう。
魔王城の残骸を調査隊が確認し、報告書の内容と照合する。
全てが認められるまで、数週間はかかる。
だが、セラは急いでいなかった。
認められるかどうかは、後の話だ。
やったことは変わらない。
北の山の魔力が薄くなった事実は、既に周辺の村に届いている。
出張所を出ると、セラの胸に静かな達成感が広がった。
魔王を倒したこと自体よりも、それによって誰かの生活が戻ること。
あの出張所の白髪の老人が言っていた。“助けが欲しい”。
その助けが、届いた。
そちらの方が、実感がある。
◇
宿を取り、まる一日休んだ。
セラは部屋の寝台で十四時間眠った。
夢は見なかった。
完全な暗闇。だが前世の暗闇ではない。
ただの、深い眠りだった。
目を覚ました時、窓から午後の日差しが差し込んでいた。
埃が光の中で舞い、ゆっくりと回っている。
穏やかな光景だった。
身体が軽い。
魔力が少しずつ回復している。
左肩の感覚も完全に戻った。指が全部動く。
食堂に降りると、三人がいた。
アルドが剣の手入れをし、レインが弓弦を張り替え、アネスが薬の在庫を確認している。
日常だった。
魔王を倒した翌日なのに、やっていることは普段と変わらない。
武器の手入れ。補給の確認。次の行動の準備。
それが、なぜかとても嬉しかった。
特別な日が、普通の日に続いている。
英雄的な行為の後に、日常が戻ってくる。
それが”生きている”ということだ。
「おはよう。十四時間寝てたぞ」
レインが笑う。
「……そんなに」
「アネスが”起こすな”って見張ってた。食事の時間になっても”まだ駄目”って」
アネスが肩をすくめる。
「魔力枯渇の後は睡眠が一番の回復薬。当然でしょ。起こして悪化したら意味がない」
セラは椅子に座り、出された茶を飲んだ。
温かい。普通の茶。普通の味。
魔王城の後では、普通であることが贅沢だ。
普通の味の茶を、普通の食堂で、普通に飲める。
アルドが手入れの手を止め、言った。
「明日、南に向かう。街道を戻って、最寄りの大きな街でギルド本部への正式報告を出す。……それと、途中で勇者パーティとすれ違う可能性がある」
セラの手が一瞬止まった。
茶の杯を持ったまま。
「……はい」
「すれ違ったら、どうする」
セラは茶を見つめた。
琥珀色の液面に、窓の光が映っている。
「何も言いません」
「何も?」
「はい。私たちが魔王を倒したことを、ユリウスに伝える必要はない。彼が知るのは、ギルドの報告書を通じてでいい。私から言葉をかける理由がない」
アルドは頷いた。
「分かった」
レインが首を傾げた。
「言いたいことないのか? “お前が来る前に片づけたぞ”とか。“四人目がいなくても勝てたぞ”とか」
セラは小さく首を振った。
「前世のセラなら、言いたかったかもしれない。“私は死んだのに、あなたは何も変わらない”って。“私がいなくても困らなかったんでしょう”って。でも……」
セラは茶を一口飲んだ。
「今世のセラには、もう関係ない話です。ユリウスに認められなくても、証明しなくても、私は私の道を歩いている。このパーティで、自分の居場所がある。それで十分です」
アネスが微笑んだ。
「強くなったね」
「……いえ。強くなったんじゃなくて、支えてもらえるようになっただけです」
アルドが剣を鞘に収めた。
「それを”強さ”って呼ぶんだ。一人で立つのは意地だ。人に支えてもらって立つのが、強さだ」




