第五十七話 山を下りる
三十分の休憩の後、セラは立ち上がった。
まだふらつくが、歩ける。
アネスが隣について、片腕を支えている。
セラの左腕をアネスが取り、肩を貸している。
アネスの身長はセラとほぼ同じで、肩の高さが合う。
裂け目を通り抜けた。
狭い岩壁の間を、一列で。
来た時と同じ順番……ではなく、今回はアルドが先頭だ。
「足元が悪い。俺が先に行く。セラは二番目。何かあったら声をかけろ」
セラは反論しなかった。
自分の限界を受け入れることも、パーティの中では必要な判断だ。
ソロの頃は全部自分でやるしかなかった。
倒れそうでも、休めなかった。休んでいる間に魔物が来るかもしれない。
一人で全部やるしかなかった。
今は、任せられる人がいる。
裂け目を抜けると、エルドガルドの北面に出た。
冷たい風が顔を叩く。
山の稜線が夕日を受けて赤く光っている。
いつの間にか、一日が終わろうとしていた。
朝に城に入って、今は夕方。城の中で半日以上過ごしたことになる。
「今日は山の中で野営だな」
アルドが風除けの岩場を見つけ、そこに決めた。
三日前の登り道で使った岩棚の近く。見覚えのある場所だ。
◇
火を焚き、簡素な食事を取った。
乾燥肉のスープと硬いパン。
レインが持っていた香辛料を少しスープに入れた。
胡椒の辛みが舌を刺し、身体が温まる。
質素だが、魔王城の後では何を食べても美味かった。
身体が食事を求めている。胃が動き、舌が味を感じ、体温が戻る。
生きている証拠が、一口ごとに確認される。
食事の間、四人は無言だった。
だが居心地の悪い沈黙ではない。
言葉が要らない時間。全員が同じ疲労と安堵の中にいる。
火の音だけが、夜の山に響いている。
食べ終わった後、レインが火に枝を足しながら言った。
「なあ、セラ。一つ聞いていいか」
「はい」
「魔王の最後の言葉。“怒りで来たのだな”って言ってたろ。あれ、当たってるのか」
セラは考えた。
スープの残りを見つめながら。
「……半分は当たってます。前世への怒りがなかったら、ここまで来なかったかもしれない。怒りが原動力になっていた部分はある」
「もう半分は?」
「リーネを守りたかった。同じことが起きるのを止めたかった。そして……」
セラは火を見つめた。
炎が風に煽られて形を変える。
「前世の自分を、終わらせたかった。前世で死んだ場所にもう一度立って、今度は生きて帰ることで、あの記憶に区切りをつけたかった。死んだ場所で泣いて、それで……前世のセラを弔いたかった」
弔う。
自分で自分を弔う。
火の粉が舞い上がり、夜空に消えた。
「区切りはついたか?」アネスが聞く。
「分かりません。まだ整理できていない。でも、少なくとも……あの場所で泣けたので。前世では泣けなかったから。声を出して泣くことすらできなかった。今世では泣けた。それだけでも、何かが変わったと思います」
アルドがスープの残りを飲み干し、杯を置いた。
「泣けるのは、安心してる証拠だ。安心できる場所があるってことだ」
安心できる場所。
このパーティが、セラにとってのそれだ。
アルドの横。レインの後ろ。アネスの隣。
火を囲んで座っているこの場所が、セラにとっての”安心”だ。
火が揺れ、四人の影が岩壁に伸びている。
夜の山は静かで、星が近い。
魔王城の中の闇とは違う。星がある闇だ。
セラは毛布にくるまり、火の温かさを感じながら目を閉じた。
今夜は眠れる気がした。
前世の暗闇ではなく、星のある暗闇の中で。
◇
翌朝、山を下り始めた。
登りに三日かかった道を、下りは二日で行ける。
だがセラの体力を考慮して、アルドはゆっくりとした速度を維持した。
急がない。急ぐ理由もない。魔王は倒した。
山道を歩きながら、セラは考えていた。
魔王を倒した。
だが、それで全てが終わるわけではない。
魔王の消滅は、世界にとって大きな出来事だ。
北の山脈の魔力が正常に戻り、通行止めが解除される。
魔物の活動が沈静化し、街道の安全が回復する。
物資の流通が元に戻り、困っていた村が助かる。
だが、誰が倒したのか。
ギルドへの報告が必要だ。
そして、勇者パーティが同じ目的地に向かっている可能性がある。
「アルド。報告のことですが」
「ああ。考えてた」
「ギルドには事実をそのまま報告します。緊急討伐として処理してもらえれば、問題ないはずです」
「勇者パーティとの関係は?」
「……接触する必要はないと思います。私たちが倒したという事実だけを、ギルドに報告する。それで十分です。ユリウスに”先にやりました”と伝える意味はない」
アルドは頷いた。
「セラがそう言うなら、そうする」
勇者パーティに対抗心を見せるつもりはない。
復讐でもない。自慢でもない。
ただ、必要なことをやった。それだけだ。




