第五十話 二層目の戦い
二層目に入ると、空気が変わった。
一層目の回廊は静かだったが、二層目には”気配”がある。
壁の向こうに何かがいる。天井の上で何かが動いている。
音ではなく、魔力の波動で分かる。
魔力の密度がさらに濃くなり、灯りの魔法が勝手に増幅される。
セラが抑えないと、光が強くなりすぎて逆に目が眩む。
出力を通常の三分の一に絞っても、まだ明るい。
「ここからは、魔物がいます。前世では甲虫型の上位種が八体。通路の要所に配置されていた。ただ、今回は種類や数が違うかもしれない」
セラは魔力感知を最大限に広げた。
意識を前方に向け、通路の奥まで探る。
反応がある。
前方に四つ。右の通路に二つ。左の小部屋に一つ。奥に一つ。
合計八つ。前世と同じ数だ。
だが種類が違う。
甲虫型ではない。魔力の波形が異なる。
甲虫型の波形は重くて鈍い。硬い殻を持つ魔物特有の、低周波の魔力。
今感じているのは、もっと鋭い。速い。波が細かい。
「前世と違います。甲虫型じゃない。もっと速い魔物です。波形から推測すると……おそらく、獣型。四足歩行で、鱗か甲殻を持つタイプ」
「獣型か」アルドが剣を抜いた。刃が灯りの光を反射して、一瞬だけ白く光った。「甲虫より厄介だな。速いってことは、一撃で仕留めないと追い回される」
「通路の幅は人が三人並べるくらいです。狭い通路なら、獣型の速度を封じられる。アルドさんが前で壁になれば、一度に来るのは一体か二体に限定できます」
セラは頭の中で隊形を組み立てた。
前世の失敗を踏まえて。今世の仲間の能力を活かして。
「アルドさんが前。通路の幅いっぱいに立って、突破を防ぐ。レインさんが後方から、アルドさんの頭の上を越えて矢を射る。私が中央で、左右から来る個体を魔法で牽制と足止め。アネスさんは私の後ろで回復に専念」
「アネスは?」アルドが確認する。
「私の後ろで回復に専念してください。二層目は長丁場になります。魔力場の中で戦闘が続くと、消耗が激しい。回復が途切れると崩れます」
隊形が決まった。
アルドが先頭に立ち、剣を両手で構える。
レインが弓を張り、通路の奥に矢を向ける。矢はあと二十四本。
セラが中央で魔力感知を維持しながら、攻撃魔法の準備をする。
アネスが最後尾で回復の態勢に入る。
前世の勇者パーティの隊形とは違う。
前世では、ユリウスが先頭で単独突撃し、カイルが横で盾を構え、ディーノが後方から支援魔法を飛ばし、セラは最後尾に”置かれて”いた。
“置かれて”いた。配置されたのではなく、置かれた。
戦闘計画にセラの役割はなかった。
“邪魔にならないように”いれば良いとされていた。
今世では、セラが攻撃の要だ。
セラの魔力感知が全ての起点になり、セラの魔法が戦闘の流れを作る。
三人がセラの判断を信じて動く。
◇
最初の二体が来た。
暗闇の奥から、赤い目が二対光った。
低い唸り声。喉の奥から出る、金属を引っ掻くような音。
獣型の魔物。狼に似た形状だが、体表に黒い鱗がある。
肩の高さが人間の腰ほど。筋肉が盛り上がった前足に、黒い爪。
速い。
甲虫型の倍以上の速度で駆けてくる。
通路の床を爪が引っ掻き、火花が散る。
アルドが前に出た。
通路の幅いっぱいに立ち、剣を正面に構える。
一体目が跳躍した。空中から、アルドの顔を狙って。
アルドの剣が横薙ぎに振られた。
獣の突進を剣の腹で受け流し、反転して首筋を斬る。
だが鱗が硬い。刃が滑り、火花が散った。
切れていない。
「鱗がある! 首の裏が弱い! 鱗の合わせ目が首の後ろに集中してます!」
セラが叫ぶ。
前世にはいなかった魔物だが、鱗の構造から弱点を読んだ。
鱗が重なる部分には、必ず合わせ目がある。合わせ目は鱗が薄く、裏側の柔らかい皮膚が露出している。
アルドが体勢を変え、獣が着地した瞬間に下から切り上げた。
鱗の隙間に刃が入り、首の裏の柔らかい肉を裂いた。
獣が甲高い悲鳴を上げ、身体を痙攣させて倒れた。
二体目は、一体目の悲鳴に怯まなかった。
一体目の横をすり抜けて、アルドの左側に回り込もうとする。
レインの矢が飛んだ。
アルドの頭の上を越え、二体目の目を狙った一射。
獣が頭を振ってかわす。矢が壁に突き刺さった。
だがそのかわす動作で、獣の突進が一瞬止まった。
セラの氷の矢が横から来て、後ろ足を凍結させた。
氷が足首から膝まで一気に広がり、獣が床に固定される。
動きが止まった一瞬に、レインの二射目が喉に突き刺さった。
二体、処理。
所要時間、約十秒。
「次は右の通路から来ます。二体。距離は三十歩。十秒後にこの位置に到達します」
セラの予告通り、十秒後に右の通路から獣が二体飛び出した。
通路の角を曲がってくる。速い。だが角を曲がる瞬間に速度が落ちる。
その瞬間にセラの氷壁が通路の半分を塞いだ。
二体が一度に来るのを、一体ずつに分断する。
一体目がアルドに突っ込む。アルドが受ける。
今度は最初から首の裏を狙い、一太刀で仕留めた。
二体目は氷壁を回り込んでくる。
レインの矢が壁の隙間を通って、二体目の前足を貫いた。
獣がバランスを崩し、転倒する。
セラの氷の槍が、転倒した獣の首に突き立った。
四体、処理。
アルドが息を整える。額に汗が浮いている。
だが、表情は安定している。
「セラ、次は?」
「左の小部屋に一体。動いていない。こちらから行く必要があります。通路を進むと、小部屋の前を通過する形になる」
「通過する時に飛び出してくるパターンか」
「はい。前世の甲虫型も同じ配置でした。通路を通過する冒険者の横腹を突く待ち伏せです」
「対策は?」
「小部屋の入口に氷壁を立てて封じます。通過後に、壁越しに攻撃を叩き込む」
計画通りに実行した。
セラが小部屋の入口に氷壁を立て、四人が通過。
通過後、セラが壁の隙間から火球を放ち、小部屋の中の獣を焼いた。
魔力場の増幅で、通常の倍の火力が出た。制御に気を使ったが、狙い通りに着弾した。
五体目。
アルドの腕に、四体目の処理の際に爪傷ができていた。
左腕の前腕。浅いが、血が滲んでいる。
アネスが即座に治癒を当てた。
緑色の光が傷口を覆い、血が止まる。
「大丈夫?」
「かすり傷だ。動きに支障はない。続ける」
六体目は、通路の奥の広間の手前にいた。
セラの魔力感知では、広間の入口で待機している。
広間に入った瞬間に襲ってくる配置だ。
セラは広間に入る前に氷の矢を三本射込み、獣を広間の奥に追い立てた。
追い立てた先にアルドが走り込み、首の裏を斬った。
六体目、処理。
六体を倒した時、セラは気づいた。
前世では考えられなかった戦い方をしている。
全員が全員を見ている。誰一人、孤立していない。
セラの魔力感知を信頼し、アルドが前で受け、レインが隙を突き、アネスが支える。
四人の連携が、歯車のように噛み合っている。
そしてその歯車の中心にいるのは、セラだ。
セラの感知が全てを始め、セラの魔法が流れを作り、三人がその流れに乗る。
前世の勇者パーティでは、セラは”邪魔にならないように”戦っていた。
自分の魔法が味方の邪魔にならないか、常に気を使っていた。
ユリウスの突撃の邪魔にならないように。カイルの盾の後ろに隠れるように。
“邪魔にならない”ことが、セラの戦い方だった。
今世では、セラが戦闘の軸だ。
セラが「次は右から二体」と言えば、三人が信じて動く。
信じられている。頼りにされている。
その差が、胸の奥で静かに燃えていた。
◇
七体目と八体目は、奥の広間で同時に来た。
広間は通路の三倍の幅がある。
天井が高く、壁に魔力の紋様が光っている。
二体の獣が、広間の左右から同時に突進してきた。
セラは二体同時に氷壁で分断した。
広間の中央に壁を立て、左右に一体ずつ分ける。
アルドが左、レインが右。
アルドの剣が左の獣を斬り、レインの矢が右の獣の目を射た。
右の獣が悲鳴を上げ、暴れる。
セラの氷の槍が、暴れる獣の首を貫いた。
アネスは広間の入口で退路を確保し、万が一の撤退に備えていた。
前衛が崩れた時に全員が逃げる道を確保する。
地味だが、最も重要な役割だ。
八体、全滅。
誰も倒れていない。
全員が立っている。
全員が息をしている。
前世では、この二層目でセラは三回倒れた。
一回目は甲虫型の突進に巻き込まれて壁に叩きつけられた。
二回目は魔法の暴発で自分の腕を焼いた。
三回目は魔力枯渇で膝が折れた。
そのたびにユリウスに「遅い」と怒鳴られ、カイルの盾の陰で縮こまっていた。
ディーノには「邪魔なら下がっていてくれ」と言われた。
今世では、セラが「次は右から二体」と言えば、三人が信じて動く。
セラが「首の裏が弱い」と叫べば、アルドが即座に狙いを変える。
セラが氷壁を立てれば、レインが壁の隙間を計算して矢を射る。
信頼されている。
それが、セラの魔法の精度を上げ、判断の速度を上げ、恐怖を抑えている。
◇
二層目を抜けた先に、下り階段があった。
三層目への入口。
暗い階段が、地の底へ向かって続いている。
階段の幅は人二人分。壁は黒い石。手すりはない。
下の方から、微かに紫色の光が漏れている。
魔法陣の光だ。
セラは階段の入口に立ち、闇を見下ろした。
この先に、魔王がいる。
前世で死んだ場所がある。
あの暗い空間が、この階段の下に広がっている。
足が震えた。
膝ではなく、足首から先が。
靴の中で、足の指が丸まっている。
魔力場の影響か。恐怖の増幅。
それとも、これはただの恐怖か。
魔力場に関係なく、前世で死んだ場所に近づけば、身体が恐れるのは当然だ。
「セラ」
アルドの声。
「怖いか」
「……怖いです」
「いい。怖いまま行け。怖くなくなったら、それは油断だ。怖い方が、判断を間違えない」
レインが隣に来た。
弓を肩にかけ、セラの横に立つ。
「俺も怖いよ。言っとくけど。魔王とか、正直聞いた時は冗談だと思った。冗談じゃなかった」
アネスが反対側に立った。
薬箱を腰に下げ、セラの横で微笑む。
「私もね。でも、怖いのは普通のこと。怖くない方がおかしい」
四人で、怖い。
一人で怖いのとは、質が違う。
一人で怖い時は、恐怖が全身を覆って動けなくなる。
四人で怖い時は、恐怖を四分の一ずつ持ち合って、残りの四分の三で動ける。
セラは一歩、階段を踏んだ。
前世の自分が死んだ場所へ、降りていく。
今度は、四人で。




