第四十九話 魔王城の構造
城に近づくと、魔力の密度がさらに上がった。
盆地の端にいた時点で”重い”と感じた空気が、城に近づくにつれて”痛い”に変わる。
肌がぴりぴりする。目の奥が痺れる。
空気を吸うたびに、肺の中で魔力が暴れる感覚がある。
自分の魔力と外の魔力が衝突して、身体の中で小さな嵐が起きているようだ。
アネスが咳き込んだ。
何度も咳をして、目に涙が滲んでいる。
「大丈夫?」レインが聞く。
「……大丈夫。でも、喉が焼ける感じ。空気が辛い」
レインの目が充血していた。
魔導士ではないレインやアルドにも、この濃度になると影響が出る。
「全員、口を覆って。布に水を含ませて、鼻と口を塞いでください」
セラの指示で、四人は水袋から水を出し、布を濡らして顔に巻いた。
魔力は空気中の微粒子に乗って体内に入る。水を含んだ布で濾過すれば、微粒子の一部を捕捉できる。完全ではないが、多少は軽減できる。
前世の知識だ。
ただし、前世ではこの対策を知らなかった。
セラが自力で気づいたのは、城の中に入ってからだった。
一層目の回廊で息が苦しくなり、持っていた包帯を水で濡らして口に当てた。
咄嗟の対処だったが、効果があった。
だがその時、ユリウスたちはもう先に行っていた。
セラの対策を共有する機会はなかった。共有しても、聞いてもらえなかっただろう。
今世では、四人が同じ対策を取る。
◇
城門まで百歩。
紫の霧が足元を覆い、靴の甲が見えなくなった。
霧は冷たい。触れると、指先が痺れる。
セラは霧に手を伸ばし、魔力の密度を測った。
霧自体は毒ではない。だが長時間吸い込めば、魔力酔いの原因になる。
「霧の中は足元が見えません。罠がある可能性があるので、私の後ろをぴったり歩いてください。足を置く場所を指示します」
四人は一列で、霧の中を進んだ。
セラが魔力感知で地面を探り、安全な場所にだけ足を置く。
城門が目の前に現れた。
巨大な黒い扉。高さは五メートルを超える。
扉の表面に、蛇のような紋様が彫られている。
紋様は前世の記憶通りだ。この蛇は魔王の紋章だと、前世でディーノが言っていた。
城門は開いていた。
左右に開いた扉の間から、暗い通路が奥へ続いている。
通路の奥からは、微かに風が吹いてくる。城の中の空気が流れ出している。
甘い匂い。腐敗に似ているが、腐敗ではない。魔力が凝縮した時の匂いだ。
「前世では、門は閉まっていました。ユリウスが聖剣で切り開いた。一太刀で扉ごと両断した」
「今回は開いてる。何が違う?」
「分かりません。ただ、魔王が”待っている”可能性はあります。門を開けて、招き入れている。罠かもしれないし、自信の表れかもしれない」
アルドが剣の柄に手をかけた。
鞘から三分の一だけ抜き、刃の状態を確認してから戻す。
戦闘前の儀式のような動作だ。
「入る。セラ、中の構造を教えてくれ」
セラは記憶を辿りながら説明した。
城門の前に立ち、暗い通路を見つめながら。
「城は三層構造です。一層目は広い回廊。長さはおよそ三百歩。真っ直ぐではなく、何度か曲がります。罠が多い。床の魔法陣、壁から出る針、天井からの落石。全て魔力で起動する仕掛けです」
「それは避けられるのか」
「私の魔力感知で起動前に察知できます。魔法陣は起動する直前に魔力が集中するので、その兆候を読み取れば回避できる。ソロの二年間で、罠の探知は得意になりました。カレイドの森の小型魔法陣より、こちらの方が規模が大きい分、察知しやすいはずです」
「二層目は?」
「護衛の魔物がいます。前世では、甲虫型の上位種が八体。通路の要所に配置されていました。広い部屋が三つあり、それぞれに魔物が待機していた。配置は変わっているかもしれませんが、通路の構造が同じなら、迎撃の位置は限られます」
「三層目が魔王か」
「はい。最深部。下り階段を降りた先に、広い空間がある。天井が高く、柱がない。床に巨大な魔法陣が刻まれていて、その中央に魔王がいる」
セラは一拍置いた。
「前世でユリウスが戦った場所です」
もう一拍。
「……前世で、私が死んだ場所です」
声が僅かに震えた。
だが止まらなかった。
震えを認めた上で、言い切った。
アルドが頷く。
「一層ずつ行く。急がない。セラの判断を最優先にする。セラが”進め”と言えば進む。“止まれ”と言えば止まる。“退け”と言えば退く。異変があったら、即撤退。いいな」
レインが頷く。アネスが頷く。セラが頷く。
四人は城門をくぐった。
暗闇が四人を呑み込んだ。
◇
一層目の回廊は、前世の記憶通りだった。
黒い石の壁。天井は高く、松明はない。
完全な暗闘。人間の目には何も見えない。
セラの灯りの魔法だけが、回廊を照らしている。
光が壁に反射し、黒い石が微かに紫色に光る。
魔力を含んだ石材だ。城そのものが魔力の塊で作られている。
足音が反響する。四人分の靴音が、回廊の奥へ消えていく。
静かだが、無音ではない。
どこかで水が滴る音がする。
壁の向こうで、何かが軋む音がする。
床に魔法陣が刻まれている。
踏めば起動する罠だ。
魔法陣は黒い石に黒い線で描かれていて、目では見えない。
だがセラの魔力感知には、はっきりと分かる。
魔力が陣の形に沿って流れている。踏んだ瞬間に、流れが集中して発動する。
セラは魔力感知で一つずつ位置を把握し、避けて進んだ。
「ここ、右寄りに。左の壁際に圧力板があります」
「次は中央を避けて。三歩先の床全体が魔法陣です。壁際の幅三十センチだけが安全」
四人は一列で進む。セラの足跡を正確に辿る。
アルドがセラの後ろ、レインがその後ろ、アネスが最後尾。
セラが踏んだ場所だけに足を置く。一歩ずつ。慎重に。
途中、壁から針が飛び出す罠が二か所。
セラが事前に警告した。
「この先、壁に穴が四つあります。通過すると針が出る。速度は弓矢と同じくらい」
アルドが盾を構え、先に通過した。
壁の穴から黒い針が四本、同時に射出された。
アルドの盾が二本を弾き、残り二本は反対側の壁に突き刺さった。
針は黒い金属で、先端に緑色の液体が光っている。毒が塗られている。
「前世では、この針でカイルが腕を擦った。毒で半日動けなくなった。カイルの巨体でも効くほどの強い痺れ毒です」
「厄介だな」アルドが針を観察する。盾から針を引き抜き、先端を嗅いだ。「解毒は?」
アネスが針を一本回収し、匂いを嗅いだ。
それから、舌の先で極微量を味見する。
「アネス、危ない」
「大丈夫。この量なら舌が少し痺れるだけ。……痺れ毒。致死性は低いけど、筋肉が弛緩する。握力が消えるから、剣も弓も持てなくなる。解毒薬は持ってる。でも、刺さらないのが一番」
回廊はさらに続く。
曲がり角が三回。行き止まりに見える壁が一つ。その壁に隠し通路がある。
セラは全てを記憶から引き出し、四人を導いた。
一層目を抜けるのに、一時間かかった。
前世では三十分だった。慎重に進んだ分、時間はかかるが、誰も怪我をしていない。
前世では、この時点でセラが一本の針を踏んでいた。
隠し通路の入口にあった床の罠を、暗闇で踏んだ。
足首に針が刺さり、痺れが残った。
右足の感覚が鈍くなり、まともに歩けなくなった。
ユリウスは”気をつけろ”と言っただけで、治療はしなかった。
アネスのような回復役はいなかった。
セラは痺れた足を引きずりながら、二層目に進んだ。
今世では、全員が無傷だ。
その差が、セラの胸に染みた。
前世で失ったもの全てが、今世では守られている。




