第四十四話 残す者と、去る者
翌朝、ギルドの掲示板に新しい掲示が出ていた。
“勇者パーティ、南の森深部の殲滅完了。本日をもってカレイド滞在を終了し、明日出立予定”
あと一日。
一日で勇者パーティはこの街を去る。リーネもろとも。
セラは掲示を読みながら、自分の中の時間が動き出すのを感じた。
昨夜、アルドに前世のことを話した。
言葉にしたことで、何かが変わった。
恐怖は消えていない。だが、恐怖の隣に”決意”が立っている。
リーネに、伝えなければならないことがある。
前世の自分が受け取れなかった言葉を、渡さなければならない。
◇
セラたちは最後の哨戒依頼をこなした。
森の東側は落ち着いていた。
勇者パーティが深部の巣を潰したことで、魔物の活動が大幅に減っている。
小型が数体。処理は簡単だった。
哨戒中、セラはいつもより集中できた。
昨夜、前世のことを言葉にしたせいだろうか。
胸の中の重りが、少しだけ軽くなっている。
消えたわけではない。ただ、重さの正体が分かった。
正体が分かれば、持ち方を変えられる。
抱え込むのではなく、脇に置くことができる。
レインが木の上から降りてきて言った。
「今日のセラ、動きがいいな。昨日までと全然違う」
「……そうですか」
「ああ。足の運びが軽い。呼吸も深い。何かあったか?」
「少し、整理がつきました」
「そうか。整理がつくと人は軽くなる。荷物を下ろした馬みたいにな」
馬に例えるのはどうかと思ったが、悪い気はしなかった。
◇
昼前、東側の哨戒を終えて森の外に出た時、偶然リーネと鉢合わせた。
リーネは一人で、市場の端にいた。
薬草を買い足しているらしい。荷袋を抱えて、露店を回っている。
足首はもう庇っていない。普通に歩いている。
だが表情は疲れていた。
目の下の隈は一昨日より濃く、頬が少しこけている。
食事を摂れていないのだろう。
セラは足を止めた。
胸の中で、二つの感情がぶつかる。
行くべきだ。
行きたくない。
アルドが背中を軽く押す。
物理的にではなく、視線で。
“お前が決めろ”という目。
代わりにやってはくれない。でも、見ている。
セラは歩いた。リーネの方へ。
自分の足で。自分の意思で。
「リーネさん」
リーネが振り返る。
セラを見て、少し表情が緩んだ。
「あ……セラさん。昨日はありがとうございました。ユリウスさんたちが来て、そのまま……ちゃんとお礼が言えなくて」
「足、大丈夫ですか」
「はい。もう痛くないです。アネスさんの治療、すごいですね。こんなに早く治るなんて」
笑顔を作っている。だが目の下に隈がある。眠れていないのだろう。
昨夜、何があったのか。ユリウスに何か言われたのか。
聞きたいが、今は聞かない。
セラは隣に並んで歩いた。
露店を見ながら、何気ない会話を装う。
「薬草、自分で買い足すんですか」
「はい。パーティの消耗品は、私が管理してるので……。昨日の戦闘で結構使ったみたいで、補充しろって言われて」
「魔導士なのに」
「え?」
「魔導士が消耗品の管理をするのは、本来の役割じゃないです。戦闘前の魔力の調整や、支援魔法の準備に集中した方がいい。消耗品の管理は前衛がやるか、全員で分担するのが普通です」
リーネの手が止まった。
薬草の束を握ったまま、セラを見ている。
小さな声で言う。
「でも……他に誰もやらないから」
「誰もやらないのは、あなたに押しつけてるからです。やらない人がいるのではなく、やらせている人がいるんです」
言い方がきつかったかもしれない。
リーネの目が少し見開かれた。
セラは一拍置いて、声を落とした。
「ごめんなさい。強く言いすぎました」
「ううん。……なんとなく、分かってたんです。自分でも。でも、分かってるのと認めるのは違って……。認めちゃうと、全部が崩れそうで」
リーネは薬草の包みを抱え直した。
両腕で荷袋を胸に抱えている。
荷物にしがみついているように見えた。
「分かってるのに、変えられない。変え方が分からない」
「変え方が分からないのは、変えた後の場所がないからです」
セラの言葉に、リーネが足を止めた。
市場の雑踏の中で、二人だけが立ち止まっている。
「変えた後の場所……」
「あのパーティを出た後、どこに行くか。何をするか。それが見えないから、動けない。今いる場所がどんなにつらくても、“ここしかない”と思うと動けなくなる」
前世のセラもそうだった。
勇者パーティから抜けるという選択肢は、考えたことすらなかった。
抜けた後の自分が想像できなかったから。
行く場所がない。戻る場所がない。受け入れてくれる場所がない。
だから残った。最後まで残って、捨てられた。
リーネの目が揺れる。
薬草の包みを握る手が、白くなっている。
「でも……私は選ばれて入ったんです。推薦してくれた先生にも、学院にも、恩が……。勝手に辞めたら、先生の顔に泥を塗ることになる。先生が推薦した生徒が逃げ出したって……」
「恩は、命を差し出す理由にはならない」
セラの声は静かだったが、強かった。
前世の自分に向けて言っている言葉でもあった。
リーネが息を呑む。
「……命?」
「あのパーティの戦い方は、四人目を消耗品として使う形です。危険な場所に残す。撤退時に置いていく。今はまだ怪我で済んでる。でも、いつか済まなくなる」
はっきり言った。
オブラートに包んでも伝わらない。
言わなければ伝わらないことがある。
前世の自分が言ってほしかった言葉を、今、リーネに渡す。
リーネの目に涙が滲んだ。でも、今回は泣かなかった。
唇を引き結んで、セラの目を見つめ返した。
泣く代わりに、聞いている。受け取ろうとしている。
「セラさん。なんで……ここまで言ってくれるんですか。昨日会ったばかりなのに」
セラは答えを探した。
前世の自分と重なるから。同じ席に座っているから。同じ結末を見たくないから。
自分が死んだ場所に、別の誰かが立っているのが耐えられないから。
全部本当だが、全部は言えない。
だから、言える部分だけを選んだ。
「……似た経験があるから。私も、あなたと同じ場所にいたことがある。だから分かる。今あなたが感じてることが、どういう形をしてるか」
嘘ではない。
“前世で”とは言わない。でも、嘘ではない。
リーネは長い間セラを見つめた。
栗色の瞳が、セラの灰色の目を映している。
それから小さく頷いた。
「……考えます。ちゃんと、考えます」
「それだけで十分です」
セラはそれ以上言わなかった。
決めるのはリーネ自身だ。
セラにできるのは、選択肢があることを伝えることだけ。
“ここしかない”は嘘だと教えることだけ。
そこから先は、リーネの人生だ。
◇
宿に戻ると、レインが窓辺に座って矢じりを研いでいた。
砥石の音が、静かな部屋に響いている。
「話してきたか」
「……聞いてたんですか」
「遠目にね。声は聞こえてない。でもセラが珍しく自分から動いたの、見えた。市場の端で二人で立ち止まってたろ」
セラは頷いた。
「何を言ったかは聞かない。でもセラの顔が、行く前より楽になってる。それで十分だ」
レインは矢じりを光に透かし、刃のラインを確認した。
それから付け足す。
「あの子、いい目してたぞ。戻っていく時の背中が、来た時より少し伸びてた」
レインの観察眼は、弓使いのそれだ。
距離のあるものを、正確に見る。
アネスがテーブルの向こうから言う。
「で、あの子は?」
「考える、と言ってました」
「いい答えだね。すぐに”分かった”って言う子より、考える子の方が強い。考える力がある子は、答えを出せる」
アルドが地図を畳みながら頷く。
「セラが言えること言ったなら、あとはあの子次第だ。こっちにできるのはここまでだ」
ここまで。
セラはその言葉を受け入れた。
全てを救うことはできない。前世でそれを学んだ。
全員を助けることはできない。手の届く範囲は限られている。
でも、手を伸ばすことはできる。
伸ばした先を掴むかどうかは、相手が決める。
それでいい。
それでいいと、今は思えた。
前世では、手を伸ばしてくれる人がいなかった。
だから今世では、自分が伸ばす。
掴まれなくても、伸ばした事実は残る。




