ep.206 咲姫の名を呼ぶ
火台のまわりに、人が集まっていた。
老いた者も、子どもも、
町を離れていた者も、
語りを知らなかった者も。
咲姫は、火台の前に立っていた。
風の咲姫が舞ったという、あの場所。
今は、咲姫自身の足で立っている。
ミナが、そっと背中を押した。
「大丈夫。
咲姫の声は、もう町に届いてるよ」
咲姫は、深く息を吸った。
「……私は、咲姫です。
この町の語り手として、
今日、ここに立ちます」
ざわめきが、静まった。
咲姫は、語り始めた。
風の咲姫の灯りのこと。
語られなかった咲姫の手紙のこと。
町を離れた者が戻ってきたこと。
それは、誰かの記憶を呼び起こし、
誰かの沈黙をほどき、
誰かの涙を誘った。
語り終えたとき、
しばらくの静寂があった。
そして——
ひとりの子どもが、ぽつりとつぶやいた。
「……咲姫」
それに続いて、誰かが呼んだ。
「咲姫」
「咲姫さん」
「咲姫さま」
「咲姫……!」
町のあちこちから、
咲姫の名が呼ばれた。
それは、ただの呼びかけではなかった。
語りを受け取った者たちが、
語り手の名を、声にして返していた。
咲姫は、そっと目を閉じた。
風が吹いた。
火台の灯りが、やさしく揺れた。
『縁の章・陸
咲姫の名を呼ぶ。
語りが町に届くとき、
語り手の名は、
ひとりのものではなくなる。
それは、町の声となり、
町の記憶となる。』
“縁の章”第六話は、咲姫の名を呼ぶ。
咲姫が初めて、町の前に立ち、語りました。
その語りは、町の人々の心に届き、
咲姫の名が、町の声として呼ばれる瞬間が生まれました。
語り手の名は、ただの肩書きではなく、
町とともにある“声の器”。
次は、町の人々がそれぞれの語りを持ち寄る回へ。




