第八話 更新日は昨日でした
王室晩餐の朝、旧関税会館には二つの旗が掲げられた。
川側の入口にはオルデル王国旗。市場側の入口には、隣国使節を迎えるための市旗。どちらから入っても中央食堂へ着き、どちらからでも相手の前を通らず帰れる。
私は席次表を確かめ、最後の名札を置いた。
共同責任者、リディア・ヴァルト。
アーレンの名はない。王室典礼局から届いた任命書にも、給与明細にも、出生名が記されている。書面のたびに胸が震える時期は過ぎ、今は自分の名として読めた。
午前の確認を終えるころ、マルタ王妃が予定より早く会館へ到着した。非公式の訪問として侍女を一人だけ伴い、まだ花を置いていない食堂を歩く。
「リディア。今夜の面会について確認させてください」
王妃殿下は私を窓辺へ呼び、マティアスにも残るよう告げた。
「選べるのは三つです。晩餐後、私たちと同席して話を聞く。あなたは席を外し、陛下だけが手紙を預かる。面会そのものを断る。昨日の返事を変えても、誰も責めません」
「アーレン公爵閣下には」
「面会が確約ではないと伝えています。途中であなたが退席すれば、話はそこで終わりです」
王妃殿下は、謝罪を聞くことを寛大さの証にしなかった。公爵の後悔が深いとも、やり直すべきだとも言わない。
「私は同席して聞きます」
自分の答えを口にすると、隣のマティアスが一度だけ頷く。
「場所はどちらになさいますか。王族控室なら扉が一つ、会館の相談室なら二つです」
彼が示した図面には、相談室から廊下と中庭へ出る扉がある。
「相談室でお願いします」
「承知しました。私は陛下がお求めになれば同席しますが、必要なければ外におります」
「同席していただけますか」
マティアスは喜びを見せなかった。
「はい。あなたが求める間だけ」
王妃殿下が私たちを見て、静かに笑う。
「では、そのように整えましょう。返事をするために、今夜の仕事を急ぐ必要はありません。料理を運び、客を見送り、それからでよいのです」
晩餐は夕刻に始まった。
二つの入口から来た三十六人は、中央食堂で一つの卓へ着く。河川の通行料をめぐって争う商人たちの間には、両方の町に倉庫を持つ老婦人を置いた。隣国使節の隣には、彼の幼い娘が好む物語を翻訳した学者がいる。
食事の禁忌は、本人の同意を得た一覧で厨房と共有した。給仕は理由を知らず、必要な皿だけを正しく運ぶ。
最初の一皿が下げられたとき、マティアスが卓の向こうから目を合わせる。問題はない。私は合図を返し、自分のスープを温かいうちに飲んだ。
陛下が通商協定の続きを切り出し、客たちは食事の間にも言葉を交わす。誰も声を荒らげず、席を立たない。何も起きない卓を作ることが、私の仕事である。
けれど今夜は、その何も起きない時間に私の名と報酬がある。
主菜のあと、ゲルダ典礼官が立ち、会館と共同責任者へ謝辞を述べた。
「本日の席次、献立、情報管理は、リディア・ヴァルト共同責任者の判断によるものです。王室典礼局は、過去に無償の協力を当然としてきた評価をここに訂正します」
拍手は短く、正式だった。
私は立って礼をする。アーレン公爵夫人として夫の後ろで受けた賛辞とは違う。振り返って誰の功績か確かめる必要がない。
甘味が下がり、客が隣室へ移ったあと、相談室の扉が開かれた。
レオポルト王と王妃殿下、エリーゼ、マティアスが先に席へ着く。私は中庭側の扉に近い椅子を選んだ。王妃殿下は退席の合図を一つ決め、卓上の呼び鈴を私の手元へ置く。
アルノルトは最後に入ってきた。
議長章のない礼装を見たのは初めてである。黒い上着も、公爵家の紋章も変わらない。それでも彼は扉の前で止まり、私が頷くまで椅子へ近づかなかった。
「時間をいただき、ありがとうございます」
声は以前と同じ低さだが、命令の形をしていない。
「お話を伺います、アーレン公爵閣下」
呼称に彼の眉がわずかに動く。
「母上の葬儀へ行かなかったことを謝罪する。代行できる会議を選び、君にしかできない弔いを一人で負わせた」
言い訳は続かなかった。
「君が整えた晩餐を私の信用として使った。三百十二人の事情を君が覚えていたのに、私は一人分も覚えようとしなかった。更新のたびに条件を増やし、それが君の望みか確かめなかった」
彼の手は膝の上で閉じられている。書類も、宝石も持っていない。
「更新日前夜、君の皿が冷えているのを見なかった。翌朝には、契約が終わったあとも次の晩餐を整えるよう求めた。妻の役目だけを取り出せると考えた」
一つずつ、私が覚えていたことを彼の声で聞く。
母の棺へ土が落ちた音。空いた礼拝堂の隣席。冷えた魚の脂。署名欄の横に置かれたペン。
どれも消えない。
けれど、私一人だけが覚えている出来事ではなくなった。
「コンラートの報告不足でも、父から学んだ考え方のせいでもない。私が選んだ。愛を語らなければ相手を欺かないと思い、君から受け取った心遣いには名前をつけなかった」
アルノルトは椅子から立つ。
マティアスが動く気配はない。陛下も止めない。アルノルトは卓を回り込まず、その場で深く頭を下げた。
「すまなかった」
長い沈黙のあと、私は答える。
「謝罪を受け取ります」
彼が顔を上げた。
紺の瞳に、初めて明るさが戻る。エリーゼは私を見たまま口を挟まず、王妃殿下も呼び鈴へ手を伸ばさない。
「あなたが数えてくださったことは分かりました。私が苦しかった理由も、今は理解しておられると思います」
「理解した。遅すぎたことも分かっている」
「はい」
「それでも、伝えさせてほしい」
私は席を立たなかった。
アルノルトの手が、もう一度強く握られる。
「愛している。今度こそ、君が望む夫になる。戻ってきてくれ。」
七年前に欲しかった言葉だった。
初めの一年、私はそれを待った。二年目は、いつか信頼が愛へ変わると信じた。三年目からは期待を小さく折り、契約書の間へ挟んだ。六度目の署名にも、まだ欠片が残っていた。
今、彼は私を見て言った。
義務ではなく、条件でもなく、失う前には口にできなかった言葉を差し出している。
胸の奥に痛みはある。七年間愛されなかったからではない。愛していたのに、伝えずに受け取り続けることを彼が選んだためだ。
レオポルト王がアルノルトへ向き直った。
「歓待を公爵位の備品と数えた時点で、君は契約より先に婚姻を空にした。」
「はい」
「だが、戻るかどうかを決めるのは私ではない」
陛下はそこで言葉を切り、私へ判断を返した。
私はアルノルトを見る。
彼が理解したことを疑わない。反省を演技だとも思わない。私に向けた愛まで否定すれば、今度は私が彼の内側を都合よく決めることになる。
「あなたが今、私を愛していることは信じます」
アルノルトが息を吸った。
「私も、あなたを憎んではいません。ともに過ごした七年のすべてが不幸だったとも申しません」
彼の指がほどける。帰る可能性が、わずかに残ったと受け取ったのだろう。
だから私は、曖昧にしない。
謝罪を受け取ること。愛を信じること。もう人生を預けないこと。その三つは同時に選べる。
未使用の署名ペンは、あの日の机に置いたまま公爵家へ残した。けれど白紙へ署名しなかった決断は、今も私のものだった。
「婚姻契約の更新日は昨日でしたので、今さら愛していると言われても戻りません。」
アルノルトの顔から、期待が消える。
声を荒らげることも、理由を問い返すこともなかった。彼は目を閉じ、短く息を吐く。
「分かった」
「謝罪してくださったことには、感謝します」
「それを、戻るための代価にはしない」
彼は陛下へ礼をし、王妃殿下とエリーゼ、マティアスへも頭を下げた。最後に私を見る。
「リディア・ヴァルト。君の仕事が成功することを願っている」
「ありがとうございます、アーレン公爵閣下」
彼は、入ってきた廊下の扉から退出した。
扉が閉じたあと、誰もすぐには話さない。
王妃殿下が私の手元の呼び鈴を取り、卓の中央へ戻す。
「あなたの返事を聞きました」
それだけだった。
エリーゼは涙を拭わず、私の隣へ来ることもしない。マティアスも慰めを口にせず、相談室のもう一つの扉を開けた。
「客が三組、お帰りの挨拶をお待ちです。私が代わることもできます」
「いいえ。私が参ります」
「では、隣におります」
中央食堂へ戻ると、燭台の火は半分に落とされていた。隣国使節が今夜の席への礼を述べ、商人組合長が次の会合もここで開きたいと申し出る。
私は一人ずつ名を呼び、二つの出口へ見送った。
誰かの妻として作った信用ではない。選び直した名前で引き受け、対価を受け、終える仕事である。
最後に陛下と王妃殿下が馬車へ乗る。マティアスは玄関の内側で待ち、私の代わりに挨拶をしなかった。
その夜、私は誰の妻でもない名で、最後の客を見送った。




