第七話 七年分を数える夜
議長章を返した夜、私は食堂へ七枚の契約書を運ばせた。
長卓に一年目から順に並べる。どの書面も同じ厚さで、同じ位置に公爵家の紋章がある。違うのは日付と、リディアの署名だけだった。
一年目の字は細い。二年目は少し強く、三年目から迷いがない。六年目には、名前の最後でインクが滲んでいる。雨の日だったか、手が震えていたのか、私は知らない。
七枚目には署名がなかった。
更新日の朝から動かしていないペンを、その空欄の横へ置く。彼女の指は一度も触れなかった。使われなかった道具が、私の用意した答えだけを拒んでいる。
「コンラート。客の記録を持ってこい」
家令は一冊の薄い名簿を運んだ。
「これだけか」
「公爵家に残る正式な名簿は、こちらでございます」
頁には氏名、爵位、住所しかない。胡桃を避ける銀行家の妻も、従弟と相続を争う男も、魚を食べない王弟の侍従も、同じ一行で終わる。
「彼女のカードには、何があった」
「私が拝見した範囲では、食事の禁忌、ご家族の節目、同席を避ける方、贈答の記録などがございました」
「何人分だ」
「最後に数えた際は、三百十二名分です」
私は名簿を閉じる。
「彼女は三百十二人を覚えた」
声にすると、数字が役所の統計ではなくなる。それぞれに食べられない物があり、祝う日と、触れてはならない喪失がある。
「私は一人分も覚えなかった」
「旦那様には政務がございました」
「その言葉で七年を片づけるな」
コンラートが口を閉じた。
彼を責めるのは容易である。報告書は毎年、晩餐は滞りなく終了したと記した。夫人が個別に確認したことも、私信を送ったことも、細目には上がらない。
だが私は、報告を求めなかった。何も起きない結果だけを受け取り、仕組みを知ろうとしなかった。
「弔意の控えを」
次に届いた箱には、七年分の書簡の写しが入っていた。
領地の代官の父。取引先の娘。馬車番の妻。私が名を知らない者にも、公爵家の印を押した弔意が送られている。文面は一つずつ違い、亡くした人との関係へ触れていた。
「これは誰が書いた」
「すべて奥様です。旦那様のご署名をいただくには及ばないと判断し、公爵家名義で」
「私の名で、彼女が悼んだ」
母を亡くした彼女へ、私は何を書いた。
箱を探しても、自分の手紙はない。葬儀費用の支出承認と、馬車の使用許可だけが残る。喪主を務める妻へ、公爵家として必要な手配はした。それを誠実だと考えていた。
「葬儀の日の私の予定を読め」
コンラートは手帳の写しを開く。
「午前、河川通商会議。午後、国際晩餐準備会。夕刻、隣国使節との会食でございます」
「代行できたものは」
「いずれも副議長がおりました」
「私に報告したか」
「奥様は滞りなく務められると申し上げました。私は、そのお言葉をそのまま」
「報告が足りなかったと言いたいのか」
家令の顔から血の気が引く。
私は首を横へ振った。
「違う。妻が大丈夫だと言えば、私は大丈夫であってほしかった。確かめずに仕事を選んだのは私だ」
コンラートは深く頭を下げる。
「私も、奥様のお働きを家の内側へ隠しました。例年どおりと報告すれば体面が保てると考えた責任がございます」
「その責任を、お前だけのものにはしない」
食堂の隅に、使用人が私のための夕食を置いた。魚の焼き物と根菜、薄いスープ。客のいない長卓には、温かい料理が一人分ある。
更新日前夜、彼女の皿は冷えていた。
「なぜ、あの夜に取り替えなかった」
「奥様が、会議へ遅れないようにと」
「それでも命じるのが私の役目だった」
料理を見れば、冷えたかどうかは分かる。食べているかも分かる。私は見なかった。
彼女は私の空腹を知っていた。会議が長引く日は軽い食事を執務室へ運ばせ、胃を悪くした冬には香辛料を減らした。私は、それを使用人の仕事として受け取っていたにすぎない。
「彼女は七年、私のために覚え続けた。私は一度も、彼女の好きなものを尋ねなかった。」
コンラートの口が動き、止まる。
「何だ」
「奥様のお母上が、初めての更新日にいらしたことがございます。押し花を差し替える奥様へ、覚えている人の中に、あなた自身も入れなさい、と」
「彼女は何と答えた」
「来年までに、と笑っておられました」
その来年を、私は六度受け取った。
契約書の別紙をめくる。二年目には個人費を増やし、三年目には専用馬車を認めた。四年目は医療費の上限を外し、五年目には領地収入の一部を彼女の管理へ移す。六年目には侍女を増員した。私は年ごとに条件を改善し、よい夫に近づいていると判断していた。
けれど、どれも私が選んだ便宜である。彼女が何を望むか尋ねた記録はない。馬車は客への私信を届けるために使われ、増えた侍女は晩餐の確認を手伝った。彼女個人のために渡したつもりのものまで、公爵家の仕事へ戻っている。
一年目の更新日、彼女が二人で朝食をとれないかと尋ねたことを、私は覚えている。私は定例会議を理由に断り、代わりに宝石を贈るよう命じた。二年目には、もう何も尋ねられていない。その沈黙を、結婚に慣れた証拠と受け取った。
二年目も、三年目も、彼女は自分を後回しにした。私は白紙へ署名が入るたび、契約条件に不満がない証だと判断する。希望が残っている可能性を、一度も考えなかった。
初夜に私が告げた言葉も覚えている。
愛情は不要だ。公爵夫人の義務だけ果たせば、生活と地位は保証する。
父と母が感情の争いで家臣を分けた姿を見て、愛を約束しないことが相手を欺かない方法だと思った。仕事を守り、金を払い、裏切らなければよい。言葉にできないものは、契約の外へ置けば安全だった。
だが契約の外へ置いた負担は、消えない。彼女一人が引き受けた。
私は執務室へ戻り、自分で紙を出した。
復帰の条件は書かない。報酬も住居も、今後の約束も書かない。議長職を失ったことを許してほしいとも記さない。
母の葬儀へ行かなかったこと。働きを自分の信用として使ったこと。毎年の署名を、満足の返事だと決めつけたこと。冷えた皿を見なかったこと。
一つずつ、自分の主語で書く。
最後に、明日の王室晩餐が終わる前、一度だけ直接謝罪する許可がほしいと頼んだ。断られた場合は近づかないとも添える。
手紙を封じ、文化会館宛てに持たせる。返事は夜半に届いた。
晩餐後、国王夫妻と典礼官の立会いがある場所であれば、一度だけ聞く。
リディアの文字だった。
許しではない。戻るという合図でもない。それでも私は明日、初めて契約条件を持たずに彼女の前へ立つ。
口にすべき言葉は、七年前から一つしかなかった。
私は彼女を愛している。
その事実を伝えなかった時間まで、愛の証になることはない。
愛と言わなかったのは、誠実さではなかった。




