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仮想世界での本物

「作戦は夕刻にでも始まるわ」

 昼下がりの基地内。無人の展望デッキで俺と瑠希乃は対峙していた。

 最終決戦の時は近い。いい眺めが見れると連れてこられたデッキからは、うっすらと霞がかった富士山の頂が見えた。

 俺は瑠希乃に向き直る。


「戦闘機の数は問題ないよ。慣れてないパイロットはこの基地の防衛だけに専念させる。陸上部隊との連携なら何とかやれるさ」

「ええ」

 彼女が懸念しているのは、恐らくは仲間の死。

 触れたくない事実だが、俺はせめてもの気休めに、そんな言葉をかけた。


「ハブーヴはこの戦いで成長している。戦う度に行動パターンを変えるアンネームドなんて初めてよ……」

 内心怖いんだろう。それでも瑠希乃は気丈さを崩さない。

 黒いポニーテールに手を掛けると髪留めが解かれ、背中まで伸びた黒髪が美しく揺れた。夕風に煌めく黒に俺はしばし見惚れる。


「確かに……ハブーヴは強くなった。でも、何であいつが強くなったか瑠希乃は分かるか?」

「アトラスが損傷を受けたからでしょ。アンネームドが母艦のストロングホールドを最優先する行動パターンは、既に衆知の事実だから――」

 決戦前なのに下らない問答。瑠希乃は入隊した時に聞いた教練通りの回答を返す。


「いいや、違う。アイツは戦いを楽しみ始めてる。とんでもねえエース揃いのランページとやりあう内に、勝ちたいっていう欲が生まれたんだ。それがヤツの動きが変わった理由だ」

「戦いを重ねる内に空戦そのものを愉しむようになると? アンネームドが? そんな事ある訳ない……」

 瑠希乃は小さく呟いて後ずさる。


「所詮、アンネームドはプログラムに支配されて動いているのよ? 生き物じゃあるまいし、そんな感情を持ち合わせるなんてありえない」

 瑠希乃は俺の方を見ずに呟く。それはまるで、自分に言い聞かせているようにも見えた。


「ソースはある……俺だ」

「はぁ?」

 俺を横目で睨みつける瑠希乃。素が出始めていてちょっと怖いけど、俺は引き下がらない。


「俺自身がこの戦いをする内に楽しくなっちまったんだから、そうなんだよ。『好きこそ物の上手なれ』とか言うじゃないか、多分それだ」

「大澄君。貴方は……何を言って」

 電子の空に上がってからずっと心の片隅にあった感情。

 その気持ちを瑠希乃に打ち明けるのだが、彼女は理解しがたいという顔のまま。


「なあ瑠希乃。俺は多分、ぶっ壊れてるんだ」

「え?」

「だって……俺もあの空戦で高揚したんだ。強い敵と本気で戦いたいと思ってワクワクしてしまったんだよ。他の皆が死ぬかもしれないのに……そんなの、おかしいだろ?」

 最初は義務感だった。黙って助けを待つ、そんな生き方でいいのかと己に問いかけた。

 その結果が解放軍アライドのHF乗りとしての現在だ。


「俺は皆を救いたい、そういう崇高な務めがあると信じ、飛んできた。けど――」

 信念だと思っていたモノは、全く別種の理由から来ている事も知ってしまった。


「空戦にのめり込む程、自分でも考えられない機動が出来たんだ。一歩間違えれば撃墜されるのに……俺とハブーヴは多分同じ、この空での殺し合いに自分の意義を見出してるんだよ」

 自分でも驚くほどにスラスラと出てきた本音。瑠希乃は苦々しげな顔で聞いている。


「それはこの世界……非現実が日常になってきたからでしょ。私だって多少は慣れてきたし」

「長束の顔見たか? あいつ……最期に笑ってたよ」

 憑き物の取れたような、そんな表情。最後に見た長束は、全てから解放された顔をしていた。

 しかし、本当にそれだけだったのだろうか。

 彼もまた、この狂った世界で空戦に明け暮れる一人のエースだったのだと、俺にはそう思えて仕方がない。


「瑠希乃。俺は向こうの世界じゃ生きてる気がしなかった。こっちに転移して、HFで空を飛んで……それで、ようやく生きてるんだって。そう実感してるんだ」

「貴方は何を言ってるの……」

 怯えるような瞳で瑠希乃は俺を見る。彼女の握り締められた手が胸元に置かれていた。

 この世界でも変わらず動き続ける、自らの鼓動を確かめるかのように。


「俺はさ、瑠希乃。向こうの現実世界だと死んでるようなものだったんだ。自分の居場所だって言える場所は無かったし、明確な目標も無かった。それはこっちに来てからも同じでさ――」

 毎日、リアルに再現された天空橋高校で、ただ無意味な毎日を繰り返すだけだった。


「その俺が、今は生きているのを最高に楽しんでる。ここは偽物の仮想世界なのにさ」

 向こうでは自分の価値さえ見いだせなかった俺が、今ようやくこの世界で手にした物。

 それは、多くの他の人にとっては取るに足らない、くだらない『こだわり』みたいなものなのかもしれない。それでも俺は、眼前の少女に言わずにはいられなかったのだ。

 自分が信じるに足る、大澄春人が存在する証。それを口にして形にしなければ、いけないと思ったのだ。


「……もし、ハブーヴを落とす事が出来たなら。その時初めて、俺は満足できるんだって思う」

「何に?」

 問いかける瑠希乃の顔は猜疑心に満ちていた。

 無理も無い。こんな空戦中毒は俺だけだ。それでも、俺は自分の本心を打ち明け続ける。

 これから待ち受ける決戦。俺はハブーヴに落とされるかもしれない。

 それでも……


「俺が生きてたって事。生きてて良かったって思えて初めて、俺は自分に満足できるんだよ。例え、ヤツに落とされて命を失ったって、それは変わんないと思う」

「大澄君!」

 不意に、瑠希乃が視界から消えた。一瞬何が起きたか分からない。


「私はね……大澄くん! 例え電子世界でも、貴方は大澄春人なんだよ。テンペスト1じゃない。一人の人間なの」

「瑠希乃……」

 俺の胸に飛び込み、嗚咽混じりの声を上げる瑠希乃。


「君という人が世界からいなくなったら、それで悲しむ人間もいるんだってこと……分かってよ! 私はそんなの絶対にイヤ!」

 まさか、彼女がここまで俺を大切に思ってくれているだなんて、想像もしなかった。


「でも、俺はもう怖いって思えないんだ。そうでなきゃ、ハブーヴや瑠希乃達からも、とっくに逃げてる」

 逃げ出した避難民で仙台の街はごった返していると言う。多分、その中に俺がいる未来もあったのだろう。

 だが、俺は今確かにここにいる。HF乗りとして、解放軍で戦う存在として。

 それはきっと、俺が空戦中毒になって自分の命を蔑ろにしているからだ。


「違うわ。大澄君は壊れてなんかないよ」

 その考えを見透かしたかのように、瑠希乃は頭を振った。指が背中に食い込む。


「何で……何でそんな事言いきれるんだよ」

 しかし、それでも俺は素直に首を縦に振れなかった。


「あのブリーフィングで貴方が発破を掛けなければ、多分、皆の心はくじけたままだったから」

 瑠希乃は眼に涙を溜めて、こちらを見上げる。


「買いかぶり過ぎだよ。俺は皆を焚きつけて、奴と決着をつけようとしてるだけだ」

 友軍の多くが死ぬかもしれないのに、空戦での勝利を優先させようとする俺。

 大義名分の名のもとに、分の悪い賭けを皆に押し付けているのだ。それはきっと、アトラスを落とすという執念に他ならない。

 しかし、仲間を顧みず目標達成に執着するのは、ハブーヴの行動原理と同じにも思える。


「違う……そういうのじゃないって!」

 瑠希乃は黒髪を振り乱しながら、俺の肩を揺する。その必死な声音、表情は恐らく俺が始めて見る瑠希乃の姿で、だから俺は呆然としながら彼女を見つめていた。


「みんな弱腰でも、大澄君だけは諦めないじゃん。いつも誰よりも先行して戦うじゃん! 私はそういうの凄いカッコいいって言ってんの!」

「え……」

「大澄君。私は、君が言った言葉を信じたかった。だから、もう一度立ち上がる事にしたんだよ! きっと、隊長や他の皆だって、きっとそうに決まってる!」

 頭が真っ白になる中で、瑠希乃は俺の心に直接訴えるように声を出し続けていた。


「それに……私はそういう春人が好きなんだって! だから死んでほしくないんだってば!」

 瑠希乃は号泣しながら俺の胸を叩き続けている。そこで初めて、瑠希乃の言う事の意味が分かった。

 彼女がこうも感情を露わにしてまで俺に声をかけ続ける思いの根源が分かった。


「そっか、そう言う事か」

 心の中で様々な過去の情景が過ぎ去る。

 自分が思っている以上に、誰かが俺の事を肯定してくれている。そういう経験は確かにある。

 ほんの些細な思い違いで険悪になった相手から、最後の最後にすまなかったと言われたり。

 俺の事を嫌っていると思っていた相手から、ありがとうと感謝されたり。そのどれもが言われてから初めて気づく。

 人は俺が思っている程、冷たくない。

 だが、それが分かった頃にはもう、彼らはどこか遠くへ過ぎ去ってしまっていた。



「ありがとうな、瑠希乃」

 気づけば俺は彼女の手を握り締めながら、そんな事を言っていた。

 瑠希乃は今この瞬間、俺に本音をぶちまけてくれた。

 彼女の本物とも言える心の声を聞けた。ただそれだけが嬉しかった。


「……」

 瑠希乃は涙をフライトスーツの袖で拭いながら、縋るような眼でこちらを見上げている。


「俺って本音言われるまで、人の言葉に本気で向き合えないんだ、多分」

「え?」

 彼女の優しい泣き顔にほっと救われた気分になる。


「だから良かった。死にに行く前に、君の口から今の言葉を聞けて」

「ばかじゃないの。死んじゃったら意味ないし。生きて勝って帰るんでしょう?」

 そう悪態をつきながら、彼女は必死に笑みを作る。その顔を見ると、こっちまで口許が緩む。


「大澄君って……本っ当に卑屈で、後ろ向きで、少しも素直じゃない」

 涙目の癖に相変わらず剛毅な事を言う瑠希乃。俺は苦笑いしながら謝る。


「じゃあ、勝とう。ハブーヴもアトラスも全部始末付ける。それで皆で帰るんだ」

「うんっ!」

 瑠希乃は今まで見た中で一番可愛らしく微笑んだ。

 こんな状況で俺は鼓動が高鳴るのを感じていた。

 だが、それも束の間。


『おい、ハルト! どこにいるんだよ?』

 そこに突如現れた緊急メッセージのウインドウ。

 見ると、焦った顔の荒城が映っている。


「な、なんだよ。そんなに慌てて」

『スクランブル出撃だ。敵が動き出した!』




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