75.戦の後
最近嗅ぎ慣れた火薬の匂いが濃い。さらに、血と汗、鉄と恐怖の匂い。そして死臭。戦場の匂いって奴だ。
俺はアッセン東のキルグフィッツとオーグラドの国境付近の戦場跡に来ていた。
騎兵が後ろから襲いかかってくる恐れが無くなったから、すぐにフィーナと合流する手もあった。したかった。するべきだったが、ここを守っていた守備隊にフィーナの父ちゃんのラッツがいたんだ。フィーナは気丈に振る舞っていたが、父ちゃんの事が気にならないはずはない。だからここの守備隊がどうなったのか確認しにきた。負けたからって、全滅ってことは無いよな?
戦場跡は酷い有様だった。地面はあちこち抉られ、折れた槍や盾が打ち捨てられ、その上に死体が折り重なっている。全滅と伝えられるのに十分な死体の量だった……くそ!
何か手掛かりは無いかと暫くうろついてみるが、生きている動物は死体を漁る大きな鳥とネズミだけ。死臭がきつくて嗅ぎ覚えのある匂いを探すこともできない。
他に見えるものといえば、戦場から少し東に南北に川が流れていて、その向こうにオーグラドの兵が陣地を作り、大勢詰めているのが見える。
そうだ。もしかして、守備隊は捕虜になっているってこともあるかもしれんな……当たってみる価値はある。多分大勢日本人も居るだろうが、まさか自分たちが攻められるとは思っていないだろうから不意は突けるはず。ひと暴れして捕虜が居るかどうかだけでも探ってみるか。このまま立ってても埒が明かない。
よし、やるか。
『止めておいた方がいいですよ』
俺がオーグラドの陣地に向けて走りだすと、すぐに声がかかった。聞き覚えのある声……騎兵隊とやる前に声を掛けてきた奴か。相変わらず姿が見えないし、声の出処もわからない。あの時と違って隠れる場所は多くない上に、俺が気を張って警戒してたのにまったく察知できないのは、やはり姿を消す能力でも持っているのだろう。
『今、見つかっちまったからか?』
『国境近辺は私達の領域ですので同盟の者が暫く前から監視していました。不意は撃てませんよ』
くそ……!
『んで? 騎兵隊を全滅させた事への文句でも言いに来たのか?』
『いいえ、貴方が今1番欲しい情報を持ってきました』
『……なんのつもりだ?』
『こちらとしても、オーグラド軍の一角を担う軍団に被害を出したく無いのです。貴方も一か八かの死ぬかもしれない戦いはしたくないでしょう?』
あの時と同じく、手を引けって話しか。
『オーグラドと同盟が嫌がるならやってみる価値はあるかもしれねぇなぁ……』
『キルグフィッツの国境警備隊をお探しでしょう?』
……
『そう警戒しないでください』
警戒しない訳が無いだろ。首刈り族が。
『簡単な話しです。この辺り一帯は同盟の監視下にあります。逃げた国境守備隊の場所も把握しています。これをお教えしましょう。貴方はオーグラドを攻めるどころでは無くなり、私達は安全を得る。双方が得をする話です』
確かに良い話だ。お前たちが信用出来ないって点を除けばな。
『……』
『罠をお疑いでしょうか? ですが、考えてもみてください。攻撃するならもうとっくに仕掛けていると思いませんか?』
悔しいがその通りだ。この完全に透明になる能力で待ち伏せでもされてたら、拙いことになったと思う。
『守備隊の位置を知っていながら生かしておいたのは何故だ? 俺に対しての人質になるから見逃していた、なんてはずはないよな?』
『……』
俺の問いかけに声の主は黙りこんだ。ふん、なにかあるな……
『やっぱり信用できないようだな』
『ちょ、ちょっと待ってください!』
初めて声の主が慌てた声を飛ばしてきた。慌てた声は随分と若い印象になるな、こいつ。
『その、私達の上司が……軍の上層部にあえて隠していたのです。だから守備隊は追撃されませんでした』
なんだそりゃ?
『なんで隠していた?』
『そ、それは……上司が、上層部と折り合いが悪くて、わざと報告しなかったようです』
『はぁ?』
胡散臭すぎて逆に信用できる気がするような話だ。
『それに! 守備隊は戦闘能力をほぼ失っていましたし、不穏な動きがあれば日本人だけで十分対処できますから!』
良いこと思いついた風のニュアンスが伝わってくる。急にどうしたんだこいつ? 上司の話が出てからおかしいぞ。う~ん……とりあえず、場所を聞いて当たってみるか? なんか気が抜けた。これが演技で作戦だったら大したもんだ。
『わかったわかった。じゃあ、守備隊の位置を聞こう。合流できたならオーグラドの陣地は襲わない……だが、そっちが手を出してきたら反撃するからな』
『賢明な判断だと思います。守備隊の現在の位置ですが……』
指定されたのは北に連なる山脈の麓の森の中で、ここから西北西の方向、犬の足で半日ほどの地点にある崖の影に潜んでいるそうだ。
『了解だ。じゃあな』
『はい、お気をつけて』
同盟の日本人から気をつけてって言われちゃったよ。
俺は全力で移動した。なんとか監視の目を振りきれるといいんだが……
転移は使わなかった。ハーネス置き去りにしちゃうしね。ショウゴの首の前から転移した時に置き去りにしたのは今回の道すがら回収できたが、国境付近では取りに戻ってくるのは厳しい。
結局森まで不意打ちを食らったり、尾行、監視されている気配は無かった。
森はオーグラド付近だとココ村付近と様子が違って戸惑った。
なんだろう、この木の枝から垂れてる苔っていうか藻みたいなのは。不気味で怖い……。枝から垂れてるの以外にも森全体が苔っぽく、地面もほぼ苔で覆われていた。森がどうやら大きな岩盤の上にあるみたいで、苔はあちこち地面から顔を出している岩の上で繁殖しているようだ。
その苔のお陰で、守備隊の足取りを追うのは非常に簡単だった。人間が踏んだと思われる場所の苔がボロボロと剥がれ、道標のようだ。これなら教えて貰わなくても森に入ったら一発でわかっただろうなぁ。とっておきの情報みたいに言いやがって……まあ、あそこで止められなかったら森の前に敵本陣に突撃してた訳だから、1人で探すよりは効率的ではあったか。
起動しろ、守護の9番。
俺が張った防御壁に木の上から放たれた矢が弾かれた。なんだ、ただの矢か。普通に陽炎で防御しても良かったな。あ、でも防御するだけだったら、こっちの方が燃費が良い気がするな。いいもの奪えたかもしれん。サンキューテミリス。
張りっぱなしの防御壁にまた3本ほど矢が飛んできて弾かれた。このヌルい攻撃……人間だな。ここでかち合う人間は多分守備隊だろう。んー、困ったなぁ。反撃する訳にもいかんし……とりあえず放置で。この守護の9番のテストも兼ねて張りっぱなしにしてみよう。
俺に矢を放った木の上に隠れている人間はどうやら3人。めっちゃ動揺している。まあ、気持ちはわかるよ。
『誰かいませんか~、アルスが助けに来ましたよ~』
どうやらキャンプ地が近いようだから、ダメ元で声を飛ばしてみる。
……
やっぱり駄目だった。返事は来ない。来たのは追加の矢1本のみ。効かないってのにさ~。
まあ、足跡の追跡はバッチリだから、このまま行かせてもらいますかねぇ。
俺が真っ直ぐに守備隊のキャンプ地に向かっている事を察したのか、木上の兵士が焦った様子でまた矢を飛ばしてくるのを全部弾きながら森を北上すると、傾斜が出てきて岩が多くなってきた。そしてついに大勢の人間の気配を感じた。
気配というか、正確に言ってしまうと、臭い。
今まで女所帯に居たから全然そんな事なかったけど、戦った後で体を洗ってない男たちの臭うことといったら……うわぁ、居る場所は明らかだけど近づきたくないなぁ。
……まあ、しょうがない、行くか。
「アルス!?」
「ワンッ!」
よう、フィン。久しぶり。暫く見ない間に臭くなったな。だが、それ以外に怪我をしている様子も無いのはなによりだ。
同盟から伝えられた通り、守備隊は岩がゴロゴロ転がる崖の傍に居た。地面に寝転がって唸っている人間が目立ち、その他の人間もどこかに怪我をしていた。包帯などもしておらず、かなりワイルドな放置っぷりだ。
「フィン、お前、そ、それ、堕ちた獣……!」
「これは俺の村で飼ってた犬で、堕ちた獣じゃないよ。賢くて頼りになるやつだ。何か知らせに来てくれたのかもしれない」
フィンの近くに居た兵士が恐れおののくのをフィンが宥め、リーディンのところに案内してくれた。
キャンプの中を歩くと本当に酷い有様だった。食料も薬も無いだろうからなぁ……。
「アルスか? なぜここに……いや、しかし頼もしいよ」
リーディンは右目に眼帯のように包帯を巻いていて、痛々しく血を滲ませていた。消毒も無い場所でこれはヤバそうだな。指揮官特権ということで真っ先に治しておこう。
陽炎を伸ばしてちょいと回復してやる。
「ん……? これは!?」
リーディンが包帯を外すと、怪我1つない右目が現れた。
おー、驚いてる驚いてる。リーディンに回復能力見せたことなかったっけ? ああ、そういや不意打ちの証拠隠滅に使っただけだったかな……
「右目が、見える……」
「リーディン様、おお……」
リーディンの右目を見て感動してるデカイ人は……確かガスコンだったっけ。ここでも一緒だったのか。
「お前が治してくれたのか?」
「ワン!」
そうともさ。
「そんな、まさか……」
ガスコンがなにか言いたそうだったんで、左腕の矢傷を治してやったら黙った。
「アルス感謝する。騎士として多大なハンデを背負うところだったのだ……しかし、ここに来たのはなにかアッセンであったのか?」
んー、ココ村の人達の安否を確認しに来たんだが。
「声を飛ばせる人間はここには居ないからな……よし、私の質問を肯定するなら1回、否定するなら2回鳴いてくれ。いいか?」
「ワン」
お、いいね。
「アッセンは無事か?」
「ワン」
「我々が抜かれたのだ、オーグラド軍が侵攻したはずだが……援軍が間に合ったのか?」
「ワンワン」
そんなものは影も形もなかったな。
「オーグラド軍が侵攻してこなかったのか?」
「ワンワン」
「アッセンの守備隊がオーグラド軍を撃退したのか?」
「……ワン」
正確には違うけど、説明しにくい。
「まさか! アッセンの守備隊は100人ほどです。砦に篭って守るならともかく、村を守り通せるとは思えません!」
まあ、不思議に思っていてください。ガスコンさん。
「私もそう思うが、我が軍に精霊のお導きがあったのかもしれん……アルス、ここからアッセンまでは安全か?」
「ワン」
「……よし、明日の朝、アッセンへ出発するぞ」
「リーディン様!? こんな犬の鳴き声だけで決められるのは危険です! 偵察を続けて安全を確認するべきです!」
「このままでは私達の身が持たん。どの道出発する必要があったのだ」
「それは、そうですが……」
なんとなく話が纏まりそうだな。アッセンまで移動してくれるなら有り難い。大声でアッセンまで叫んで取り急ぎ食い物とか持ってきて貰おうにも、ここで叫ぶとオーグラドの本陣に聞こえちゃうだろうからなぁ。
とりあえず、寝てる負傷者を治して、移動がスムーズにいくようにしつつ、ココ村の人を探すかね。
ずっとリーディンの近くで控えていたフィンを見ると、手招きをして歩き出した。
ん? なんだ?
ついて行ってみると、リーディンからさほど離れていない場所に懐かしいバーサーカースタイルの男5人が輪になり座り込んでいた。
「ん? アルス、アルスじゃないか!?」
「お前、どうした! 変なもん着こみやがって!」
おお、ココ村の人達か! お久しぶり~。妙に歓待され、総出で撫でられまくる。しかし人数が少ないな。他の人はどうしたんだ? 怪我して寝てる?
「アルス」
俺を撫でるのに参加していないフィンが静かに声を掛けてきた。
おい、止めろよ、そんな、悲しい匂いをさせるな。
「ココ村の生き残りはこれだけだ。フィーナの親父さんは、死んでしまった」




