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リリスの蒸発

 ◆


 まったく、我が創造主ながら呆れる程の強さでフィリスがイーフリートを蹂躙している。その上、魔王に分身を五体も差し向けているのだがら、一体どれ程の魔力を保有しているのか、もはや測る事さえ馬鹿らしい有様だ。

 

 そうは言っても、私も勇者のトオルから魔力をかなり奪った。とすれば、分身体を作ったとしても、あのフィリスと互角に戦う事も可能であろう。

 流石に武器の複製は出来ないが、イーフリートと合わせれば、此方は同時に四つの魔法が詠唱可能になるのだから、決して不利にはならない。

 それに、それで初めてエネルギー総量の均衡が生まれるだろう。


 私は勇者であるトオルの剣戟をかわすと、跳び下がって距離をとる。

 ”ギラリ”と光る黄金の剣は、勇者の頭蓋骨と同色の輝きだ。

 その風圧は壁を割り、私の結界を弾き飛ばしたが、幸い私の肉体を傷つける事はなかった。


 黄金骸骨が空洞眼を私に向けていると、魔王がフィリスの一人を引き裂いていた。

 

「ぐぅっ!」


 小さな悲鳴だったが、魔王が指を”ぱちん”と弾くと、フィリスの下半身が闇に飲まれ、消え去ったのだ。

 それと同時に、下半身を失った胴体からはおびただしい血が流れ、みるみる顔を蒼白にしてゆく一体のフィリス。

 引き裂くと同時に、再生を不可とする呪いもかけたのであろう。

 自らの行為に恐れおののく白骨魔王は、ガタガタと震えながら、残り四人のフィリスに再び対峙していた。

 

「フィリスッ!」


 この為、勇者トオルは私を深追いしようとはしなかった。むしろ、魔王に目を向けて、黄金色の剣に魔力を乗せて突進してゆく。

 その速度は尋常ではなく、足を踏み出した後には爆風が巻き起こる程だ。

 魔王はそのまま震えていたが、とはいえ怯むわけでもない。

 背後から迫る勇者トオルの攻撃を、左手の指で弾くのだから、やはり魔王の戦闘力は圧倒的だった。

 しかも同時に、四人のフィリスの聖棍の打撃は受けている。

 流石にこの時ばかりは無傷といかなかった魔王。何故か前歯を失っていた。


「うおおおん! 差し歯は高いんだよお!」


 前歯が三本ほど欠けた髑髏は若干コミカルであり、勇者のトオルが失笑している。


「いや、死体に歯医者はいらないから。ていうか、再生すればいいだろ」


「再生しても、どうしてか肉は戻らないんだよなぁ」


「俺達、そもそも死体だからじゃないか?」


「え? 完全に生きてると思うけど」


「まあ、死の定義が分からなくなるよな」


「だろう? だから、肉があればなあって思うだろ」


「うん、思うなぁ。俺だって、金色になるより肉体が欲しいもん」


「俺なんか、頑張ると白骨化とか、ヤバイぞ」


 黄金の骸骨と白骸骨が互いに首を傾げあっている。互いに、再生能力に不満があるようだった。

 だから、私が肉体を取り戻してやろうというのだ。頼むから大人しくしていてくれ。

 

 ともかく私は、この隙に自らの分身体を作る事にした。

 魔王の戦闘能力がいくら高かろうとも、エネルギー総量ならば勇者とそこまで変わる訳ではない。

 いや、そもそも互いに無限なのだ。あとは、その出口の広さと使い方の問題である。

 そうであれば、相手のフィリスが八人になった以上、エネルギーの比率は現在あちら側に傾いていた。だから私は均衡を保たねばならないのだ。

 ――いや、今、フィリスは七人に減ったか。だが、それでもだ。


 ――我、リリスは願い請う。唯一無二たる我を原子より再び巡らせて、同一なるモノを再現さえ給え――


 その間にも、魔杖アビッソカラミーヤは、イーフリートの周囲に風の結界を張っていた。

 

 イーフリートがアビッソカラミーヤの唱えた魔法に煽られて、炎の勢力を回復してゆく。だがしかし、それもわずかばかりの時間である。

 所詮、どれ程大口を叩いた大妖精といえども、戦神となったフィリスの敵ではないだろう。

 第一、こと戦いに関してフィリスに勝ちうる者は、もはや魔王だけではないだろうか? 

 そう思えてしまうほどに、フィリスは戦いに特化しているようである。


 ここでいつまでもイーフリートを見ていても仕方が無い。

 私は、私が念じた事によって開いた虚数空間に手を入れて、一掴みの粒子を取り出した。

 取り出された粒子は紫色の輝きを帯びて、ゆらゆらと揺れ始める。


 原始の私は、蠢く思念の塊だった。

 それは即ち、フィリスの怨念とも呼べるもの。そして欲望という名の悪意が私である。

 フィリスが増えれば、それは即ち同数だけの悪意も増えるのだ。だからこそ、私にも私を作り上げる事が出来るのだった。


 私は、手にした小さな私に魔力を通し、再び念じる。


 ――生まれ出よ、魔神リリス――


 私の声に答えたのは、気だるそうな新たなる私。


「ああ、今更生まれても……」


 紫色の光が収縮して消え去ると、緑色の髪と緑色の瞳を持つ大悪魔が誕生した。

 漆黒の翼を大きく広げ、一度だけ”バサリ”と羽ばたくと、柔らかい黒絹の衣服をその身に纏う。

 私は、私に問いかけた。


「嫌、か?」


「嫌なものか。記憶は共有している。貴女の方が、今までよく生きてこれたものだ。さぞや退屈だっただろう」


「ふふ、そうでもない。今更ながら、生に対して多少の未練はあるぞ」


「では、逃げるか? 私が時間を稼ごう」


「別にその為に呼んだわけではない。未来は既に確定している。そこには私の死も含まれているのだ。今更、変更の余地は無い」


 私の前で私は微笑を浮かべている。多分、私も微笑を浮かべているのだろう。


 私と私は、イーフリートとフィリス達の戦場に割って入る。

 アビッソカラミーヤともう一人の私が常に防御しつつ、私とイフリートが攻撃をした。

 聖棍を受ける魔杖は、絶望じみた奇声をたまに発するが、私はそれを見なかったことにする。

 この時、私は本能で理解した。 

 魔杖とは、恐らく封印されたかつての魔王本人なのだ。何者に封印されたのかは、今更知る由も無いが。


「フィリス、時は満ちた」


 私は、ヤサカと名付けたらしい聖棍を振り上げたフィリスの右腕を掴み、囁いた。

 振り上げた聖棍は、イフリートに対する必殺の攻撃だったのだろう。だからこそ、隙が出来たのだ。

 この間も絶え間なく魔杖アビッソカラミーヤは魔法の詠唱を続け、フィリスの胸に風穴を開ける。

 魔杖は、私の思考を正確に読むようになっていた。

 ふと、手元を見れば、私の右手から血が溢れている。これは、魔杖から伸びた触手が私の手の中に入り込み、根を張り巡らせ始めた事に起因していた。


「なるほど。この杖は、術者を取り込むのか――何が、杖単体では魔力を持たない、だ。持っているではないか、持ち主を喰らう魔力を――」


 私は魔杖を睨むと、口の端を歪めて再びフィリスに視線を戻す。


 今は、杖の事など瑣末だった。

 私がフィリスに攻撃した理由は、勝利を望んでの事ではない。単に、会話をするきっかけが欲しかっただけである。


「ぐっ。時、だと?」


 一瞬だけ眉を顰めたフィリスが、不快気に胸元に手を置いた。

 黄金の鎧どころか、背中に在るべき翼さえ失ったフィリスは、口から血を零しながら、私に怪訝そうな瞳を向けてくる。


「そうだ。私の目的は以前と何ら変わり無い。トオルの肉体を取り戻すこと……その時が近いのだ」


「……本当に、可能なのか……?」


 胸元の肉が盛り上がり、輝く背は瞬時に翼を再生させる。まさに神の奇跡を私の眼前で体現しながら、フィリスの表情は不意に揺れた。

 緑の髪が左右に振られて、瞳を閉じたフィリスは下唇をかみ締めている。


「但し、この世界と引き換えになる。どうする、創造主よ?」


「……わ、わからん、わからんのじゃ! 私には、何が正しいのかなど分からんのじゃ!」


 頭を抱え、首を左右に振り始めた一人のフィリス。

 その思考は他の六人とも当然繋がっているため、全員の動きが鈍くなる。

 この効果は絶大だった。

 魔王を囲む四人が一挙に凪ぎ倒れされて、勇者トオルが恥ずかしそうに股間を抑えている。

 どうやら、吹き飛ばされた一人のフィリスが、勇者の股間を直撃したようだ。


「もう、間もなくだ。この危機に、勇者は莫大な質量を誇る技を放つ。無論、それを迎撃しなければならない魔王も、同等の質量をもった攻撃を繰り出すだろう。我等は、そこに上乗せするのだ。そうすれば、再びトオルの魂は時空を超えて、その肉体を取り戻すだろう」


 私の言葉に小さく頷いたフィリス。

 その答えが決まっている事を、私は知っていた。

 何しろ、私がこの場に存在している時点で、フィリスの願いは結局のところ変わっていないのだから。


 ◆◆


 私は努めて冷静に周囲の状況を確認した。

 至る所で融解している大理石は、朱色と黒の混じった禍々しい色になっている。

 当然ながら宮殿全体からも火の手が上がり、もはや手の施しようも無い。この中で生きている者は、既に我々だけであろう。宮廷人や使用人達は皆、何処へなりと逃げ出しているはずだ。

 もっとも、逃げ出したところで崩壊する世界から逃れる術はないのだから、気休めに過ぎないのだが。


 高い天井も次々と崩壊してゆき、今では青空が見渡せるほどである。

 もちろん、途中崩れ落ちる天井や壁は、私も含め、敵も味方も歯牙にもかけず、身体の表面に張り巡らせた結界で弾いていた。

 この戦いに参加している時点で、単純な物理攻撃が通用する者などいないのだ。

 だからこそ、この空間に膨大な魔力を集める事が出来るのだから。


 今、魔王のトオルはフィリスの同時攻撃を見定め、右手を閃かせた。

 それは神の目にさえも止まらぬ一撃で、四人のフィリスは皆吹き飛ばされたのだ。


 私はジェシカを見て、頷いた。

 ガラントも、


「そうすることでしか世界を喰らう事が出来ないのならば、やむをえんさ」


 こういって、私の提案に賛成していたのだから、今、口元を歪めて微笑んでいるということは、敵との間に何らかの交渉が成立したのであろう。


「ウオオオオオオォォ!」


 黄金色の骸骨が今、激しく輝き、明滅している。

 恐らく、属性反転が切れる時間も近いのだろう。

 フィリスが吹き飛ばされたとなれば、いよいよ自身で戦局を立て直さなければ、と焦ってもいるはずだ。


「トオルっ、すごい! フィリス達を腕の一振りで吹き飛ばすなんて!」


 私は魔王に近づき、腕を取って頬を摺り寄せた。

 今、勇者トオルの行動に気が付けば、魔王は迎撃どころか、勇者の攻撃を封じる事さえ可能だろう。

 だから、私に意識を向けさせたかった。


「なんだフィリス、見ていてくれたのか! もっかいキスしてくれ!」


 私は魔王の要求に失笑しそうになったが、考えを改めた。


 ――これで、お別れだ――


 私は、魔王の正面に回ると、並びの良い歯に口付けた。

 結局、絡めるべき舌も無い魔王にキスをしたところで、どうなるというものでもない。


 だが――


 魔王の本心は、人間である事を忘れたくない。だから、人間と同じ行為がしたい。

 そういうことだったのだろうと、今の私は考えていた。


「ウオオオオ! 世界の最果てより来たれ破壊の王! 闇を打ち破る天空の光よ! 静寂の中、蓄えられた我が力よ! 一同に会し、我が敵を滅せっ! 隕石召喚! 核分裂超電磁波動砲!」


 勇者トオルの言葉は、即ち、新たなるプログラムの起動だった。

 過去には存在せず、以後にも存在を許さぬ究極の魔法を作り上げたのだ。

 フィリスに可能な事が、トオルに不可能な訳もない。


「まずい! リリス! あれはまずい!」


「早く迎撃を! 結界などでは防げない!」


 そう、魔王といえども結界では防げない、けれど、相殺することが出来る攻撃が欲しかったのだ。


 魔王は振り返ると素早く印を結び、自らの魔力を練り上げ、高めて究極の魔法を放つ。


「火、風、土、水、全ての精霊に申し上げる。我の前の敵を焼き、なぎ払い――以下省略! 四大精霊覇クワトロ・エレメンタル・アタッコォ!」


 目を見張るような素早い動作の魔王トオルは、既に右腕を勇者の魔法により砕かれていた。

 割れた天井から覗く上空は黒々とした低い雲が垂れ込めて、その中から赤茶色の隕石が降り注ぐ。

 だが、それら全てが魔王に集中しているのだから、いかに魔王必殺の魔法と言えども、その全てに対応することは出来なかった。


 つまり――相殺しきれなかったのだ――


「轟く雷鳴は神々の怒りなり。我は怒りを静めたり。ゆえに怒りは我が敵に向けて放たれよ。来たれ雷神! 極大雷撃トゥオーノ・フォルゴレ!」


 私は雷系の究極魔法を唱えた。

 これは属性こそ単一だが、突破力だけならば魔王の攻撃以上のものである。

 これを上空で旋回する巨大な隕石群にぶつけ、破壊してゆく。


 ジェシカも真紅の輝きを帯びて、アルマに最後の攻撃を放った。

 迎撃するアルマも、究極奥義を放つ。

 ガラントとヤッファも同様だった。

 

 他の者は、それぞれ皆超越しているといえども、あくまでも世界の理の中での事。


 響き渡る雷鳴と共に落ちた隕石に、あえなく潰された赤毛の戦士達。バルバロッサと元ドワーフの戦士は、互いに激しい剣戟の最中、帰らぬ者となった。

 

 バルバリアはダークエルフの娘と共に、結局驚いた風でも無く、好きな茶を飲みながら、大地に飲み込まれた。

 ダークエルフの娘はいっそ、私の雷にその力を上乗せして、大地を揺らしていたのであろう。

 彼女は、滅び行く世界をあるいは望んでいたのであろうか?

 確かに黒竜ギアスは、この世界に対して懐疑的だった。それが彼女の価値観に決定的な影響を与えたのかは、残念ながら解らない。

 ただ、現状に呆気にとられた表情を浮かべつつも、次の瞬間には微笑を浮かべていた。

 そして黒絹の様な艶やかな髪を持ったダークエルフの竜神は、割れた大地の深遠に姿を消したのである。


 辛そうだったのは青髪のエルフだろう。水竜の力を得ていたのだろうが、力尽きようとしていた彼女は、バルアロムに最後の攻撃を撃とうとした所で、ジェシカが放った業火に焼かれた。

 それでも彼女の瞳は未来を見据え、勇者に全てを託そうとしたはずだ。

 だが、きっと神ならば見えるべき未来が、彼女には見えなかったに違いない。

 それも、神だったからこそ。


「なぜ?」


 だから、サラス――といったか? 彼女は疑問を湛えた瞳で炎に包まれ、その身を散らせたのだろう。

 ジェシカの業火は、バルアロムの身にも及んだ。

 やはり、対峙が長引いた為に自らを守る術を失った彼は、私を一睨みすると、大人しく消炭になったのである。

 恨みがましい目で見られても、今更だった。


「気にする事は無い、私も、今、そちらに行くのだから」


 私は、何とはなしに呟いた。

 そして私の身体は上空から迫った淡い光に照らされて、蒸発したのである。 

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