アルマ・バルベリーニの手記(5-2)
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「問答するつもりがない、と言いながら、随分と困ったお顔をされますね」
わたくしの内心を読み取ったのか、激しい斬撃を繰り出しながらも、薄笑みを浮かべて問いかけてくるジェシカである。
まったく、底の見えない女悪魔だ。
「貴様こそ、何故戦う。悪魔ならば悪魔らしく、己の欲望に忠実に生きればよいではないか。何も戦い、苦しむ必要などなかろう?」
わたくしとジェシカは、互いに一旦距離をとる。
どうやら剣の腕は互角だったようだ。
これでは幾ら斬りあっても、決着が付かない。
故に、わたくしは相手の動揺を誘う為に、言葉を発した。
笑みを浮かべ、悪魔を見下した風に言ったわたくしは、中々に高慢な女に見えるはずだ。
ジェシカはどうやら、わたくしの徴発に乗ったようである。
「あら? 私の問いに問いで答えるなんて、アルマさまは、つれないお方ですね。お仕置きしましょう」
ジェシカが再び言葉を発した瞬間である。彼女は予備動作も無く、わたくし目掛けて突進してきた。
同時に魔剣は紫色の弧を描き、わたくしの肩口に迫る。
わたくしはその斬撃をレーヴァデインで弾き飛ばすと、ジェシカの顔面に肘を突き入れた。
剣だけでわたくしが攻撃をすると思ったならば、それは間違いだと教えてやらねばならない。
「仕置きが必要なのは貴様の方だ! 悪魔めっ!」
わたくしは剣を水平に払い、追い討ちをかけた。
しかし、それはジェシカが飛び下がったので避けられてしまう。
とはいえ、わたくしの肘を鼻に受けたジェシカは、その美貌を歪め、顔を左手で覆っている。ダメージはあったようだ。
「クッ……フフフ。痛い、痛いわ。なにかしら、この感じ。とても久しぶりに感じるわ」
押さえられた顔の奥から、不気味に歪んだジェシカの顔が現われる。
目は血走り、けれど紫色の唇は三日月形に歪んだまま。元のジェシカの顔がなまじ美しいだけに、狂気を孕むと、目を背けたくなるほど恐ろしい顔になる。
「ザーク・アル・ロード・セルガルド……いでよ地獄の門、来たれ闇の炎太子……獄炎爆!」
「ば、馬鹿、ジェシカ! やめよ! まだ早いっ!」
「布石でございます、リリスさま――フフ、クフフフハハハ!」
どうやらジェシカという女は、笑いながら怒っていたようだ。
あの女の唱えた呪文は、余程の代物なのであろうか? フィリスにそっくりの女悪魔が、慌てて彼女に駆け寄ろうとしている。
もっとも、その背をフィリスのフレイルが強かに打ちつけたので、駆け寄る事は出来なかったのだが。
【おいアルマ。たしかにアレはやべぇ】
わたくしの眼前に、漆黒の巨大な門が現れた。
両開きの扉は、鋼鉄製である事を誇示しているのであろうが、その表面が”じゅうじゅう”と音を立てて溶け始めている。
つまり、鉄をも溶かす炎が扉の奥にはある、という事だろう。
「フハハハハ! 溶けなさい、アルマ! 私の顔を傷つけた罪を、その醜い死によって購いなさい!」
無茶をいう女だ。
しかし、ヴェルキンさえも危険を告げている。
【いいかアルマ! 今から俺が唱える呪文を復唱しろっ!】
随分と焦っているヴェルキンだ。
どうせあの門が開くと、地獄の業火とやらが溢れ出るのだろう。
だが、此方には水竜神のサラスがいるのだ。最悪の場合でも、何とかなる。
そう思い、わたくしはふとサラスに目を向けた。
――おや?
【おや? じゃねえ!】
どうやら、わたくしの考えが甘かったようだ。
サラスはバルアロムにかかりきりになっている。
少年の様な姿だったバルアロムだが、今では醜い大きな中年だ。
だが、攻撃方法はそれ程変わっていないらしく、自身の周りに無数の球体を浮かべて、そこから閃光弾を放ち、サラスを攻撃していた。
サラスの方も自身の周囲に水の妖精を呼び出して、防御に攻撃にと使役している。
だが、双方が使役している物体の数を見れば、明らかにサラスの方が劣っていた。
となれば、サラスが此方を手助けする余裕はないであろう。
――困った。
【困った、じゃねえ! 早く詠唱を始めろ! なんとかなるから!】
わかった。
わたくしは、ヴェルキンの提案を承諾した。
【偉大なる神ヴェルキン】
「偉大なる神ヴェルキン――」
【その姿は美しく、そして逞しい】
「その姿は美しく、そして逞しい」
なんだか、わたくしは嫌な予感がしてきた。
本当にこの詠唱は、必要なのであろうか?
【疑問をもつな、アルマ! やるんだ!】
「疑問をもつな、アルマ! やるんだ」
【いや、そこはいい! いいか、続けるぞ……
ああ、輝けるヴェルキンさま】
(ヴェルキン、わたくしに何を言わせたいのだ? その辺の件は、絶対にいらないだろう、いい加減にしろ)
【ちっ、ばれたか。いいか、言うぞ。
――我、アルマ・バルベリーニが命ずる。正義の名の下に、遍く星の下にある輝ける光よ。我にその力を貸し与えたえ給え――
これが呪文だ。この時に意識を集中して、周囲から光の力を吸収する。
そして――光輝轟鳴覇――これで一気に解き放つんだ。
こいつはなぁ、俺の超弩級でミラクルな必殺技なんだぜぇ!】
(超弩級でミラクルなヴェルキンの技、という事は理解した。しかし、わたくしの名で命じても、問題はないのか? 超弩級の部分が取れて、ミラクルなだけの技に成り下がらんか?)
【アルマ……気付いてねえのか? てめぇも既に、神の領域にいるんだよ】
(ほ、ほお。ならばもしかして、わたくしも飛べたりするのか?)
【今はそんなこと、どうでもいいだろ! てめぇ、骨のやろうと絡みすぎて、最近頭がおかしいぞ! ほれ、やり方だ!】
うむ。そういわれると、否定のしようもない。
今もわたくしの眼前では、赤々と燃え盛る炎が鉄の扉を焼いている。
もはや扉を開くまでも無く、炎が鉄を融解させるのではなかろうか。
ともかくわたくしは、脳裏に流れてくる手順を理解した。
つまるところ、空間にある光を正義の名の下に集め、力と為す、という事のようだ。
長時間集める事が出来れば、その威力は計り知れないモノになるようだが、それも夜と共に消えるという。
使い勝手が良いようで、場合によってはまるで役に立たない技である。
しかも媒体が必要で、光を宿すに足る武器がなければならないとのことだ。
まあ、媒体は聖剣レーヴァデインで問題なかろう。
眼前では、いよいよ大きな扉が開き、黒々とした溶岩の様な炎が溢れ出てきた。
まさか、ジェシカはわたくしを待っていてくれたのではあるまいか?
そんなことさえ疑いたくなるような、絶妙のタイミングである。
「我、アルマ・バルベリーニが命ずる。正義の名の下に、遍く星の下にある輝ける光よ。我にその力を貸し与えたえ給え――」
わたくしは盾を捨てて、剣を両手で持ち、上段に構えた。
そして集めた光の力を聖剣に委ね、精神を集中して一気に振り下ろす。
「光輝轟鳴覇!」
――パァン――
眼前で、炎が光に飲まれて消えた。
門があった部分は、床が黒ずみ、大きく凹んでいる。
そして何より、ジェシカの背後が全て消滅し、宮殿の外が見えていた。
一秒に満たない時間で、これ程の威力があるとは思わなかった。
その代わり、わたくしの全身を酷い倦怠感が襲う。
なるほど、集めた光の力が一定量に達していない場合、自身の魔力を使うのか。
【ああ、最低でも一時間は集めねぇと、辛いぜ!】
(そういう事は先に言え)
【言った所で間に合わねぇし、てめぇの魔力なら、零からでもあとニ発は撃てるぜ?】
ふむ。
まあ、二発撃ったら、わたくしは動けなくなるであろうがな。
だが、威力が絶大であることは疑いようもない。
うまくジェシカを倒せたであろうか?
わたくしは周囲を見回し、黒髪の女悪魔を探した。
しかしその瞬間、わたくしの背中に激痛が走った。
「ウフフ、見事ね。でも、最強の奥義が囮っていうこともあるのよ、アルマさま」
わたくしの油断だった。
背後を取られ、しかも斬りつけられるなど、なんと無様なことか。
瞬時にわたくしはその場から飛び退いて、ジェシカと距離をとる。
傷が浅くて良かった。
あと一歩でも踏み込まれていれば、わたくしの命は今頃無かったであろう。
傷が浅かっただけに、わたくしの再生能力でも十分に回復は可能だった。
「まあ、いいわ。私の奥義を破ったご褒美に、私が戦う意味を教えてあげる」
「ふん。貴様に戦う意味が、本当にあるのか?」
「ええ。真実を、世界の真実を知りたいのよ。アルマ、貴女は気がついていたかしら? 私を生み出したのは、貴女だということに」
「何を馬鹿な……わたくしは別に世界のありようなど、どうでも構わぬのに……」
「本当に、そう言い切れる? 貴女は、どこかで繰り返される世界に気が付いたのよ。
――そして、世界を恨んだ。
でも、どれ程恨んでも世界は変わらないし、変えられない。
だから――私を生み出したのよ。もちろん、それは別次元の貴女だけれど……でも、貴女は貴女なのよ」
わたくしは、ジェシカの言葉に揺れた。
思い当たる節が、無いわけではない。
だが、だからといって納得する事も出来ない。
別次元の自分自身を自分だと言ってしまえば、わたくしとは一体何であるのか、それが霞がかってみえてしまうだろう。
だが――トオルどのは、どの次元でも白骨化しているという。
なぜ、彼にだけ別の未来が無かったのか。
作為か、無作為か?
わたくしの額に汗が浮かんだ。
汗を拭うつもりは無い。わたくしはただ、自身の疑問をねじ伏せる為に、ジェシカの深い緑色をした瞳を睨みつける。
「なぜ、トオルどのは骸骨であらねばならないのか?」
意を決して、剣を握る力を強くした。そして再び足を踏み出そうとしたとき、聞き捨てならないジェシカの言葉がわたくしの耳に刺さる。
「どうして、それを?」
「私が、貴女だから。ウフフ。
――さあ、アルマ、私に協力しなさい。そうすれば、トオルの真実に貴女も近づけるわ」
わたくしはその先の事を今、思い出そうとしても、どうしても思い出せない。
だが、わたくしとジェシカは一つの約束をこの時、交わしたのである。
それは、あるタイミングで、同時に最大奥義を放つ――というものだった。
見れば、ヤッファ、リリスも同じ行動をとっている。
呆気にとられていたのは、サラスとウルフィス、エフリースだった。
――その時、世界は虚無へと吸い込まれた。
わたくしは、彼等を裏切ったのだろうか?
いや、裏切ったというのなら、世界がわたくし達を裏切っていたのだ。
また、サラスにもウルフィスにもエフリースにも会えるだろう。
わたくしは、首を動かそうとして愕然とした。
すでに、わたくしは肉体を持たない存在へと転化しているようだ。
周囲には無数の淡い光の玉が浮いている。
わたくしも、その一つなのだろう。
これは、死、だろうか?
【ちっ。アルマ、俺との約束も破りやがったな……。ま、こうなる気はしてたがよぅ。流石の俺も、世界がなくなっちゃあ精神体を保てるかわからねぇよ】
淡い光の玉が、わたくしに語りかけてきた。
どうやら、ヴェルキンである。
だが、ゆっくりと明滅を繰り返すそれは、徐々に力を失いつつあるようだった。
わたくしの意識は、未だある。
これから何処へ向かい、どうなるのか、わたくしにはもはやわからない。
だが、わたくしの記憶は一秒ごとに書き換えられてゆくようだ。
過去を、次々と忘れてゆく。あるいは、知らない事を思い出せるようになった。
ト、オ、ル?
いや――忘れてはならない事が、まだ、わたくしには、ある。
わたくしはその記憶をとどめる為に、最後の力を振り絞る事にした。




