アルマ・バルベリーニの手記(4-4)
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トオル殿を中心として広がった球体状の闇にわたくし達が吸い込まれると、次の瞬間、辿り着いた場所は、地中深くにあるであろう、広大な空間だった。
わたくしは、周囲に”ウィル・オー・ウィスプ”の気配を大量に感じ、剣を鞘走らせる。
だが、光、或いは炎の妖精ともいうべき彼等は、既に己が意志を失っているのであろうか? 中空に漂い、ただ空間を照らし続けるのみであった。
「ふむ。何者かに使役されているウィル・オー・ウィスプじゃな」
広大な空間に、緑髪緑眼の大神官フィリスの声が響いた。
彼女も警戒感を顕にしつつ、杖を構えていたのだ。
「……消す?」
続いて、ウィル・オー・ウィスプの光を反射させて、黄金の髪を輝かせるヤッファが言う。
ヤッファは、これ程大量のウィル・オー・ウィスプを瞬時に消し去るだけの力を持ったというのだろうか?
それはともかく、彼女がしれっとトオル殿の腕に自らの腕を絡ませていたので、わたくしは力任せに引き剥がした。
「せっかく明るいのだから、奴等はこのままで良かろう」
「アルマ……私も、消されたくない……」
引き剥がしながら言ったわたくしの言葉に対し、ヤッファが、わたくしの顔と鞘から抜き放たれた聖剣に、ジットリとした視線を交互に向けながら、妙な抗議をしている。
というか、わたくしがヤッファを消すはずも無い。
むしろこれはヤッファの、トオル殿に対する点数稼ぎであろう。
この期に及んでか弱い自分を演出しようなどと、幼い顔をしているわりにヤッファは、中々にしたたかな女である。
わたくしは意を決して、笑顔を浮かべた。そして、ヤッファとトオル殿の間にはいり、トオル殿の腕を掴む。
「だ、大丈夫か、トオル殿? 大分魔力を消費したと思うが、疲労感はないか?」
わたくしも、十分にしたたかな女の様だ。
本当はトオル殿に触れたかっただけなのだが、わたくしはトオル殿の魔力残量を量るフリをした。
当然ながら、ヤッファの視線がわたくしの頬に突き刺さる。やはりわたくしの思惑など、見通していると言わんばかりだ。
それと同時に、フィリスも何かを言おうとしていたが、不意に彼女は視線を辺りに彷徨わせた。
「な、なんだヤッファ。わたくしに何か文句でも――」
「しっ……ギアス、か?」
いつになく真剣なフィリスがわたくしを制して、杖を右から左に振った。
それと同時に、ウィル・オー・ウィスプの中に紛れていたギアスが、徐々にその姿を現す。
淡い煙の様なものが、ゆっくりと黒髪、黒目の儚げな美少女を形作る。それを見た皆が、感嘆の声を上げた。
やはり透けて見えるが、ギアスであろう。それにしても、竜が人化した姿は大体が見目麗しいのだが、アズナブイだけはどうしてあの様な姿だったのだろうか? 疑問だが、今更誰にも聞けぬ。もやもやとして嫌な感じだ。
それはともかく、ギアスは自身を顕現させたフィリスに向き直り、改めて名乗っていた。
「うむ。我がギアスである。兄の念、既に了承。だが、この場ではウィル・オー・ウィスプの干渉が酷くてな。幽体すら、保つ事が出来なんだ。ハッハッハ――」
「やっぱり、竜ってのは、皆、馬鹿なんだな」
ギアスが哄笑を始めると、トオル殿が呆れたように言い放った。腰に手を当て、相手を諭す様な風情である。
しかし言われたギアスの方は、幽体を揺らしながら、不快感を顕にしていた。
「な、なんだと! き、貴様! 魔王ではないか! 散々、我と語らっておきながら、背後から部下に斬りつけさせるなど、まさに悪行! 言語道断! しかしながら魔王ならば、確かに悪の王! ゆえに、スジが通っているからヨシ!」
「うるさい! 遊んでいる場合じゃないぞ! ここに来たのは、魔王本人なんだな?
ギアス、事態は深刻なんだ。《ユグドラシル》が敗北を覚悟するほどに。だから、エフリースと同化する前に教えてくれ。魔王と話したと言うなら分かるだろう? 魔王の力はいったい、どれほどのものなんだ? お前を得て、果たして俺達に勝算はあるのか?」
よく意味の分からない事を叫ぶギアスに、フィリスと同じく真剣なトオル殿が言う。といってもトオル殿は髑髏なので、ふざけていても真剣でも、その表情は変わらない。
じっくり見ても、今も表情の変化がわからない程だ。
なぜじっくり見る事が出来たかといえば、わたくしはトオル殿の腕を掴んだまま、その横顔を食い入る様に見つめていたからである。やはり、これが恋というものであろうか?
【恋じゃねぇな。それは異常性癖ってやつだ。俺ぁ、てめぇに死体愛好家の称号を授けてやるぜ】
――そんな称号はいらぬ!
と、わたくしとヴェルキンが内面でつまらぬやり取りをしていると、トオル殿の左側には、既にフィリスが張り付いており、恍惚とした表情でトオル殿を見上げていた。
【なんだ、フィリスも死体愛好家だったのか……】
やけにフィリスを気に入っていたヴェルキンは、その様を見て意気消沈した様だ。
これで暫く、大人しくしてくれればありがたい。
それはともかく、ギアスがトオル殿の質問に答える為に、一度、周囲を見回した。
しかしトオル殿争奪戦に敗れたヤッファは、既に話を聞く気がない。サラスはヤッファを慰めているし、ウルフィスは、そんなサラスをちらちらと見ている。
わたくしは額に手を当てて、そんな現状を憂えた。
世界の危機をトオル殿が真剣に考え始めてくれたというのに、他の者がこんな有様で、どうするというのだ。
だが、一人、エフリースは胸元に右手を置いて、ごくりと唾を飲み込んでいた。
彼女は、このギアスと同化する為にここまで来たのだから、他の者の様に、他人事とはいかないのだろう。
「……ふむ。貴様、同じトオルなのに、存外真面目でつまらんな……我はションボリだ。もう少しノッてくれると思うたのに……。
正直、我にはもはや、魔王の力は量れぬ。同様に、貴様の力も分からぬ。
だがそれでも、世界の均衡を保つ為に――我はそこなるダークエルフと同化せねばならぬのだ」
トオル殿の真剣な調子に、若干肩を落としたギアスは、本当にションボリしているようだ。
遊ぶのを諦めて投げやりな口調になったギアスは、おずおずと、自身を黒い瞳で見つめるエフリースを指差した。
それでエフリースも意を決したように、前に進み出る。彼女の歩みに合わせて、水色の髪が揺れた。
「そ、それで世界の均衡は保たれましょうか? ギアスさま」
「ウホッ! 久しぶりに”さま”付けだのう! 嬉しいのう! ダークエルフ、名を申せ!」
「は、はい、黒竜ギアスさま。エフリースと申します」
「ふむ、ふむ、エフリース! そなたとは、仲良くやれそうだの! 我は嬉しいぞ!
ああ、均衡? 均衡か……その話は、忘れたいのだがのう。
まあ良い。世界の均衡が保たれるか、はたまた滅びるか、それも我にはわからぬ。
ただ――世界は、《ユグドラシル》、《深淵》、《調停者》がそれぞれ力を持ち合うことで、互いを牽制しあってきた。誰かが強くなれば、他の二つが協力し、叩く、という具合にな。
むろん、《ユグドラシル》と《深淵》が互いに争うゆえ、我等がいつしか《調停者》と呼ばれる様になったのだが。
逆に――我は問うぞ、エフリースよ。
そなた、なぜ世界の均衡を維持したいと願うのだ?」
「そ、それは――。
私の生まれた世界ですし、滅びては困るからです。それに、トオルさまが世界を守ろうとなさっていますから」
「そうだのう。己の生まれた世界が崩壊してしまうのは、困るのう。
だが――魔王は、決して世界の崩壊を望んでいる訳ではないのだぞ。むしろ、平和を求めている。そして、平和とは、魔王による完璧な統治だ。だが、世界のシステムがそれを許さぬゆえ、均衡が必要になる。
――となれば均衡によって保たれるのは世界だが、それは必ずしも平和とは、いえぬな」
「わ、わかりません。私には、ギアスさまが何をおっしゃっているのか、さっぱりわかりません」
突如、ギアスの両目が妖しく輝き、エフリースが狼狽した。
わたくしには、ギアスの言わんとする所が分かる。むろん、トオル殿も分かっているのだろう。それでも、どうする事も出来ないもどかしさを感じているのが、骨を伝って分かる気がする。
これが、骨伝導というものか。それとも、愛か――
【いや、アルマ、どっちも違うだろ! お前、何が吹っ切れたのかしらんが、色々大丈夫か?】
――うるさい。わたくしの事はどうでも良い。それより、システムとやらだ。それは、常に敵と味方に別れた世界が存在し続ける、ということだろう?
【ま、そうだな。俺もユリウスも、システムに躍らされ、《ユグドラシル》に封印されたんだぜ。懐かしい話だ】
どういうことだ?
ヴェルキンの言っている事はおかしい。伝説では、ヴェルキンとユリウスは人の身である時、互いに争い、死んだ。だが、その力が強大であった為、神格を得て祭られたはず。
【昔の話だ。俺とユリウスは、この世界の覇権を争った。だが、ある時ふと気付いたんだ。もう一つの世界もあるじゃねぇか、と。そこで、俺は魔界の門を開き、悪魔共を次々と征服していった。
そんな風に領土を広げる俺を見て、ユリウスの奴も魔界にきて、同じように領土を広げていったんだ。
なあ、そうするとどうなると思う?】
――どうなる、とは?
【この世界も魔界も、俺とユリウスが支配していたんだ。そこで最終決戦をしたら、どっちに転んでも、世界は一つになるとは思わねぇか?】
――そう、だな。
【そこで、だ。俺とユリウスが《ユグドラシル》に封印されたのは。だが、神と呼ばれるほどに霊格を高めた俺達を、《ユグドラシル》は持て余した。そこで、人の中に、常時封印するようにしたってこったな。
で、次に俺達みたいな奴等が出てこないようにする為に、《ユグドラシル》は言語を様々に分け、種族の枠組みを作ったんだ。だから、世界を一まとめにするのは、あの頃よりも今の方が何倍も、いや、何十倍も大変だろうなぁ】
わたくしは、ヴェルキンの話を聞き、背筋が凍る思いであった。
その話が事実であれば、世界は血塗られた歴史を繰り返す為にある、ということだ。
それは、決して正義ではあり得ない。
そして最後にヴェルキンは、こう言った。
【つまり、《ユグドラシル》ってなぁな、システムの管理者で、《深淵》はバグなんだよ。ついでに言えば、《調停者》ってのは元来、《ユグドラシル》に対する安全装置――】
「――まあ、よい。
ただ、繰り返す為に、我は均衡の手助けをしよう。だが、あるいは崩壊の方が幸福だという事も、頭の隅に置いておくが良い――エフリース」
ヴェルキンの言葉に、わたくしは揺れた。まるで、世界の理由を見失ったかのようで、視界が歪む。
それと同時に、眼前ではギアスの長い口上も終わり、エフリースに吸い込まれた。
エフリース自身は、ギアスに何を言われていたのか理解をしていない様だったが、わたくしの左上で、”ぎり”と音がした。
どうやら、トオル殿が歯軋りをした様だ。
「おい、思念体。システムって、なんだ……? 聞いていないぞ」
歯軋りの後に、トオル殿の小さな声が聞こえた。
決して、トオル殿は喋っていない。けれど、わたくしの心にトオル殿の声が聞こえたのだ。
――そう。たとえ世界がどうであれ、わたくしには、トオル殿がいる。わたくしは、歪んだ世界から目を逸らし、確固とした一人の男を見た。少し骨ばっているけれど、わたくしにとっては唯一の希望なのだ――
【だまれ、死体愛好家。それは、単なる白骨死体だ】
◆◆
全てが終わると、エフリースは、髪の毛が水色から黒へ、瞳は、黒から金色へと変わっていた。
「ふわぁぁ……」
ギアスの話が長かったという理由もあるだろうが、先の戦闘疲れもあるのだろう。ヤッファが欠伸をして、瞼を擦っている。
時計などはないが、恐らく、とっくに日が暮れている時間だろう。
「……皆、疲れただろう? 今日はここにキャンプを張ろうと思う。
ほら、街に帰れば、もし敵が襲ってきた場合、住民に迷惑をかけるし。ここなら、万が一の場合でも、十分応戦できる、それに被害も出ない。あと、みんなが竜と同化して、どんな力を得たのかも知りたいんだけど、どうかな?
……と、フィリスとアルマ。そろそろ俺から離れてくんない?」
はっ! とした。
キャンプの件は否もない。離れる件は、否と言いたいが、そうもいかない。何より、今までずっとトオル殿の腕にしがみ付いていたと思えば、恥ずかしくて顔が赤くなる。
わたくしは、そそくさとトオル殿から離れて、エフリースの側に行った。
その後、フィリスが魔法により岩石から簡易の家を作り、皆、そこに入った。
食事は、今更狩りに出る訳にもいかなかったので、手持ちのパンや干し肉で済ませた。何より、わたくしさえ、今日は思いの他疲れていたようで、寝台に入ると、すぐに意識が遠のいてしまったのである。
ナカーシック暦248年1月2日
__地竜山、大空洞にて__
__アルマ・バルベリーニ




