アルマ・バルベリーニの手記(4-2)
◆
バルバロッサと幾度か剣戟を交わすと、大よそ、その実力が知れた。
これならば、勝てる、そう思えた。
両手で剣を構え、わたくしは再びバルバロッサを見据える。
焦りは無い。わたくしは、再びトオル殿に信頼されたのだ。
そう思えば、先ほど、トオル殿の虚ろな視線がわたくしの横顔に刺さった時、胸が締め付けられるように苦しくなった。
”こくり”と頷いた時のトオル殿の頭蓋が、たまらなく愛おしい。
これが、恋なのだろうか――
【てめぇ、やっぱり変態だったんだな……骨が好きなんて、異常だぜぇ?】
なっ! ヴェルキン、無礼であろう!
わたくしの意識に干渉する無粋な神は、かつて黄金の髪を靡かせた美丈夫だったという。しかし、侍らす女は千を超え、あまつさえ、敵であったユリウスの妻までも奪ったというのだから、純然たる女好きだった。
そんな男に、わたくしは変態扱いされてしまうというのか。力を借りざるを得ないとは言え、酷く不本意である。
正面で、バルバロッサの髭面が歪んだ。
割れた鎧を自ら消し去ると、傷口を修復してから”ニヤリ”と笑ったのだ。
槍を構えると、頭上で一振りしたバルバロッサである。そして、振り回された槍からは、爆風が解き放たれた。
バルバロッサの槍の属性は「風」であろうか? 柄にチカチカとした青白い雷光を纏いながら、暴風を発生させている。
だがしかし――
足を一歩前に踏み出して、わたくしは剣を一閃させた。
当然である。わたくしの聖剣レーヴァデインは、空をも断つ。ならば、如何なる風が攻め寄せようと、取るに足りぬ問題なのだ。
【飛べ】
その時、ヴェルキンの声が響いた。
理由は判らないが、何かを感知したのだろう。しかし、ヴェルキンも、わたくしに対して「飛べ」とは、無茶な事を言う。
そう思ったが、言われたからには、わたくしは左足を軸にして、飛んだ。ヴェルキンと合力する、と決めたからには、信頼するのがスジである。
すると、わたくしが今までいた場所に、バルバロッサが槍を振り下ろしていた。
バルバロッサの突進が、あまりにも速かったのだ。わたくしの目では、追えていなかった。
あまつさえ、わたくしの剣圧を左腕に装備した小型の盾で弾き、長大な槍を右手一本で操り繰り出したのだから、驚愕に値する。
そして雷光を纏ったバルバロッサの槍は、土砂を巻き上げ地面を抉っていた。
――ズンッ――
鈍い音が、下方から聞こえていた。
だが、それよりも、わたくしは、わたくし自身の跳躍力に驚いている。
わたくしの視線の先には、見上げずとも、トオル殿の漆黒のローブが見えたのだ。さらに言えば、今、わたくしは空中で静止していた。
上空では、フィリスもバルアロムとの戦闘を始めていた。
バルアロムの身体を周回する妙な武器に対して、多数の妖精を従えて迎撃するフィリスは、一瞬、”ちら”とわたくしの方を見たが、すぐにバルアロムを攻撃していた。
フィリスの表情は、感嘆と呆れの中間であろうか? わたくしの力を目にしても、然程驚いている様には見えない。
ともかく、戦いは圧倒的にフィリスが優位である。ならば、わたくしは安心してバルバロッサと戦う事が出来るというものだ。
同時に、ヤッファとサラスもバルバロイを相手に戦闘を始めている。
白竜の力を得たヤッファがいれば、バルバロイとて容易に倒せるであろう。
しかし、ヤッファはバルバロイに饗されたお茶に激怒していた。
下方ではウルフィスがアズナブイを抱えて、安全な方へと走っていた。それも、賢明な判断である。
◆◆
わたくしは、いつの間にか中空に身を置く事に馴れていた。
時折、前方から爆風と共に水しぶきが上がるが、それはトオル殿とサザーラントがガラントという名の大悪魔と交戦している為だ。
しかし、どうにもガラントという金髪の悪魔は捉えどころが無かった。
全力で戦っているが、力及ばず押されている様にも見えるし、まだ余裕が残っている様にも見える。
少なくとも、ガラントの破壊された箇所の修復速度はトオル殿と互角であり、サザーラントを僅かに上回っている事は確かであった。
「ふん。戦っている最中に余所見とは、我も甘く見られたものよ」
「よく言う。息も絶え絶え、全身血塗れで修復も追いつかぬくせに。
むしろ翼を半ばまで失って、よく宙に留まっているな、バルバロッサ。もはや大人しく降伏せよ。さすれば、元は王族のよしみ。魔界へ帰る事を条件に、命だけは助けてやっても良い」
わたくしとバルバロッサの戦いは、蓋を開けてみればどうと言う事は無い。終始、わたくしが優勢であった。戦いの推移を鑑みるに、万に一つもわたくしの敗北は無いであろう。
しかし、臆に一つの可能性を、わたくしは警戒していた。故に、口では余裕を見せていても、両目はバルバロッサの一挙手一投足に集中している。
「ふん……!」
バルバロッサは鼻で笑うと、口の中に溜まっていたであろう血を吐き出した。
こうして会話をしている間にも、傷口が淡く輝き、修復してゆくバルバロッサの姿が、わたくしの眼前にある。
しかし、わたくしとバルバロッサの間には、決定的な程に攻撃力の差があった。だから、その様を悠然と眺める事が出来たのである。
この程度の傷は、幾らでも負わせる事が出来のだ。
――だが。
【まあ、神である俺様が、悪魔公級に引けをとる訳もねぇ。けどな変態女ぁ、油断するんじゃねぇぞ。アイツ、まだ、何かありやがる】
「分かっている」
わたくしとしては、内面にいるヴェルキンの言い様が不快極まるものではあったが、バルバロッサに関する見解だけは一致していた。
眼前で槍を構えるバルバロッサの増大する魔力を見れば、起死回生の一撃を撃ち込もうとしている事は明白だった。
「天馬襲衝覇」
バルバロッサの赤い瞳が、一瞬、慈愛に満ちたモノになった。
その様を見ると、長年の時を忘れたかのように、若き日のバルバロッサがわたくしの脳裏に蘇える。
かつてのバルバロッサは、赤毛を靡かせて馬を駆る、生粋の戦士であった。そして豊かな赤髭の間から発する大音声は、ナカーシック軍を叱咤すべき大将軍のモノだった。
そんなバルバロッサは自らを光輝く巨大な天馬と為して、わたくしの目の前に迫っていた。
無論、超高速で迫る人馬の巨体は、以前のわたくしであれば、決して捉えられるものではなかっただろう。――以前のわたくしであれば、だ。
バルバロッサにとっては残念な事に、その攻撃は、今のわたくしにとって、止まって見える程である。
「光輪円舞鷲撃斬!」
わたくしは、身体を捻り、全身をバネにして聖剣レーヴァデインを振った。
銀光が水平に弧を描くと、そこから光弾が飛んだ。そして、大空を蹴り、わたくしもバルバロッサを目掛けて飛ぶ。
天馬の衝撃は、聖剣の剣圧に破られ、バルバロッサの分厚い肉体は光弾に引き裂かれた。
「ウ、ウオオオォォ……」
獰猛な獣にも似た叫び声を上げて、バルバロッサの前進は空中で止まる。
バルバロッサの胸に、わたくしの刃が深く突き刺さり、勝敗は決した。
聖剣の剣先から伝う血の赤さが、バルバロッサが人間であった事を、わたくしに伝える最後の印なのであろうか?
わたくしは、一抹の寂しさを覚えつつ、バルバロッサの胸から聖剣を引き抜いた。
バルバロッサの身体は、力を失い地上に落ちる。だが、その表情は憤怒であり、決して敗北を認めてはいないのだろう。
それでも、赤髭の巨漢は、戦闘力を失ったのだ。
わたくしは気持ちを切り替えて、トオル殿を助ける為に、視界を前方に移した。
その時、丁度、フィリスもバルアロムとの戦闘に決着を付け、トオル殿の元に向かおうとしていた。
わたくしが空中でフェリスの横に並ぶと、緑髪の大神官は軽く小首を傾げたが、何かに納得したの様に微笑を浮かべていた。
さらに、限りなく小さな声で、決してヴェルキンには聞こえない声で、フィリスがわたくしだけに問いかけてきた。
「……その様な神は呑み込んで、光の神になられませ、アルマさま。ふ、ふふ」
【おい! おい! アルマ! 近くで見ると、フィリスってぇ半神は良い女だな! 俺が肉を手に入れたら、真っ先にあれを頂こう!】
フィリスの微笑を見たヴェルキンが、わたくしの内で興奮気味に語る。
いつの間にやら、フィリスが闇の神の眷属だという事を忘れたのだろうか? それとも、トオル殿と戦って、フィリスを奪うつもりだろうか? わたくしは不思議に思ったが、それを口に出す事はなかった。
ただ、フィリスがわたくしに言った言葉を、注意深く、ヴェルキンに悟られない様に反芻する。
――わたくしが、光の神になれ――とは?
確かに、フィリスはその様な事を言っていた。ならば、わたくしも神に成れるという事だろうか? そうであれば、わたくしの未来に一筋の光明が射した気がした。
わたくしが愛するものは、闇の神である。もはや、それは認める他ない。だが、人と神では差がありすぎる。眷属ですら無いわたくしが、彼と結ばれる事など絶対に無い。そう思っていた。
だからこそ、絶対に覆らない現実に押しつぶされていた、わたくしの切なる願いが、表層に現われて言うのだ。
――神と神が結ばれるのならば、必定。まして、光と闇は表裏一体。結ばれてこそ、世界が平和に包まれる――
しかし解せないのは、何故フィリスがその事をわたくしに教えたのか? であろう。
フィリスもトオル殿と結ばれたいはず。ならば、わたくしにその可能性を伝えては、言い方が悪いが、競争者が増えるだけではないか?
などと悩みながらも、口元が綻ぶのを止めることが出来ないわたくしである。
「アルマさま。その笑顔……ようやく、己の心を素直にお認めになりましたな。そうでなければ、私も張り合いがありませぬ」
緑の髪を掻きあげながら、降りかかる水飛沫を片手で払うフィリスは、嬉しそうにわたくしを見つめていた。
どうやらフィリスはわたくしを、ずっと以前から「勇者」などではなく、「友人」だと思ってくれていたのかもしれない。
己こそ勇者たらんと考えていたわたくしは、実は卑屈になっていて、そんな事にすら気がつかなかったのだ。
「なあ、フィリス。わたくし達は、何故、骨に惚れたのだろうか?」
「好きになった人が、たまたま骨だっただけでしょう、アルマさま」
前方の戦いに暫し見惚れつつ、わたくしとフィリスは互いの顔を見合わせて笑った。
途中、不快気なヤッファの顔がちらついたが、それは、未だバルバロイを片付けられぬ己の未熟を責めよ、と、わたくしは言外に伝える。
「では、フィリス。トオル殿と共に、あれなる悪魔を討伐するか」
「金髪碧眼とは、絵に描いたような美男子じゃ。腕がなりまする」
「おや、心変わりかな? フィリスは存外、尻が軽いな」
「何を仰る! が、トオル殿が肉を取り戻せば、間違いなくあれなる悪魔など、足元にも及ばぬ美男子でありましょうぞ」
「うむ」
わたくしは、フィリスの言葉に空想の翼を広げてしまった。
もしも、トオル殿が骨でなければ。その思いは、わたくしの全身を駆け巡り、欲望となって心に留まった。
「天駆水昇竜陣」
わたくしとフィリスは、互いに未来に思いを馳せて、油断していた。そんな中に響き渡ったのが、サザーラントの澄んだ声音である。だが、同時にそれは、不吉な音色さえ含んだ、凶悪なファンファーレの様でもあった。
ゴオオオオオ――
轟音と共に、視界の全てを覆う程の水流が上へと流れてゆく。
それは、あり得ない光景だった。
まるで、戦っている最中に、柔らかな未来を夢想したわたくし達を嘲笑うかの様な、地獄絵図である。
湖が空へ向かい、トオル殿と悪魔を飲み込んで、遠く宇宙へと流れてゆくのだ。
「ハーッハハハハハハハ! 呑みこまれろ悪魔共ォォオオ! この竜王たるサザーラントを傷つけたり、蔑ろにした報いであるぞぉぉお!」
哄笑する水色の女は、紛れもなくサザーラントである。
助けに入ったトオル殿もろとも、悪魔をあの技で飲み込んだというのか。
わたくしの内心が、怒りに満ちた。
確かに、トオル殿は骨で悪魔の様ではあるが、きちんと確認をしろ! とサザーラントに物申したい。
当然、わたくしの横にいるフィリスも同様かと思ったが、彼女は両手で顔を覆い、ただ泣き叫ぶばかりとなっていた。
「トオルさまぁぁあ!」
この時、ヤッファの反応が最も早かったであろう。
遊びすぎた事を後悔するかの様に、バルバロイの全身を瞬く間に切り刻んで、風の様に水流の中に飛び込んだのだ。
恐らく、白竜の力を用いてトオル殿を救うつもりなのだろう。
わたくしとフィリスは、ヤッファの行動を見てようやく身体の自由を取り戻したかのように、同じく巨大な水流の下へと移動した。




