成層圏ですか?
◆
次に俺達がやってきたのは、海と見紛うばかりに大きな湖だった。
だが、黒雲が空を覆い、次々と水柱が上がる。湖上で展開される凄絶な戦いに、俺達は一気に目を奪われた。
金髪碧眼のイケメンが二対四枚の黒い翼を羽ばたかせて、青竜から放たれる水の刃をかわし、突進してゆく。
イケメンは、やはり悪魔だろう。ヤツは、一糸纏わぬ上半身の隆々とした筋肉を盛り上がらせて、下半身は濃紺のズボンを履き、腰に赤布を巻いている。手に持った槍は長大で、槍先が血塗れでもないのに真紅に輝いていた。
「唸れ! 魔槍ゲイ・ボルグ!」
悪魔は、大きく振りかぶり、槍を投げた。
青竜に向けて、悪魔から槍が放たれたのだ。
正直、槍って突き刺す武器なんじゃないか? と思った俺の考えが甘かった。
悪魔の手から離れた槍は、一度大きく上昇して黒雲を突きぬけ、再び現れた時は、赤い金属の雨となって青竜に突き刺さっていた。
「グゥオオオ……!」
断末魔の如き悲鳴を上げたのは、蒼く輝く鱗を持った巨竜である。
「サザーラントぉぉ!」
そして、俺の足元、水滴で湿った草の上で絶叫するのは、当然アズナブイであった。
やっぱり、竜って弱いんじゃないか? と思い、俺は虚ろな目をアズナブイに向けた。
「おお……! 無事だったか!」
アズナブイは羽を”ぱたぱた”と羽ばたかせて、俺の目線辺りまで上昇した。
アズナブイの視線の先は、未だ水煙の立ちこめる青竜と悪魔の戦場だった。
赤い鋼鉄の雨に貫かれたかと思われた青竜は、しかし、いつの間にか清楚な青髪の女性に変化している。
人化? 或いは最終形態だろうか?
「フハハハハ! 姉上がこうなってしまえば、もはや悪魔如きに引けはとるまいよ!」
俺の耳元で騒ぐアズナブイは、とても五月蝿い。
「そこなる悪魔、我を傷つけたこと、暗き水の底で後悔するがよい」
青い翼をはためかせて、手の平から濁流を迸らせるアズナブイの姉は、既に激怒のご様子だ。
とは言え、様子を見続けていても埒が明かない。
俺は、せっかく属性反転している最中なので、加勢して、一気に悪魔を殲滅する事にした。
「フィリス! ヤッファ! 青竜に加勢するぞ!」
「はいっ!」
「……仰せのままに……」
勢いよく俺達が駆け出そうとした時、目の前に現れたのは、三魔将だった。
バルバロッサは既に、翼の生えた人馬の姿。バルバリアもバルアロムも、黒い翼を生やして、悪魔を思わせる姿だった。
当然、その姿からでも分かるが、以前戦った時よりも力を増している事は明白だ。
「勝負は、黙って見ていて頂こう」
太い腕を組みながら、バルバロッサが言った。
背中には、俺が以前破壊した槍とは比べ物にならない程、豪勢な槍を背負っていた。
「バルバロッサ……性懲りもなく、またも現われたか」
俺の横に進み出て、アルマが剣を抜き放っていた。
あれ? アルマの様子がいつもと違う。銀髪が淡く輝いて、赤い瞳が紫になっているぞ?
試しに、俺はアルマの戦闘力を測ってみた。
――二万……だと――
「アルマ……その力は……?」
「長くは持たん。が、わたくしが持たせている間に、青竜を助けてくれると有り難い」
どうやったのかは知らないが、アルマは一時的に力を増幅出来る様だ。
「分かった!」
俺は、この場をアルマに任せて空へ上がる。
すると、俺の行く手を塞いだのは、灰色髪の幼児体型悪魔、バルアロムだった。
黒い翼をはためかせているから悪魔だけれど、白髪なのにお子様顔とか、正直ウザい。年寄りプラス子供なんて、弱者の代表か? 痛めつけたら俺のイメージがドマイナスではないか。
だけど、バルアロムの周囲には八つの球体が浮き、回転している。明らかに攻撃用の武器だろう。いや、防御にも有効か――厄介だな。
そう思っていたら、やっぱり攻撃された。
バルアロムの周りを回る球体から放たれる光線が、俺の漆黒ローブに次々と穴を空けたのだ。
正直、おでこにも一撃喰らってしまい、頭蓋骨に穴が開いたのは内緒だ。
くそう! 脳があったら致命傷だった!
俺の危機と見たのか、フィリスが杖を振り、光線を打ち消してゆく。
「水妖精!」
フィリスは、水の小人を大量に召喚した。
この場所が、水の精霊力が高いと判断した為だろう。
良かった。
フィリスの事だから、ここで炎の精霊なんかを出して、すぐに消されて「あれぇ?」とか言いそうで不安だったんだ。
次々とバルアロムから撃ち出される光線を妖精に弾かせて、同時になにやら呪文を唱えている様だった。
戦闘に関して、フィリスはもう、一流なのかも知れないな。
「フィリス、頼む!」
俺は、この場をフィリスに任せて、さらに青竜サザーラントに近づく。
さっき偉そうな事を言っていた割には、サザーラントは金髪のイケメン悪魔に手も足も出ないようだ。
それとも、魔槍とやらの威力が凄すぎるのかもしれない。
悪魔が手に持った状態の魔槍ゲイ・ボルグは、槍というよりも鞭に近い動きをする。だから、幾らサザーラントが避けても、必ず当たるのだ。
心なし、サザーラントの蒼い瞳も余裕を無くしている。
しかし、さらに俺の前進を阻む愚か者がいた。
ティーカップを持った紳士悪魔、バルバロイである。
空中に椅子とテーブルをセットして、ご丁寧に俺の分も用意してあるのだ。
だから、俺は垂れ流しなんだって……! と言いたかったが、その前に金髪のロリハイエルフが二人、現われた。
「……このお茶……美味しいの……トオルさま、先に……」
「あ、あーしも、いただくよっ!」
礼儀正しく椅子に座ったヤッファは、フードを捲り、顔を顕にした。
サラスは顔を引き攣らせていたが、ヤッファが心配だった様で、ついて来たらしい。すでにローブを脱ぎ捨て、戦闘装束になっている。
ヤッファはまじまじと湯気の立つお茶を眺め、それからティーカップを持ち上げて香りを嗅いだ。しかしその時、不意に彼女の細眉が顰められた。
「でも……これは偽者ね……」
「ヤッファ。偽者でも本物でも、どっちでもいいよ! 戦わないとっ!」
ヤッファもサラスも意味合いは違うが、同じく溜息交じりの声だった。
多分、バルバロイはお茶好きのヤッファを怒らせたのだろう。
ヤッファは、「サラスって、やっぱりずれている」と思った様だ。
とにかく俺は、さらにサザーラントに近づいた。
◆◆
俺は、悪魔の背後に近寄り、銀の神錫を振りかざした。
いつもの通り、赤い稲妻を見舞ってやるつもりだったのだ。
しかし、悪魔は俺の方を振り返ると、大きく口を開けて、事もあろうに稲妻を食べてしまった。
「嘘だろ?」
俺は驚愕して、左手を咥え、目を白黒させた。
俺は不測の事態に対し、まずはテンパる事を旨としている。
「おお! いい魔力だ! 流石は不死乃王と瓜二つなだけあるな!」
思念体さん、どうしよう? 何か戦う手段は?
内心で俺が思念体さんに問うていると、悪魔が俺に向かってくる。
距離は、一秒も掛からずに零距離となった。
瞬時に、俺の衣服が黒衣から青い鎧に変わり、武器が剣に変わる。
【あれは、”暴食”のガラント……大悪魔です。魔法攻撃では倒せません。物理攻撃で攻めましょう】
思念体さんの声が俺の脳裏に届くよりも先に、鞭の様な槍の攻撃が俺の身体を掠めている。
もっとも、俺の肉体は既にオートモード。基本的に攻撃は避けている。加えて高い防御力を誇る俺の鎧は、攻撃を受けても、罅位の傷しかつかない。
――って、おい! 攻撃喰らってるし、鎧に罅も入ってるじゃないか!
ともかく俺は右に避け、左にかわしつつ、剣を左右に振った。
銀色の残像が残る程の速度だが、それでもガラントやらいう悪魔に、傷一つつける事が出来ない。
上半身素っ裸のヤツに傷も付けられないというのは、非常に悔しかった。
しかし、勝機はあった。
俺とガラントが剣戟を交わしていると、悪魔の背後でサザーラントが両手を広げ、呪文の詠唱を終えていた。
「天駆水昇竜陣」
サザーラントの声が呼び水となって、辺りが轟音に包まれた。
湖全体が轟き、動いたのだ。
俺の下から、湖が迫ってくる。まるで、天地が逆さまになったような感覚に襲われた。
口を大きく開けた巨大な水の竜は、俺とガラントを等しく飲み込む。飲み込んだまま上昇を続け、ついには成層圏にも達した頃だろう。今度は、大瀑布の様に、再び湖に吸い込まれていった。
湖からは巨大な水しぶきが上がり、それは辺り一体に豪雨を齎した。
あれ? 俺は成層圏に達した時、妙なモノを見たぞ?
――地球が、丸くない。いや、そもそも、ここは地球じゃないから、そういう事もあるのか――
そんな事より、ちょ、俺も巻き添えですか?
そう思ったのも束の間だった。
つまり俺は、束の間で成層圏まで行き、落ちたのだ。
水の奔流は、同時に魔力の奔流でもあったようで、俺の探知は全て狂い、前後左右、色彩、音、全てが分からなくなった。
気が付けば俺は深い水の底で、すでに属性反転は終わっていた。
それから、どれ程の時が流れたのか、俺には分からなかった。
しかし、この湖の水が、ただの水ではない事だけは分かった。何しろ、浮かび上がれない。俺が、水没したままなのだ。
これはつまり、封印に等しい。
【魔力の水です。ここから出るためには、全て飲み干すしかないでしょう】
待ってくれ、思念体さん。飲み干すって、俺、胃袋ないんだけど。
【魔力とは、即ち魂の力。個体、八坂徹。湖の魂を喰らえば、ここから出られます】
思念体さんの言う事に最初は戸惑った俺だが、何をどう足掻いても、それを実行する他、俺がこの場から脱出する手段は無い。
暫く水の中で腕を組み唸ったが、すぐに意を決した。
俺は、まず「湖」を「存在」として認識した。それから、全身の力を体の中央に集中させて、湖の魂を喰らうイメージを強くしたのだ。
上手く行かなかったらどうしようかと思ったが、何とかなったようである。
外からは湖に大渦が生まれて、あらゆるモノを吸い込んでいるように見えただろう。
実際に、浮かぶ木々の破片も、魔魚も、水鳥も、漏れなく全ての魂、或いは魔力を俺は飲み込んだ。
そして、水の無くなった湖の上空に浮かび、液体や物体だけを開放した。
俺からとめどなく溢れる水に、アルマ、フィリス、ヤッファ、サラス、ウルフィス、エフリースが目を丸くしていた。
皆、一様に傷つき、疲れ果てている様に見えたが、全員無事であったのだから、俺はホッとした。
しかし、その場には悪魔達の姿もサザーラントの姿も無く、アズナブイだけが、肩と思しき部位を震わせて、小さな声で鳴いていた。
「あ、姉上ぇ……えっぐ、えっぐ」




