リリスの思惑
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不死乃王は、気だるげに玉座に腰を下ろし、時折、私を見つめている。
私はといえば、階の下に立ち、次々に訪れる来客の対応に忙しかった。
ここは、かつて人間達が築いた、最も巨大な国の都だった場所である。
かつては、ルーコイ帝国という国名があり、都の名はビコーンと言った。東西南北に城砦都市を配し、外敵の侵入を一切許さない都市としても有名だったらしい。
もっとも、四方に配された城砦都市の真なる目的は、魔界の門が開かれた時、決して外界に魔族を逃がさない為のものだったという。
その事情は、不死乃王トオルが、皇帝を追い詰めた際に聞きだした情報であった。
「ふふ、ふはは、ふはははは! 余は貴様等魔界の者に敗れたが、決して、決して世界を好きにはさせぬぞぉ!」
ルーコイ帝国最後の皇帝が言い放った言葉は、不死乃王にとって、何の意味も持たなかった。
そもそも、魔族や魔物を阻む為の最大にして最強の切り札は、聖属性の結界である。
それで四方を囲み、魔界へと通じる扉を封印していたルーコイ帝国であったが、そもそも不死乃王の属性は《聖》なのだ。
また、《闇》へと属性を反転させて、最大級の魔力を扱う事もあるが、そうなってしまえば、いかなる結界とて意味を成さない。それ程に魔王の力は強力なのだ。
ましてや、ルーコイ帝国の結界如き、私でも破れる。さらに言えば、私以下の大悪魔でも破れるのだ。
もっとも、現在、大悪魔と呼ばれる存在は、私を含めて三柱しかいないのだが。
もちろん、大悪魔達が数を減らしたのには理由がある。
不死乃王が魔王になるまでに、討伐せざるを得なかったのだ。
悪魔とは、そもそも何者かの願いから生まれる。願いと言うものは大概において、浅ましいものである。従って、いかな大悪魔と言えども、願いの本質が《排他的な野心》であったり《嫉妬》《物欲》等の場合、どうしても平和にたいする障害となるのだ。故に、私や不死乃王が戦い、始末したのであった。
結果として残った大悪魔は、《復活》のリリス、つまり私と、《希求》のジェシカ、そして《暴食》のガラントだけになったのだ。
無論、これでは不死乃王トオルが魔王として現界にある数多の国々と戦うのに、明らかな戦力不足である。
だから、それを補う為に、私は一計を案じた。
現界の生物を魔界に堕とし、不死乃王が悪魔として再構築するのだ。
これは通常の悪魔と違って、《願い》から生まれるものではない。したがって、魔であっても悪ではない者が誕生するという利点もあった。
それに、トオル殿の魂を注入するのだから、元々の個体レベルが高ければ、より上位の存在になる事が出来る。こうして誕生した三人の魔将が、バルバロッサ、バルバロイ、バルバリアであった。
彼等はそれぞれに、人間として高いレベルを持っていた。しかも、罪無き身で断罪されていたが為に、魔に堕ちるに相応しい憎悪も兼ね備えていたのだ。
だから、バルバロッサなどは堕ちた直後でさえ、既に魔将であった。加えて不死乃王に魂を与えられると、いとも簡単に悪魔公級の力を得たのである。
バルバロイとバルバリアは、それ程ではなかったが、それでも不死乃王に魂を与えられると魔将となった。
「退屈だ!」
不死乃王が、虚ろな眼窩を私に向けている。
黄金に輝く身体に、緋色のチュニックとキュロットを身に纏い、白いタイツを履いた魔王は、どうやら人間の皇帝を真似している様だった。
「謁見も重要な仕事です」
「何言ってんだ! 殆どリリスが話をつけて、俺は何にもしていないじゃないか!」
「では、魔物や人間の陳情を、一々裁きますか?」
「む……それもダルいな」
翡翠の玉座に身を置く魔王は、黄金の骸骨である。
なるほど魔王といわれれば、相応の威厳はあるのだが、その発言は百年前より変わらず、緊張感の欠片もなかった。
「クックック」
私の正面に立つ《希求》のジェシカが、肩を揺らして笑っていた。
謁見の間と呼ばれるこの場所で、魔王は毎日正午から二時間、魔族や人間の陳情を聞くことになっている。
しかし、実際に魔王自らが裁定を下す事はなかった。
人間の陳情は私が、魔族の陳情はジェシカが裁くのだ。そして、それでも納得しないものは、退出したのち《暴食》のガランドに制裁を受ける。
無論、謁見の間に居る者が、通常、私たち三人だけだというのにも意味がある。
下位の悪魔達を並べて威勢を誇るのも良いが、そんな事をしても、人間共の反感を買うだけなのだ。逆に、人間の騎士を並べれば、逆の事が起こる。
そもそも、魔王は最強なのだから、護衛など必要ない、というのが不死乃王の弁だった。
つまり、私たち大悪魔二柱が侍るのは、あくまでも魔王がダルいからである。
「トオルさま。そういえば、勇者一行がブレインドに到着したとか。このままではバルバロッサ達と激突する事になりますが、いかがなさいますか?」
ジェシカは、唇の片端を吊り上げて、魔王に質問をぶつけていた。
彼女は、外見だけならば妖艶と言って良いほどの美貌を持っている。艶やかな黒髪をうなじの辺りで束ね、右肩から胸へと流していた。衣服は純白のローブだが、それは、あまりに禍々しい鎧を纏っていては、人間に余計な威圧感を与える、という魔王の配慮の故だという。そして、同様の理由で、頭部に有る筈の巨大な角も隠していた。
もっとも、私は真の理由を知っている。
魔王――トオルは、黒髪緑眼のジェシカを気に入っているのだ。だから、出来る限り自分好みの姿にして、側に置いているに過ぎない。
まったく、どうでも良い所だけ魔王らしい、と思わざるを得なかった。
「うーん。そこに、もう一人の俺もいるんだろう? 俺がいって、俺の国づくりに協力してもらうように説得してこようか?」
トオルの言は、無茶苦茶である。
もう一人の自分が、自分に協力する事を疑っていない様だが、その自信はどこから来るのだろう? 何より、《深淵》は私に激しく警告をしていた。
――いま一人のトオルは危険だ、と――
「トオル、《深淵》は何と言っていますか?」
「殺せ! 破壊しろ! ユグドラシルの意思を潰せ! って」
「はぁ。ならば貴方が行けば、間違いなく戦うことになりますよ?」
「む! やっぱりそうか」
私は、溜息を隠す事も無く吐き出した。今でこそ主従だが、もとより私が召喚した魔王である。それに、私の真なる目的は、《深淵》とも異なるし、トオルとも異なるのだ。
私の求めるものは、より巨大な質量の激突である。ならば、我等の総力と、《ユグドラシル》側の総力がぶつからなければ、意味が無いのだ。
だから、今はまだ、時機ではない。
何より、《調停者》を始末する方が先である。
「バルバロッサ達を退かせましょう」
私は、正面のジェシカを見据えて宣言した。
ジェシカは多少驚いた表情を浮かべたが、眼を細めると、赤い唇を歪めてすぐに頷いた。
私とジェシカは同格ではない。
私は、今や《魔神》の格を持っている。当然トオルは《主神》の格となっているので、序列で言えば私が第二位階で、悪魔公に過ぎないジェシカやガランドは第三位階なのだ。
「リリスさまの仰せのままに」
ジェシカの澄んだ声が、広々とした謁見の間に響いた。




