リリスの追憶
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私は、リリス。
《深淵》に届いたフィリスの《願い》によって生み出された者だ。
所謂、《悪魔》と呼ばれる者は、こうして誕生する。
《深淵》に届く願いとは、《世界》と同義である《ユグドラシル》と反するものだからだ。そして、《願う》者が高位の存在であればあるほど、生まれる《悪魔》も高位の存在となるのだ。
私は、魔界に生まれた。
魔界とは、《悪魔》が生み出した眷属達や、《ユグドラシル》と敵対したが為に現界を追放された種族達が暮らす、地獄の事である。
悪魔とは、そもそもが現界で生まれた強い願いの具現化した存在である以上、どのような者であっても、魔界において、既に高位の存在であった。それは、高度な思念から生まれたが故である。
私は、その中でも最上位に近い存在だった。
何故なら、私は半神の願いから生まれた《悪魔》だからだ。
私は悪魔公として生まれた、生まれながらの大悪魔だった。
ただ、不思議な事に、私の姿は決して禍々しいものではなかった。それどころか、緑色の瞳と緑色の髪を持つ、ごく普通の少女にしか見えないのだ。無論、二対四枚の黒い翼を持っているので、私が《悪魔》である事を疑う者はいない。だが、それにしても《悪魔》としては異質であった。
本来《悪魔》とは、凶悪な願いや邪悪な想いが具現化した存在である。そして、それらが悪魔達の容姿に反映されるのだ。
或いは反対に、美貌に対する執着や願いが具現化して、神々よりも美しい悪魔も存在するが、私の場合は、どうやら、そういう訳でもない。
つまり私は、《悪魔》らしからぬ容姿だった。
私は、自身の存在を不思議に思いつつ、願いの根源を丁寧に探っていった。
私の力で実現が可能かどうか? それが最も大切な事である。
いかに強大な者が願ったとしても、それに対する《ユグドラシル》の拒絶反応が大きければ、とてもではないが手に負えないのだ。
いかに私が大悪魔でも、単身で《ユグドラシル》に挑めるはずも無い。《深淵》ですら、《ユグドラシル》には一度敗れているのだから、当然だろう。
だが、幸い《願い》は、何とか私の手に負えそうである。
或いは、行き着く先に世界の崩壊があるのだとしても、願いは《世界の崩壊》ではない。そうであれば、やりようは幾らでもあるのだ。
私を作り出した主、半神フィリスの願いは、八坂徹という死者を甦らせる事である。
だが、如何なる神も、死した者を再び甦らせる事は出来ない。となれば、私の出来る事は一つだった。
並列世界の扉を開き、召喚される前の八坂徹を救うのだ。
しかし、それはつまり、俗に言う召喚と逆の事をやらねばならなかった。
召喚は確かに難しいが、高位の神官や悪魔ならば出来ないという事は無い。神ならば、誰を、何処から呼び寄せる事も容易だろう。しかし、自らが転移する事は出来ないのだ。
船が渦に飲み込まれるのは簡単でも、渦の中から海面に上がる事が難しいのと同じようなものだ。だからこそ、膨大なエネルギーがいる。
私の直面した問題は、まさにそこであった。
私個人では、とてもではないが時空を越えて、並列世界に干渉することは出来ない。
そもそも、フィリスの《願い》が、時空を越えた事だけでも奇跡といえるだろう。何しろ、フィリスの《願い》は、百年前の魔界に、私という存在を作り出したのだから。
だが、この事にこそ意味がある、と私は思った。つまり百年をかけて、私は来るべき日に備える事が出来るのだ。
だから、私に迷いは無かった。
とにかく、まず私は、もっとも簡単だと思える方法を試した。
生前の八坂徹を、魔王として召喚するのだ。
これならば、時系列を間違わなければ、肉体を持った八坂徹を召喚出来るはずだった。それに、これに成功してしまえば、何も問題は無くなるのだ。
しかし妙な事に、どのように呼びかけても、生前の八坂徹に対して、此方から干渉する事が出来ないのだ。その上、八坂徹は、あらゆる並列世界で、理由の如何を問わず、自死を必ず選んでいた。
となれば、やはり召喚によって八坂徹を救う事は出来ない。
そもそも、この方法で八坂徹の肉体が得られるならば、フィリスにも可能なはずだ。となれば、肉体を持った八坂徹を召喚出来ないのも通りである。
しかし、八坂徹を甦らせるにも、八坂徹を知らなければ、どうにもならないと私は考えた。
だから、あらゆる条件を外して、八坂徹を召喚することにした。
すると、魂だけの状態で、八坂徹が現われたのである。
魂だけでは何かと不便であろう、という事で、私は不死骸骨を一体呼び出し、八坂徹の魂を憑依させた。
八坂徹は、不死骸骨に憑依すると、一度だけ青白く輝き、たちまち私さえ凌ぐ魔力を有するようになったのだ。
私としては、解せない事であった。
本来は魂を持たない不死骸骨が、固有の魂を持つことで《ユニーク化》することはあるだろう。しかし当時、生まれたばかりとは言え、悪魔公である私を凌ぐ力を、《ユニーク》化だけで得られるとは思えなかった。
さらに不思議な事は、八坂徹は不死骸骨に憑依したにも関わらず、黄金色に輝き、聖属性を得ていた。
「トオル殿。貴方のその力は、一体何なのだ?」
当時、右手の指を四本、歯で咥えて、”かたかた”と忙しなく揺れる八坂徹に、私は単刀直入に聞いてみた。
「思念体さんが、俺が不完全な召喚だったからって、力を貸してくれてるんだ。肉体も一緒に来るはずだったらしいけど、魂だけになっちゃったから、って」
私は、その言葉に驚いた。
思念体とは魔界において、即ち《深淵》である。
私とて、《深淵》の意思を知ることは出来る。しかし、《深淵》が個人に力を貸すなど、今まであっただろうか?
この時、私は確信したのだ。
「《深淵》が《ユグドラシル》とぶつかれば、必然的に巨大な力場が発生し、時空を越えるエネルギーを得られる」
と、いうことを。
ならば、やはり八坂徹を召喚したことは、正しかった。
そうなれば、為すべき事はおのずと見える。そして、その先に《願い》の成就はあるのだ。
私は、八坂徹……トオル殿に魔王として魔界を制覇し、現界の主である《ユグドラシル》を倒すように頼んだ。
当然ながら、トオル殿は嫌がっていた。
「俺は、勇者になるつもりで来たんだぞ!」
そう、怒っていた。
恐らく、フィリスの召喚と私の召喚が入り乱れ、幾つもの並列世界に居るトオル殿の魂に届いていたのだろう。
ともかく、一人はフィリスの下に行き、今一人は、私の下に来た、という訳だ。
しかし、これも凄まじい話である。
同一時空に二つの並列存在が、いずれ並び立つ日が来るのであろうから。
「魔王と言っても、魔界においては単に国王の称号に過ぎませぬ。
何より、今、この魔界には四人の王がいて、彼等が互いに争っています。これでは、魔界がいつまでたっても平和になりません。
つまり、私はトオル殿に、魔界の勇者になって欲しいと言っているのです」
私は、とにかくトオル殿の説得にかかった。
まずは魔界を制覇しなければ、現界との扉を開くなど夢のまた夢である。現界に行かなければ、決して《ユグドエラシル》を掴むことは出来ない。だから、私は必死で説得したのだ。そうであれば「魔界の勇者」などと、誰が聞いても失笑するような言葉さえ、私は厭わずに言う事が出来たのだろう。
そのことが功を奏して、トオル殿はついに折れた。
「む! そういう事なら、分かった!」
こうして、私とトオル殿は魔界を六十と七年で征服し、現界へと攻め上ったのである。
もっとも、トオル殿は相変わらず、
「全世界を平和にする、俺の軍団!」
と、魔軍の事を呼んでいた。
ただ、どうしても魔界の者共は気性が荒く、些細な事でも揉め事を起こすので、人間達からの支持は得られない様である。
たまにトオル殿からその事を相談されるが、私としては知った事ではない。
私の真なる目的は、世界を平和にする事でも、破壊する事でもないのだ。
それよりも、先日齎された情報が、私の胸を躍らせていた。
「……戦場で不死乃王をお見かけ致しました。それに、リリスさまと瓜二つの神官も居りました」
私の執務室に現われたバルバロッサが、額に汗を浮かべながら、口元をへの字にして言っていたのだ。
バルバロッサには理解出来ない事であろうが、私は、《願い》の成就が近い、と、その時、確信したのだった。




