アルマ・バルベリーニの手記(3-4)
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不覚を取ったわたくしが目覚めると、フィリスに介抱されて、トオル殿が戦っている最中であった。
まったく、バルバロッサと戦った時といい、今といい、わたくしは自身の甘さに虫唾が走る思いである。
フィリスは失った腕を再生させながら、わたくしの右肩の傷を癒しつつ、さらに周囲に防壁を張ってくれていた。
わたくしは、こんなに優しいフィリスに嫉妬をしたのかと思えば、どこまでも無様な思いである。
「フィ、フィリス、すまない」
「なに、気になされますな。トオルさまが戦いを始めておられる。万に一つの敗北もないでしょう」
わたくしも、フィリスの言葉を素直に信じた。
確かに、ぱっと見た限りでは、トオル殿は押されている。けれど、致命的な一撃は喰らっていないようだし、何か作戦があってのことだろう。
「いっ!」
ふと、わたくしの肩に痛みが走った。
フィリスを見れば、僅かに唇の端を上げている。
「な、なんだ?」
「ふむ? 関節が外れていると思ったのですが?」
「関節は外れておらぬ。ただ、槍で貫かれただけだ」
「おや? ……ところでアルマさま。トオルさまが仰っていた、『俺のアルマ』とは如何なる事でござりましょうや? 事と次第によってはこの腕……」
眉がつり上がり、口角が下がる。眉間に寄った皺は縦一文字に深く、まさに憤怒のフィリスが、わたくしに顔を寄せてきた。
「あ、あれがトオル殿が勝手にいったことで」
「なんと! 我が主が勝手にと? アルマさま、それはおかしゅうございます! アルマさまが言い寄らねば、トオルさまがその様な事を申すはずはございません! さあ、お認めなされませ、このメス犬め!」
ああ、なんということであろう。狂信者を相手に、どう説明すれば良いのか、わたくしは途方に暮れてしまった。
わたくしがささやかな嫉視を彼女に向ける以上に、フィリスは、わたくしに激しい嫉妬の炎を燃やしていたのだ。
しかし、丁度その時である。
中空で轟音が鳴り響き、進化を遂げたアズナブイが姿を消したのだ。
五芒星を描いた地面から、色鮮やかな五色の光が立ち上り、最強種たる竜を飲み込んで、消し去ったのである。
トオル殿はといえば、魔方陣の外へ逃れ、さらに複雑な呪文を詠唱しているようだった。
「ああっ! トオルさまっ!」
フィリスがそちらに目を奪われたとしても、当然であろう。
強い強いとは思っていたが、トオル殿は、神や魔王にさえ匹敵するアズナブイ、その真なる力を前にしてさえ、圧倒して見せたのだ。
確かに、漆黒の長衣に身を包み、銀の錫杖を振う黄金の骸骨など、禍々しいことこの上ないが、今のわたくしには、誰よりも頼もしく見えていた。
◆◆
暫くして落ち着くと、火口から覗く空は、茜色に染まりつつあった。
流れゆく雲は、穏やかで緩やか。まさか少しばかり前までここで死闘が行われ、あまつさえ溶岩が足下に満ちていたとは、思われない程である。
溶岩を鎮めたのは、フィリスの業であった。
先ほど、トオル殿にこっそりと説明されたのだが、彼女は半神という存在になったという。但し、本人に知られると面倒だから、秘密にしてくれ、との事であった。
わたくしは、驚きを通り越して、呆れてしまう。
半神を作り上げるなど、トオル殿は、大神アルフォズルにも等しいというのか。これではトオル殿は神々の主になってしまう。
ともあれ、わたくしがここに来た理由を話すと、納得したようにお茶を啜ったトオル殿であった。
今や、アズナブイの居城とも言うべき火口は、フィリスの様々な奇跡により、トオル殿を神と仰ぐ神殿と化している。
あらゆる調度は、基本的に岩や氷から生み出されたものだが、それでも中々どうして、見事なものであった。
お茶の方は、ヤッファが竜人を使役して強引に出させたようだ。
どうも、ヤッファはバルバリアとの戦闘以来、お茶が好きになってしまったようで、今も納得出来たお茶が淹れられたということで、トオル殿にせっせと給仕をしているのであった。
「ということは、アズナブイ、お前はゴブリンや鬼を支配するのに飽き足らず、人の村にまで手を伸ばしたということだな?」
どういう訳か、トオル殿は正面の椅子に座り、わたくし、ウルフィスが右、フィリス、ヤッファ、サラスが左に並び、小さくなったアズナブイがトオル殿の正面で弁明をする、というスタイルになっている。
まるで、謁見の間における王と廷臣、そして罪人の姿であった。
「人の村を襲ったのは、ゴブリン共が突如消えうせた為だ!」
「む! ふ、ふむ。それはわかった。しかし、なぜそれ程の貢物、というか、家畜やゴブリン、はては人を欲しがったのだ?」
「ク、クハハ。魂を喰らえば、我は強くなる! 我は四界の王にして世界の調停者。故に、魔王と同等、或いはそれ以上の力が必要。故に、力を蓄えておった!」
小さい身体でも尊大なアズナブイは、翼も含めて、身体をぐるりと革紐で縛られていた。
もちろん、革紐如きで縛られている以上、力の低下がどれ程のものか、想像にかたくない。恐らく、野犬と同等、或いはそれ以下であろう。
「ふうん。ま、でも、さ。俺に負けたんだし、もう闘う必要ないよね?」
「なっ! 我はまだ生きておる! 第一、我以外に魔王を倒せる者などおらぬわ!」
「いや、俺が倒すよ! 俺、勇者だし! 俺の恋人も強いからな!」
「な、なにい!?」
口角から唾を飛ばしている小さな竜に、漆黒のローブを纏った不死公が声を荒らげ「俺が勇者だ!」等と言う様は、ある意味で世界の終わりを思わせる。
「えっへん!」
わたくしの正面で、フィリスが胸を反らして咳払いをしていた。ああ、フィリスは大神官兼恋人であったのか。ならば、先ほどの恐ろしいまでの嫉妬も頷ける。
「何勘違いしてるんだよ! フィリスは大神官だろ! 俺の恋人はアルマだよ!」
トオル殿の言葉に、竜人以外の視線が、わたくしに全て集まった。悪夢である。
わたくしは、その様な契約を結んだ記憶は無い。一体、どこで何があれば、その様な誤解が生まれるのであろうか。
たしかに、僅かだが心引かれた事は認める。しかし恋人となれば、いささか進展が早いと思うのだ。
「ト、トオル殿……気持ちは嬉しいが、わたくしとしては」
「ハッハー、冗談だ! ああ、だが、アルマも本当はもっと強いんだぞ!」
まったく、心臓に悪い冗談である。
フィリスとヤッファに視線だけで殺されそうになったわたくしは、背中一杯に冷たい汗をかいていた。
しかし、トオル殿の言葉から察すると、わたくしの秘密を既に気付いているのだろう。まったく、底知れぬ御仁である。
「……ふむ。なんであれ、貴様が四界の王たる我に勝利し得たのも、また事実である。
よろしい、託そう」
結局のところ、アズナブイは折れた。
トオル殿の強さを真に知るのは、確かに戦ったアズナブイであったろうし、その上で思うところもあったのだろう。
こうして、ゴブリン、鬼、人間、それぞれに干渉する事を止める、とアズナブイはトオル殿に約束をした。
「あ、あとな、アズナブイ。お前がここにいると、魔素が濃くなって、ゴブリンの村に畑が作れないんだよ」
「む? それは我のせいでは……」
「いや、お前のせいだろ? だから、さ。一緒に来いよ! 丁度俺、ペットが欲しかったんだよ!」
「ふ、ふ、ふざけるな!」
「決定な?」
トオル殿は椅子から立ち上がると、アズナブイの前でしゃがみ込みんだ。
それから、アズナブイの身体を縛っていた革紐を緩め、首の付け根で結びなおした。もちろん、革紐の余った部分はトオル殿が握り締めていた。
さながら、飼い犬の様になったアズナブイは、不平で鼻をならしていたが、意外にも暴れる事は無く、トオル殿の腕の中に納まったのである。
こうして、日が暮れる前に、エフリースという名のゴブリンの村落へと、皆で転移したのであった。
わたくしは、簡素とは言え、この日、久しぶりに屋根のある場所で眠りに付く事が出来たのである。
ナカーシック暦247年12月14日
__ゴブリン村エフリースにて__
__アルマ・バルベリーニ




