ここまでですか?
◆
アッシャー山へと至る道のりは、決して平坦ではなかった。
俺の腰程まである深い草と、湿った土が行く手を阻むのだ。
その上、黒光りする鎧を付けた羽付き蜥蜴、竜人とやらが時折現われて攻撃を仕掛けてくるのだから、厄介極まる状況だった。
お陰で、村から山の麓に行くまでに丸一日かかってしまい、すごく損した気分だった。
もっとも、早朝、尾根から溢れる様に現われた陽光が余りにも美しかったので、損はすぐに取り戻したと思う。
俺の審美眼は完璧だ。むろん、目は無いが。
今は村を出てから、二日目の昼が過ぎた頃だ。今日も野営かな、と諦め半分に歩いていると、一人の竜人が俺たちの前に現われた。
二日の間に十回も襲撃されれば、流石の俺も飽きてしまう。なので、竜人は適当にフィリスに任せ、俺は木陰に座り込み、戦闘が終わるのを待った。
戦闘自体は、すぐに終わった。しかし、いつまでたっても俺の側に戻ってこないフィリスは、あっちこっちと忙しく駆け回ってる。何かの準備をしているようだ。
どういう訳か、竜人を縛り上げ、捕虜にしているようだった。
俺はといえば、アズナブイの居場所が正確にわかれば転移出来るんだけどなぁ、等と考えながら、昼過ぎの、緩やかに流れる細い雲を眺めている。
「火竜の眷属ということは、お主を焼いて調理するのは無理そうじゃ……ならば、鍋で……うふふ、お主、トオルさまの食事になれるのだ、誇って良いぞ。うふふ」
雲を眺めるのも飽きて、ぼんやりと、いそいそと動くフィリスに視線を移したら(目は無いぞ)、彼女がとんでもない事を口走っている。
慌てて俺は、フィリスの行為を全否定した。
「え? いや、俺、爬虫類は食べたくないよ? 焼くのも煮るのも、嫌だよ」
確かに、食用の爬虫類はいる。食べられるのだろう。しかし、根本的に、会話が出来る相手を食べようとするなんて、フィリスの神経は大丈夫だろうか? 俺はとても不安になった。
「なんと! せっかくトオルさまの夕食に、と思って捕まえたのですが! ふむ。となれば、皮ごと剥いで鱗の鎧でも作るか……モノを粗末にしては、信徒達に示しがつかぬゆえ……」
……その鎧は、一体誰が着るんだ? フィリス……そして、ソレはモノではない……
そう思ったが、俺は言わなかった。
フィリスが竜人を捕まえた理由は、俺が食べる為であった。どおりで竜人の両手、両足を長い棒にくくりつけて、薪を大量に集めていると思ったのだ。
俺が食べないとなれば、武具として再利用するつもりのようである。
フィリスの前では、もはや何人の人権もありはしない。破壊神の信徒か否か。信徒でなければ、食うか、使うか、である。恐ろしい。
捕らえられた竜人が、俺の方をむいて、縋るように涙を流している。コイツはコイツで、一体ここに、何をしにきたのやら。
ちなみにフィリスの得意料理は、何かの丸焼きなのだが、今日は姿煮に挑戦するつもりだったようだ。どちらにしても、料理と呼べる代物は、決して出来上がらない。そして、調味料も無い。
結局、俺達の会話を戦々恐々として聞いていた竜人が、ついに叫んで俺に助けを求めたのだ。
「何でもするから助けてくれ!」
俺としては、大変にありがたい言葉であった。
「なら、アズナブイの棲家を教えて欲しい。出来るだけ正確に」
「そ、それは言えぬ!」
だが、俺の問いかけは、竜人の激しい拒絶にさらされた。困った、振り出しに戻った、と思ったが、フィリスの言葉が状況を変える。
「……トオルさまの問いに答えぬか……答えぬならば、生皮剥いで、塩を塗りこむぞ。下味を付けるのに、生きていようと死んでいようと問題などないからな!」
俺、食わないって言ってるのに……あと、塩も無いのに……
「ま、まて! 言ったら助けてくれるのか?」
半狂乱で首を左右に振り続ける竜人は、涎と鼻水に塗れ、とても亜人最強種とは思われない有様だ。
しかし俺が発した一言で、首の動きをぴたりと止めると、酷く安堵した表情を浮かべ、長い溜息をついていた。
「……ああ、助ける。開放してやる」
こうして、竜人は落ちたのである。
思えば、アッシャー山の火竜、という情報だけで出かけた自分の迂闊さに赤面する思いの俺である。
……まあ、骨なんで顔、赤くならないけどね。
そこで分かった情報だと、なんでも、アズナブイは山頂付近にある火口に、普段は身を潜めているそうだ。
火竜というだけあって、マグマの中にでも身を浸しているのだろうか? 恐ろしいことだ。
しかし、居場所さえ分かってしまえば、あとは転移するだけなので、問題はない。
ならば、「竜と戦うのは明日にしよう」と、俺は心に決めたのだ。
こうして、アズナブイの情報を得た俺は、三十分程前に約束通り、笑顔で竜人を開放してやった。むしろ、これが良い方向に転がれば、とさえ思っていた。
もしも、アズナブイと話合えたなら……ていうか、正直、竜人と何度も戦って、戦う事が面倒くさくなっていた。
__その時である。
<我に近づく愚か者は貴様か? 我が眷属を幾体か屠ってくれたな……まして今戻った者の悲痛な叫び……その罪、身を持って知るが良い……>
俺の内側から、思念体さん以外の声が聞こえてきたのだ。
◆◆
俺の内側から響く声が火竜アズナブイのものだと気がつくのに、それ程時間は掛からなかった。
なぜなら、半瞬程の後には、ごつごつとした茶色い岩場の広い空間に、のっそりと佇む巨大な真紅の竜がいたのだから。
俺とフィリスは、強制転移をさせられたのだ。
濛々とした煙に閉ざされた空間は、俺以外の者であれば視界を奪われ、竜の影さえ見えないだろう。それ程に、溶岩から立ち上る煙は濃く、白く、周囲に満ちていた。
「フィリス!」
「問題ありませぬっ!」
咄嗟に、俺はフィリスを呼んだ。
この状況を彼女が把握出来ているか、不安だったのだ。少なくとも、人間では息をする事さえ苦しいだろう。
しかし、フィリスは半神。しっかりと俺を見つめ、溢れんばかりの輝かしい笑顔を向けてくれる。
いや、ダメだろう、フィリス! 敵を、しっかりと見るんだ! あのでかい竜を見てくれ!
「我に楯突く愚か者よ。ひれ伏し、許しを乞うならば苦しまずに死を与えてやろう……さもなくば、永遠の時を煉獄で苦しむ事になるが、どうするか?」
竜が瞳孔の無い黄色い瞳を俺に向けて、問うてきた。
こちとら、もう死んでんだ、ボケー。と、心の中で返しつつ、
「アズナブイ! 何故、罪無きゴブリンの村を襲う? 何故の、貢物を求める? 鬼に対しても同様だ!」
「……我は、己のが存在を自覚した。
我は強い。故に、喰らい、従わせる。
それよりも、我が質問に答えよ……」
俺は、この竜の言葉を反芻した。
つまりは、弱肉強食ということ。
【違います】
あっさり思念体さんに否定された……くすん。
「ぶっ……ぶっ、ぶっ、無礼者がああああ! 何たる頭の高さか! トオルさまをそれ程までに高みから見下ろすとは、もはや許せぬ! 貴様こそ選べ! 闇の刃で八つ裂きにされて挽肉になるか、永久凍土の氷に貫かれ、輪廻さえも許されぬ鎖に繋がれるかをっ!」
俺と竜の問答を黙って聞いていたフィリスが、突然キレた。
さっきから、「フゥー、フゥー」って怪しい息遣いが聞こえていたから、そろそろなんじゃないかと思っていたが、相変わらず凄い勢いだ。
アズナブイが”びくっ”っとして、僅かに後ずさったのだから、凄まじい。
しかも、フィリスが握った杖を左右に振ると、瞬く間に溶岩が氷に変わり、周囲に立ち込めていた煙が消えたのだ。
「人間の娘如きに、このような力……が?」
驚愕しているであろうアズナブイは、長い首を大きく持ち上げて口を開いた。
【吐息です。火竜ですから、高温です。現在装備中の鎧と特性により耐えられますが、ダメージはあります】
思念体さんから注意される俺。属性反転をした方が良いだろうか?
【推奨しかねます。アズナブイの戦闘力が測れません】
なんだと? それは、もしかしてとんでもなく強いということか?
俺の疑問に思念体さんが答える間もなく、周囲は真っ赤な炎に包まれた。フィリスが作り上げた氷さえ、一気に蒸発している。それ程の高温だった。
それでも俺の鎧は、確かに炎を寄せ付けず、弾いている。しかし、鎧の隙間から入り込んだ熱波は、僅かながらも俺の体にダメージを与えていた。
別に熱くはないが、体の一部が炭化したのだ。
あまり何度も焼かれたら、いくら俺でも砕けてしまう。
……生まれて初めての火葬……って、馬鹿な事を考えている場合じゃない! ここは、速攻だ!
俺は剣を抜き放ち、アズナブイの巨体に突進した。
まず剣が鱗に通るか、試さなければならない。炭化した箇所があっても、俺の体は崩れない限り動くのだ。それに、属性反転をしていなくとも、ある程度の再生は可能。それは、攻撃しながらでも、だ。
フィリスも吐息でダメージを負っている様には見えない。今、彼女は全身を乳白色に輝かせて、三十センチ程浮かび”プルプル”と震えていた。
間違いなく、彼女は怒っている。そして、俺には怒っている理由が分かった。
俺が、焦げたからだろう……だが、丁度良い。
俺は、竜に向かって走りながら、フィリスに目配せをした。
すると、俺の突進から僅かに遅れて、杖を天に翳したフィリス。
俺の刃が巨大な竜の前足に突き立ち、フィリスが放った雷光が、二本の角が生える頭部を穿つ。
が、すぐに剣は弾かれて、足も頭も傷口が再生する巨大な竜。
剣が弾かれた後に、上を見上げて俺はぞっとした。
余りに巨大だったのだ。
高く持ち上げた頭を頂点とすれば、十階建てのビルにも相当するだろう。
そしてその巨体が、飛翔した。
「もう許さぬ……消炭になれ……」
言うなり、竜が巨大な翼をはためかせて飛翔した。羽音の轟音が聞こえたのは、竜が中空を舞った後の事である。
音速を超えている、だと……
俺に発汗機能があったなら、額から頬にかけて、絶対に汗が流れていただろう。膀胱があったなら、足元は大洪水間違いなしだ。
見上げる俺が目にしたものは、赤い光りの渦だった。
だが、渦は俺に辿りつく直前に収束し、凝縮した塊となった。まるで赤いレーザービームだ。それは、直径ならば三メートルはあるだろう。俺を飲み込むには十分だった。そして、俺の鎧さえ蒸発させる程の高温だ。
俺は、属性を反転させた。
それでも、俺の体は砕かれた。
後に残ったものは、背負っていた銀の神錫だけだった。
「トオルさ__」
フィリスは、俺が赤い光の渦に包まれる瞬間、右手を俺に伸ばしていたが……
俺の知覚が正確に現在のフィリスの姿を伝えているのだとすれば、その変わりようは余りにも無残だった。
フィリスの鎖骨から上と、右腕がごっそりと失われていたのだ。
すまない、フィリス……まさかこんな事になるなんて。
ちょっと頭がおかしいけれど、キミは決して悪い子ではなかった。
少なくとも、こんな場所で、こんな死に方をする人なんかじゃないのに……
理解出来ない理不尽に、俺の胸は張り裂けんばかりだ。
もっとも、もう、胸どころか骨も無いのだが。
俺は、決して挑んではいけない者に、挑んでしまったのかもしれない。
そう言えば、理解し難いことがもう一つあるとするならば、身体を失ったはずの俺は何故、こうして意識を保っているのだろうか?
やはり、俺が__神だからなのか?
【……個体、八坂徹の分身体が間近に迫っています。意識を接続しますか? Y/N】
竜は大きく口を開き、勝利の咆哮を上げていた。




