アルマ・バルベリーニの手記(3-1)
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翌朝、わたくしは目が覚めると、やはり部屋の違和感にゾッとした。昨晩と変わらぬ位置に、瑠璃紺色の鎧を着た骸骨騎士が佇んでいるのだから当然だろう。
「おはよう」
それでも、元を正せばトオル殿には違いない。
わたくしは気を取り直して挨拶をした。
しかし、骸骨騎士は首だけを動かし、わたくしを見つめるだけだった。
普段、トオル殿をあまり怖いと思わないのは、あの、ふざけた会話があるからかもしれない。そう思えば、今、わたくしの目の前にいる骸骨騎士は、本当に不気味である。
そして、わたくしが着替えようと思ったその時__
階下から__むしろ外からであるが__叫び声が聞こえた。
「竜人だ! 貢物を要求している! ポタリアに救援を!」
「だめだ! 間に合わない!」
「なら、魔軍だ! 魔軍に助けを求めろ! バルバロッサなら助けてくれるかもしれんっ!」
聞き捨てならない名前が飛び込んできた。
なんという事だろう。この地では、もはや魔軍は一定の信頼を得ているというのだろうか。
たしかに、バルバロッサは元々人間だ。それゆえに、人の心の機微にも通じているだろう。しかし、人間が魔族にひれ伏して暮らす状況を容認するなど、あり得ることだろうか?
だが、考えても仕方がない。
わたくしは、急いで装備を整え、階段を下りて表通りへと飛び出した。
「どうした?」
宿の外に出ると、斧を手にしたエルシーと、剣を持つシェリーがすぐに目についた。
足元を白く染める雪を美しいと感じたが、緊迫した彼等の表情が、わたくしの感動を瞬時に奪い去る。
「アレを……竜人です」
エルシーの視線の先は広場であり、そこでは五匹の竜人が胸を反らして叫んでいた。しかも、彼等の属性は火であるらしく、鈍い鉄の輝きを放つ鎧の下に赤黒い鱗が覗き、降りしきる雪を溶かし続けている。
あれで、背中から生えた禍々しい翼さえなければ単なる蜥蜴人なのだが、と、わたくしは詮無い事を考えた。
「愚かな人間共よ、選べ! 我等が王、火竜アズナブイ様の支配下に入るか、それとも滅びるか!
支配下に入るというのならば、家畜を百頭、週に一度、用意しろ! さもなくば、人間十匹でも構わん! 一週間だけ期限をやろう。どちらか選ぶが良い! ワハハハハハ!」
竜人の声は、天を裂くほどの大音声で村に響いている。
元々が竜の亜種である彼等は、その声にも「恐慌」や「支配」の特性が備わっているはずだ。となれば、一般人がそれを防ぐ手立てはない。
この場で幸いだったことは、エルシーもシェリーも、元冒険者であり、特殊な訓練を積んでいたことだろう。だから二人は歯軋りをしながらも、冷静さを失っていなかった。
「倒すか?」
わたくしは、勇者である。
ゆえに、このような暴虐は看過出来ぬ。
「いや、それはマズいでしょう。ここで奴等を倒せば、火竜が黙っていません……奴等が一週間期限をくれるというのなら、その間に対策を立てるしか。
とにかくアルマさまは、一刻も早く村から出て行かれる方が良いかと……」
戦斧を両手で握り締め、本来ならば一番に竜人に飛び掛りたいであろう宿屋の主人エルシーが、わたくしの問いに答えた。
雪が降る中、薄着にも拘らず、エルフとドワーフのハーフであるこの男の体からは湯気が立っている。わたくしに対する口調は穏やかであったが、その内心は竜人に対する怒りが渦巻いているのだろう。
そんな彼が我慢している以上、わたくしが迂闊に動く訳にもいくまい。
「ええ、今はやり過ごすしかないかと思います。すみません、姫様。朝から驚かせてしまって」
シェリーは剣を鞘に収めながら、申し訳無さそうに言った。
しかし、視線は油断なく竜人に向けており、殺気さえ放っている。剣を収めたのは、わたくしに対する礼儀ゆえであろう。
二人とも、竜人が襲い掛かって来たならば、反撃するに違いない。さらに、負けるつもりも更々無いようである。
となれば、今、わたくしがでしゃばる必要は無いだろう。
しかし、問題は今の事ではない。
「だが、一週間後に、どうするのだ?」
わたくしは、お節介だと思いながらも問わずにはいられなかった。
竜人の言葉が、聞き捨てならなかったのだ。
一週間に一度、家畜を百頭ずつ差し出すなど、現実的に考えて不可能だ。そして、それが不可能だからといって、人を十人ずつ差し出すことなど、さらに不可能であろう。
ならば、この村が縋る者は誰か。
最初に聞こえてきたように、魔将に縋るのか?
そんなことは、わたくしが許さない。
やはり、わたくしが救うしかないのだ。
「大丈夫、これは私達の問題です。なんとかしま__」
わたくしの問いに、微笑を浮かべて答えようとしたエルシーである。しかし彼の言葉を、わたくしは首を左右に振って遮った。
彼等には、何一つ自らを守る手段が無い事は明白だ。それなのに、彼の言葉を聞いてしまえば、わたくしとて、為す術を失うと思ったから。
「わたくしは勇者だ。竜は、わたくしが退治してみせよう」
雪の積もった街路には、村人の重苦しい沈黙だけが残っている。
翻って、広場にいた竜人達は、翼を広げて西の空へと羽ばたいていった。
◆◆
エルシーもシェリーも強情であった。
元冒険者の血が騒ぐのであろうか? 独立独歩の精神に溢れている事は素晴らしいと思うが、一人で立てそうも無い時には、素直に誰かを頼れば良いと、わたくしは思う。
この村は「アガド」という名であり、一ニ〇戸、凡そ六〇〇人が暮らしているという。
その中で戦士と呼べる者は、それこそ「今日も一日お疲れ様亭」の主人エルシーと、その妻、シェリーの二人だけだった。
だから二人は竜人が去ると、竜人の特性によって混乱に陥った村人達を静め、「今日も一日お疲れ様亭」の食堂に、村の主だった者を集めた。彼等の主導によって、今後の対策を協議する為である。
わたくしは、幾度かエルシーに、
「いやいや、アルマさま! 使命をお忘れになってはいけません! 貴方は魔王を倒すべきお方!」
と諭され、村を去るように言われた。
しかしここで村人を見殺しにして、わたくしは、果たして勇者を名乗れるのか? そんな疑念に囚われたのだ。だから強引ではあったが、協議に参加した。
市井の者を決して見殺しにしない。それが、わたくしの信念なのだ。
「まずは竜に家畜を差し出して、様子を見ようじゃないか。それしか方法は……」
「その間にポタリアに救援を?」
「いや、ポタリア軍では竜を倒せない」
「で、では魔王、いや、魔将でも良い。救援を求めよう! それしかない」
「だが、救援はどの程度で来る? 家畜を週に一〇〇頭なんて……長くは持たないぞ」
「そもそも、魔王や魔将に救援を求めて、助けてくれるのか?」
「わからない。しかし、他に誰がここを守ってくれるというのだ!」
「今日も一日お疲れ様亭」に集まった面々は、それぞれに蒼白という絶望色の表情を浮かべ、口々に世の無常を呪っている。
「だから、わたくしが倒しに行くと言っている」
まったく、聞き分けの無い村人達である。
エルシー、シェリーを筆頭に、皆、わたくしが勇者である事を知ってなお、女子供には任せられない、とのたまい、無駄な議論を続けるのだ。
ウルフィスが、
「俺の何処が子供だ!」
と、怒鳴った時に一度だけ、わたくし達が討伐に向かう方向で話が纏まりかけたのだが、その時もエルシーが強引に、ついた道筋を捻じ曲げてしまった。
「ドワーフが一人いた所で、竜には勝てませんな」
確かに、エルシーの言葉は正論だった。
ウルフィスは、それ以来、食堂の隅でむっつりと腕組みをして目を瞑ってしまった。
「諸君、もはや議論の余地はないだろう?
何度も言うが、わたくしは勇者だ。そして、連れは若いとは言え、ハイエルフが二人と、ポタリアの勇敢な戦士ウルフィス。さらには破壊神の眷属である蒼の騎士もいる。
そもそも、竜が魔王より強いとでもいうのだろうか? そうでなければ、ここは一つ、わたくしに任せてはくれまいか?」
わたくしは、ひとしきり案が出尽くした頃合を見計らい、一度だけ机を大きく叩いてから、言った。
多少、礼を失するかもしれないが、わたくしは眼光を鋭くし、皆を睥睨するように見回す。それで勇者の威に慄けば、皆の考えも揺らぐというものだ。
もはや他に対策とてない村人達には、他に選択の余地も無かったのであろう。申し訳無さそうに互いの顔を見つめ合い、最終的に、わたくしの言葉に賛同してくれたのである。
降り積もった雪の中、蒼い鎧を纏った騎士が、この宿を守るように立っている姿が窓の外に見える。
或いは、その頼もしさにも、村人は心動かしたのかもしれない。もちろん、中身が骸骨だという事は伏せてあるので、傍目には全身鎧の屈強な騎士に見えるのだろう。寒さにもまったく動じないその姿は、誰よりも頼もしく映っていたはずだ。
それに、議論は飽きたとばかりに部屋に戻ったヤッファとサラスが、旅装を調えて再び村人達の前に姿を現したとき、二人は破壊神の神官衣であった。
ハイエルフと言ったのは、わたくしの出まかせだが、純白の神官衣を纏う透き通るような美貌のエルフ達は、わたくしの言葉に信憑性を齎したのであろう。
加えて、壁に立てかけてあったウルフィスの金戦斧が床に倒れた時、その衝撃で建物全体が揺れたという点も、我等の強さを証明するのに役立っていた。
とにかく、それらの事が重なって、村人達は、ようやく、わたくし達に全てを任せてくれる気になったのである。




