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第4話:箱の中の墓標(前編)

主を失った離宮の扉は、驚くほどに簡単に開いた。


鍵すらかけられていなかったその古びた扉を押し開けた瞬間、ルキウスの全身を襲ったのは、耳が痛くなるほどの重苦しい静寂と、そして胸を切り裂くような奇妙な既視感だった。


部屋の中は、信じられないほどに綺麗に整頓されていた。


王都随一の権力と財を誇る公爵家の令嬢の部屋にしては、きらびやかな宝石の箱や、高級な硝子の置物といった華美な装飾品が、ほとんど見当たらない。


机の上にも、棚の上にも、ただ白い埃だけが、誰にも邪魔されることなく静かに、静かに積もり始めている。


かつて、彼女がここで笑い、ここで悩み、ここで確かに一人の人間として生きていたという瑞々しい気配が、まるで最初から存在しなかったかのように綺麗に消し去られている。


その不自然なまでに乾ききった空間そのものが、ルキウスの心を冷たく抉った。


「フェリシア……」


ルキウスは、まるで見えない何かに強く引き寄せられるように、部屋の奥にある大きなクローゼットへと、ゆっくりと歩を進めた。


一歩歩くたびに、古い木製の床が小さく悲鳴を上げるようにきしみ、その音が主のいない冷え切った部屋の中に寂しく響き渡る。


クローゼットの重い木製の扉を開けると、そこには彼女がいつも身にまとっていたドレスが、静かに並んでいた。


その中には、かつてルキウスとの夜会に着ていくはずだった、彼が彼女の瞳の色に合わせて選んだ、あの深い夜色の美しいドレスもあった。


それらの衣装を、震える手で優しく押しのける。


部屋を覆う埃の気配とは裏腹に、そこだけは主を待つように清廉な空気が残されていた。


クローゼットの最奥、光が一切届かない最も暗い場所に、それは隠されるようにして置かれていた。


「これは……なんだ?」


ルキウスは息を詰め、その重い「塊」を両手で慎重に引っ張り出した。


それは、一つの大きな木箱だった。

だが、王宮にあるいかなる一流の職人が手がけた調度品とも、明らかに違っていた。


高価な金銀の細工は微塵もなく、あちこちの木肌がけば立ち、全体がめちゃくちゃに歪んでいた。


子供が拙い道具で作ったと言われても信じてしまうような、不恰好で、不気味なほどの歪さを持った箱。


フェリシアの亡くなった母親が、病床で、死の直前に震える手で削ってくれた、世界に一つだけの形見の木箱。


鍵すらついていないその不恰好な蓋を、ルキウスは自身の心臓の鼓動を耳の奥で聞きながら、ゆっくりと持ち上げた。


ルキウスは外した蓋を床へと静かに置き、箱の底を覗き込んだ。


その瞬間、ルキウスの鼻腔を突いたのは、あの処刑場で感じたものと全く同じ、胸が締め付けられるような石鹸の香りと——そして、じっとりとした、冷たい「湿り気」だった。


箱の底に並べられていたのは、金銀財宝でも、誰かを呪うための呪詛の道具などではなかった。


一つは、酷く不細工な布の人形だった。


あちこちの縫い目がガタガタで、ボタンで作られた目は左右で不揃いだった。


けれど、一針一針に恐ろしいほどの執念と、深い愛情が込められているのが、見ているだけで伝わってくるような、そんな人形。


彼女を置いて先に逝ってしまった母親が、残される娘のために、最後の力を振り絞って縫い合わせて遺してくれた、唯一の愛の証明。


そしてもう一つは、完全に赤黒く枯れ果てた、一本の薔薇の花だった。


水分を完全に失い、あちこちの花弁が不自然に縮こまった、哀れな枯れ木。



「あ……」



その枯れた薔薇を目にした瞬間、ルキウスの記憶の底から、まばゆい光を放つ古い古い記憶が、濁流のように押し寄せてきた。


それはまだ、彼が世界という呪いに染まる前。


ただの純粋な子供だった頃、庭園で見つけた薔薇を「はい、これあげる!」と、何気なくフェリシアに手渡した、ただのありふれた花だった。


彼女は、あの日から十年もの間。王子からどれほど冷遇されようとも、婚約破棄を突きつけられようとも、その枯れ木同然の思い出を、亡き母親の形見と同じ、人生で一番大切な箱の中で、ずっと大切に、守り続けていたのだ。


いや、それだけではない。


この赤黒く枯れ果てた薔薇の姿は、他でもない、フェリシア自身の十年間そのものだった。


ルキウスに拒絶され、周囲から悪女と罵られ、世界の冷酷な運命に心をじわじわと削られながら、誰にも見られることなく、たった一人で静かに「枯らされていった」彼女の生き様そのもの。


世界がどれだけ彼女を醜い悪女と呼ぼうとも、彼女は王子の愛を信じて、美しく咲いたまま、ここで静かに枯れていったのだ。


「そんな、馬鹿な……。お前は、ソレイユを憎んでいたはずだ。俺を、呪っていたはずだろ……フェリシア、お前は……っ」


ルキウスの視界が、恐怖と、あまりにも遅すぎた激しい後悔で細かく刻むように揺れた。


抱きしめたい。

愛おしさと狂おしさのあまり、ルキウスはその赤黒い薔薇へ向けて、震える手を伸ばした。


「フェリシア……」


王子の指先が、カサリ、と乾いた花弁に触れる。


その瞬間だった。王子の涙が床に落ちるよりも早く、赤黒い薔薇は脆くも音もなく崩れ落ち、ただの乾いた黒い灰となって、彼の指の間を虚しくすり抜けて、床へとサラサラと散っていった。


そこに残ったのは、形の失われた、ただの切ない名残だけだった。


「あ……あ、ああ……っ」


ルキウスの喉から、言葉にならない悲鳴が漏れた。


抱きしめることすら、もう許されない。触れた瞬間に形を失って消えてしまうほど、自分は彼女の心を、その存在を、徹底的に枯らしきって、壊してしまったのだ。


取り返しのつかない「永遠の手遅れ」を、その崩れ去った薔薇の灰が、残酷なまでの質量で王子に突きつけていた。


ルキウスは息の仕方を忘れたように、ただその灰を見つめて床へと頽れた。


だが、絶望はそれだけでは終わらなかった。崩れ去った薔薇の灰のすぐ横、箱の最奥に、もう一つの小さな箱が静かに横たわっているのを、ルキウスの濡れた瞳が捉えた。


それは、鉄製の、小さな、本当に小さな宝箱。


あちこちの塗装が剥げ落ち、角が丸く削れてしまった、ボロボロの箱。


そしてその鉄箱のすぐ隣には、あの日、ルキウスが幼い頃に「預けるよ」と言って一緒に手渡した、あの「錆びたボロボロの鍵」が、持ち主を待つように静かに並んでいた。


ルキウスの心臓が、破裂しそうなほど激しく脈打った。それもまた、ルキウスの記憶の引き出しにあるものだった。


幼い頃、彼がフェリシアに「僕の秘密の宝箱なんだ。君に預けるよ」と言って手渡した、子供騙しの安物。


ルキウスは震える指先で、自分のポケットの奥を漁った。


取り出したのは、あの日、彼女が捕縛される間際まで、命そのものであるかのように両手で固く握りしめていたために没収された、あの古びたロケットペンダント。


今、目の前にある「鉄の箱」と「錆びた鍵」。そして、自分の手にある「ペンダント」。


すべての思い出の品がこの場所で再び合流したことに、ルキウスの心臓は破裂しそうなほど激しく脈打った。


「フェリシア……フェリシア……」歯の根が合わず、ガタガタと音を立てる。


ルキウスは、箱の底から拾い上げたその錆びた鍵を、小さな鉄の箱の鍵穴に差し込んだ。


ガタガタと震える指先に力を込め、ゆっくりと、鍵を回す。



カチリ。



悲しいほどに小さな、乾いた音がして、秘密が解錠された。


ゆっくりと蓋を開けたルキウスの指先に、その瞬間、明確な、じっとりとした冷たい水分が触れた。

【制作メモ】

本作は、作者が考案したプロット、設定、言葉遊びをベースに、AI(人工知能)と二人三脚で本文の執筆・調整を行って完成させました。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


本作は全7話の短編小説です。


毎日【18:03】に連続更新(全3日間)いたします。


【更新スケジュール】

第1話、第2話(公開中)

第3話、第4話、第5話(公開中)

第6話、第7話(明日公開完結予定)


もし少しでも「先が気になる」と感じていただけましたら、【ブックマーク登録】や【評価(★やポイント)】をいただけますと大変励みになります。


残された手記、そして二人が行き着く世界の真実を、どうか最後まで見届けていただけますと幸いです。


次回の更新も、よろしくお願いいたします。

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