第2話:乾いた世界の断頭台(後編)
「……え?」
聖女ソレイユの口から、およそその場にそぐわない、奇妙に気の抜けた声が漏れた。
祈りを捧げる彼女の白い指先が、目に見えてガタガタと震え始める。
その異変に最初に気づいたのは、すぐ隣にいたルキウスだった。
「ソレイユ? どうした」
ルキウスが怪訝に眉をひそめ、彼女の細い肩に手をかけようとした。
その瞬間、ソレイユはバッと両目を開いた。
その瞳には、さきほどまで民衆を安心させていた太陽のような輝きは、微塵も残っていなかった。
あるのは、底知れない未知の深淵を覗き込んでしまったかのような、圧倒的な困惑と、生物としての本能的な恐怖だけだった。
「おかしい、です……そんな、あり得ません……」
「何がだ。浄化の光が届かないのか?」
ルキウスの声が、心なしか低くなる。
ソレイユは血の気が引いた顔で、自分の両手を見つめた。
広場を埋め尽くす民衆の歓声が、彼女の耳の中で急に遠のいていく。
「違います……効かないのではありません。私の『浄化』は、悪意や呪い、憎悪といった魂の『穢れ』を焼き尽くす力です。なのに、手応えが……何も、無いのです。まるで、最初からそこに『悪意』なんて一滴も存在しなかったかのように、私の光が、ただの虚空を通り抜けるみたいに……」
「何を言っている。彼女は貴様を呪い、国を滅ぼそうとした悪女だぞ」
ルキウスは自分に言い聞かせるように言葉を返した。
そうだ。
フェリシアは罪を犯した。
だから死んだ。
すべては法と正義に則って行われた、正しい世界の選択のはずだった。
しかし、ソレイユは青ざめた唇を震わせたまま、必死に首を横に振るばかりだった。
「ですが、神聖術は嘘を吐きません。私の光が触れたフェリシア様の魂は、あまりにも……あまりにも軽くて、透き通っていました。まるで、最初から肉体という檻の中で、ただ泣くことしか許されていなかった子供のようで……。それに、見てください、ルキウス様」
ソレイユが指さした断頭台の床を見つめ、ルキウスは息を呑んだ。
そこには赤い血が広がっている。
それだけだ。
おぞましい瘴気も、悪霊の呪詛も、何一つ湧き上がってはこない。
ただ、五月の乾いた風に乗って微かに——本当に微かに、石鹸のような、どこか懐かしい香りが二人の鼻腔をくすぐった。
「ルキウス様、私は……頭が、おかしくなりそうです。私たちは、一体何を殺してしまったのですか……?」
ソレイユは両手で顔を覆った。
彼女の身体を支えるルキウスの手も、いつの間にか冷たく、不自然にこわばっていた。
雲一つない青空から、突き刺さるような陽光が降り注いでいる。
民衆は今なお、悪が滅びたハッピーエンドを信じて、声を枯らして万歳三唱を繰り返している。
その笑顔はあまりにも眩しく、そして、あまりにも不気味だった。
太陽の光に照らされた処刑場で、王子は初めて、己の足元が底なしの冷たい沼に変わっていくような、おぞましい予感に息を詰まらせた。
「……ソレイユ、それ以上は何も言うな。今日はもう休むといい。大役を終えて、心身が疲弊しているのだろう」
ルキウスはこれ以上、民衆に聖女の動揺を見せるわけにはいかないと判断し、騎士たちにソレイユを送り届けるよう命じた。
処刑場を後にするソレイユの背中は、ひどく小さく、世界の主役であるはずの輝きを完全に失っているように見えた。
一人残されたルキウスもまた、促されるままに王宮へ戻る馬車へと乗り込んだ。
車窓から見える王都の景色は、いつも通りだった。
人々は笑顔で語り、市場は活気に満ちあふれ、子供たちは無邪気に駆け回っている。
悪が滅び、平和が戻った、完璧に美しい国。
だが、ルキウスの胸の奥に生じた違和感は、馬車の小刻みな揺れに合わせて、奇妙な形をとって膨らみ始めていた。
(なぜ、誰も疑問を持たないんだ?)
ふと、そんな思いが頭をよぎった。フェリシアが犯したとされる罪の数々——。
聖女の馬車への襲撃、王宮の書庫への放火、他国との不穏な通信。
それらの証拠はすべて、あまりにも「完璧」なタイミングでルキウスの机に届けられていた。
まるで、誰かが最初から決まっていた物語のページをめくるように、次から次へと、都合よく。
そして何より、フェリシア自身の最期の態度だ。
彼女はかつて、ルキウスの婚約者として、誰よりも気高く、そして控えめに彼の後ろを歩いていた少女だった。
それが、ソレイユが聖女として現れた途端、まるで狂ったように嫉妬に狂い、わかりやすい「悪女」として振る舞い始めた。
断罪の場でも、彼女は一言も叫ばなかった。
「私はやっていない」とも、「呪ってやる」とも言わなかった。
ただ、すべてを諦めたような、あるいは、すべてを受け入れたような、あの奇妙な微笑みを浮かべていただけ。
『……う……す……さま』
馬車が王宮の大きな影に入り、車内がふっと暗くなる。
その乾ききった暗闇の中で、ルキウスは無意識のうちに、自分の服のポケットに手を差し入れた。
指先に、冷たい金属の感触が触れる。
それは、フェリシアが捕縛される間際、流れる涙を拭うように、まるで命そのものであるかのように両手で固く握りしめていたために、騎士たちによって没収された、あのはがれかけた古い『ロケットペンダント』だった。
ルキウスはそのペンダントを強く握りしめた。
その瞬間、彼の指先がなぜか、冷や汗とは違う「奇妙な湿り気」を帯びているような錯覚に囚われ、小さく身震いをした。
【制作メモ】
本作は、作者が考案したプロット、設定、言葉遊びをベースに、AI(人工知能)と二人三脚で本文の執筆・調整を行って完成させました。
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本作は全7話の短編小説です。
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