批判とその他の人事
今年のペナントレースで、ロケッツの最下位が決まった。ゆえに現在の監督の辞任も、元々今季終了までの契約だったのもあって延長はしないということで、正式に決定となった。
それを受けて、僕が選んだ新監督である、自分の小学生のときの担任の先生だった、大野純子さんと契約するために、彼女に球団事務所へ足を運んでもらった。
「本当に一千万円でいいんですか?」
僕は彼女に確認の問いかけをした。年俸の話で、こちらが初めに提示したのは三千万円だった。他のチームは、低いところは五千万円、優秀な監督だと一億五千万円といった具合で、まるっきり実績のない彼女にはその金額が妥当だと判断したのだが、にしても日本のプロ野球の全十二球団で最も小さい数字になるというのに、さらに下げるよう本人から要求されたのである。
「もちろん。考えてみて、一千万円だって普通だったら高額所得者よ。だいたい、もっと少なくていいって、私、言ったよね?」
「はい。ですけど、それはさすがに」
「あまり多額のお金を手にすると怖いからさ。性格が変わるかもだとか、犯罪者に狙われそうだとか、いろいろとね。それに、もう先の人生が長くないから、そんなに持ってても余らせちゃうだけだし」
「いえ、今の時代、六十代なんてまだ若いじゃないですか」
現在、先生……じゃもうないからその呼び方はやめて、大野さんは、六十四歳だ。お世辞ではなく本当に、亡くなるのは何十年も先だろうと思わせるくらい、若くて元気である。また彼女は、美女といったイメージではないものの、顔立ちは整っていて綺麗だ。
「とにかく、浮いたぶんは選手たちにあげてよ」
「わかりました。球団としても助かります」
そして、契約書にサインをしてもらった。
「これで大丈夫?」
「はい。改めて、監督の要請を受けてくださって、ありがとうございます」
「受けてくれたって、私、最初は断ったけどね」
「そうですよね、すみません」
僕は頭を下げた。
「いいよ、いいよ。ごめんね、余計なことを言って」
彼女は相手をなごませる素敵な笑顔を見せた。僕が小学生のときと変わっていない。自分が学生時代に教わった先生で最も良かったと断言できる、優しくて心を許してしまう素晴らしい人だ。
「これから大変ですけど、できる限り僕が先生を守りますので」
「あら、頼もしい。でも、覚悟したから大丈夫。桜井くんだって、就任したてなうえに、他にもやることがたくさんあって大変だろうから、私にそんなに気を遣わないでいいよ」
「いや、僕こそ大丈夫です。何かあったときは本当に遠慮なく言ってください。先生を傷つけることになったら、僕自身、一生残るほどの心の傷になると思いますし」
「わかった。じゃあ、若葉マークの者同士、助け合って、頑張っていこうね」
「はい」
相手を頼もしく感じているのは大野さんよりも僕のほうで、気持ちが少し安らいだが、やはり試練が襲いかかってきた。マスメディアがこぞって今回の新監督の件をこき下ろすような報じ方をしたのだ。
〈ロケッツ、弱くても見放さず応援してくれている熱心なファンすら呆れる暴挙〉
〈ふざけるな! と他球団からもブーイングの嵐〉
〈ピエロはもうプロ野球界から撤退すべし〉
などといった調子で。
その一方で、大野さん本人に厳しく迫ってくる事態にはならなかった。プロどころか、野球自体未経験というのが批判の理由なわけで、なのに監督を引き受けた彼女も本来バッシングされておかしくないけれども、女性を悪く書いたりするのは、ジェンダーに関してすごくセンシティブな今という時代において、慎重にならざるを得なかったようである。それを計算して僕は彼女に決めたのではなかったので、運が良かったと言える。
ならば、大野さんを選んだ僕が集中砲火を浴びるところだが、僕にGMを要請した際に目立たないようにすると約束してくれたからだろう、普通オーナーはそんなに表に出て発言しないものであるはずなのに、藤野さんはメディア各社が勢揃いしている場に登場して、こう言ったのだ。
「皆さん、批判は結果を見てからにしていただきたいですねえ。ロケッツの来シーズン、まあ、楽しみにしててくださいよ」
それでひとまず僕は難を逃れられたけれども、本当に助けてくれたのか疑いたくなる。そのコメントで、ただでさえプレッシャーがあるのに、絶対に良い成績を残さなければならなくなってしまったし、発言したときの態度もただ面白がっているだけといった感じだったのである。
でも、いいや。仕方がないし、そもそも、今回の監督人事は突拍子もないのに、結果が伴わなくても気長に見るとなったら、ピエロはやる気がないとの批判に言い逃れができなくなるので、「少なくとも最下位脱出は至上命題。大野さんの契約は一年」という条件であるゆえ、どっちみち成績が表れる初年度の来シーズンから、僕も駄目だったら辞任するつもりで頑張らなければいけないのだ。
それに、どう思われるか、重要なのは外野よりも選手たちにである。
「皆さん、お騒がせして、大変申し訳ございません。加えて、大野さんは野球について一通りはわかっていますし、さらに勉強を日々重ねていますが、だとしても素人の彼女を監督に据えたことに、お怒りの感情があると思います。しかし、もちろんチームのためを考えて決定した次第です。時間が経てば、必ず今回の選択を理解していただけると私は信じております。よろしくお願いいたします」
選手たちを前に、そう僕は説明して、深く頭を下げた。
対して、怒号が飛ぶというくらい、ものすごい剣幕で文句を言われるんじゃないかと覚悟していたのだけれども、不満の一言も口にされることはなく、拍子抜けしてしまったほどだった。
大野さんを監督にした代わりといっては何だが、ヘッドコーチには選手時代の実績が最高レベルな元投手の高岡さんという方にお願いし、怖いイメージがある長谷さんというバッティングコーチにも、そのときにあいさつしてもらうので同席してもらったからかと思ったけれど、それが最大の理由ではなかった。
選手たちは、チームの成績がまったく振るわないにもかかわらず補強を行わない球団に不信感を抱きつつも、おかげで自分が試合に出場できたり戦力外にならずに済んだりと助かっている面が多大にあったために、今回の件も腹立たしさを表に出さなかったのである。
しかし、みんな屈折したような心理状態で、衝突しなかったから良かったわけでは決してない。それは後にあらわになるのだった。
今一度コーチに関して述べると、その人選は、通常は監督の意向が反映されやすい。すべてのメンバーを監督が選ぶ場合もあるようだ。しかし、今回のうちは大野さんということで、僕が完全に全員を決めた。
かたや、ドラフトを経て入ってくる新人選手で誰を指名するかは、スカウトの人たちにほぼ百パーセント任せた。編成本部長という肩書の、実質的なゼネラルマネージャーに就任したばかりで、アマチュアの選手のことをよくわかっていないからなのもあるが、スカウトの方々のほうが、眼は確かだし、球場に足を運ぶなどしっかりチェックしているので、今後も彼らの意見の大半は受け入れると思う。
ただ、これだけは言わせてもらった。
「今回は全面的に皆さんの意見を採用しますけども、来季からは人間性を重視するようにお願いいたします。どれだけ能力が高くても、人格に問題がある選手は、亀裂を生んだりと、強いチームを作る妨げになりかねませんので」
また、ファンに愛されて応援してもらうためにも、人間としてちゃんとしている選手をという要望をスカウトの人たちに行ったのである。
その点は、新しい外国人選手の獲得も同様で、今回は担当者の声を全部受け入れるが、以後は人柄を重視するようにと注文をつけた。
そうしてメンバーは揃って、新しい年を迎え、二月のキャンプからロケッツは新たなスタートを切ったのだった。




