桜井采配
僕がゼネラルマネージャーをやっていたことは、積極的にアピールはしていなかったが、ひた隠しにされていたわけでもない。だから、野球関係者であれば、知っていてもまったく不思議ではなかった。元々はこの業界にいたわけでない東城さんまでもが、どこでからかその情報を仕入れていたように。
今は日本のプロ野球よりもメジャーリーグの注目度のほうが高いと言っていいし、若者だと父の名前を聞いてもピンとこない人だって多いので、騒がれることはなかったに違いない。
しかし、監督をやるとなると、さすがに別だ。大物のバッターで、なおかつ人柄の良さから人気も相当だった、桜井弘満の息子であるのに加え、大野監督ほどではなくても、選手経験がないに等しい、通常はあり得ない人間の就任ということで、一般のニュース番組でも大きく取り上げられたりしたのである。
僕は、父のことがあって、学生時代はずっと陰に隠れるように生きてきたから、ちょっと目立つのでもすごくストレスだというのに。
また、西園寺選手が、FA宣言をしたとき、獲得に名乗りをあげてくれなかった張本人であるGMの僕がロケッツの監督になったために、より一層うちに闘志をみなぎらせているようなのだ。トホホ。「あの件は本当にごめんなさい。どうか許してください」と、別に倫理的な問題があったわけでもないのに、謝りたくなってしまう。
そんな具合でマイナス要素にまみれているけれども、監督が僕になったゆえに良い点もある。
なんといっても、他の五球団が、指揮官が変わることで、どういう野球をやってくるのかわからないのが大きい。何度も対戦して、こっちはだいたいのパターンは把握しているのに対して。
それに、せっかく自分で監督をやるんだからというのもあり、大野監督を踏襲する意識は持たず、思いついたことは積極的に採用した。
まず打つほうは、茂木選手が四番になったことにより、そのタイミングで調子が悪かったのもあって七番に下がったジール選手を、茂木選手を一番バッターにして、再び四番に据えた。人によってだけれども、何番を任されるかはけっこう重要で、実際にこれで気を良くしてくれた感じがあり、彼はそこから一段と活躍してくれたのだ。あと、成長著しい馬場選手を五番に上げた。
監督には打順を固定させる人とほぼ毎試合変えるタイプの人がいるが、僕は固定させる派だ。そのほうが、選手たちは自身の役割が染みついて、相手のピッチャーとの対戦に集中できると思うからである。ただ、やはり上の打順に置かれたほうが気持ちが乗るだろうと、好調な人はときどき上位に持っていったりもしている。
投手陣はというと、クローザーの石本投手以外のリリーフはどこで投げるか流動的だったのだけれども、安定感が増したメンデス投手を基本的に八回に送りだすかたちにし、調子によっては石本投手が八回でメンデス投手を九回にするようにもした。
中継ぎと抑えは疲労がたまらないように、とりわけその日の体調を知るためにコミュニケーションを頻繁に取るようにしたし、二軍から投手をよく昇格させたが、それも、主に若手の選手にチャンスを与えるのと同時に、一軍のリリーフたちを休ませる目的があったのだった。
ローテーションを任せている先発ピッチャーたちには、試合ですぐに代えずに、完投を目指してもらうスタイルにした。後から出てくる投手たちの負担を少なくするのもあるけれども、長いイニングを投げられる体力やピンチを自分で切り抜ける精神力といった力量アップのためや、先発ピッチャーの勲章とも言える勝ち星ができるだけつくようにということでである。
作戦面では、去年のドルフィンズの仁科監督を見て学んだものを参考にしたり、素人なのだからと開き直って、元々の変わり者であるのを活かし、セオリーを無視したサインを送ることもある。
しかし、基本的には選手に任せている。プレーしている本人のほうがわかることは多いはずだからだ。そのぶん、判断力を養う練習を取り入れた。映像を見せて、この場面ではどうするのが良いか、考えさせて答えてもらい、コーチを交えて話し合ったりするのである。
ただし、試合中に選手たちは興奮していて視野が狭くなることもあるので、やはりこちらから指示したり、意見を交換したりもする。要はケースバイケースだが、結果がどうであれ納得いくように、信頼関係を築いて壊さないよう常に心掛けている。
こうしたやり方は、大方はうまくいったと述べていいだろう。僕が監督になっても成績が悪化することはなく、ロケッツとアローズの二チームが優勝を争って抜きつ抜かれつという状態が続いたのだった。




