決断
僕は、父の死後の小学生のときに、少年野球チームに入団した。
父とは違い、野球の才能はまったくなかった。それでも、個人的には、楽しくやれれば良かった、のだけれど——。
「ほら、あいつだよ、例の」
「親父がすげえバッターだったんだろ?」
当然、周りは桜井弘満の息子に注目する。それは同世代の子どもやその親たちにとどまらず、見物人に交じってマスコミの姿まであった。
お粗末なプレーをさらして、父の顔に泥を塗るわけにはいかないと思った僕は、チームを去る決断をした。遊びでだって野球はできるのだし、と。
しかし、チームを離れてしばらく経ってから気づいたのだ。僕は、自分がプレーをする以上に、野球そのものが好きだという事実に。ならば、勝つか負けるかのヒリヒリ感が段違いであるのを筆頭に、やはり真剣勝負の場に身を置きたい。
それで、高校生のときに、選手は辞めて何年も経過していたから人々に興味を持たれなくなっていたものの、念のため目立たぬように野球が有名じゃない学校に入学したうえで、マネージャーとして野球部に所属したのである。
「だろう?」
藤野社長が口を開いた。
「きみのことを調べた奴に、試合で対戦する相手のデータを収集するといった本格的な取り組み方だったと報告を受けていたから、きみをGMにすると決めたのに、さっき『学校の野球部のマネージャーはお手伝いさんみたいなものだ』って言うからよ。まあ、『データやなんかは監督に頼まれただけかもしれないし、他人から見えるのと本人の意識は違うもんだからな』と思ったが、やっぱり本腰を入れてやってたのか」
「はい。すみませんでした」
僕は頭を下げた。
「でも、だったらなんでGMの誘いを断ったんだ? そんなに野球に関わりたいんなら、やりがいのある仕事だろ?」
「ですから、父の名を汚さないように、です」
「んん?」
社長は理解できないといった表情だ。
「きみの高校の野球部は、きみがマネージャーになってから、それ以前よりも明らかに成績が上向いたよな? もちろん、監督じゃないし、きみ一人の力ではないにしても、こちらが調査してロケッツを強くさせる見込みはあると判断したくらいなのに、どうして桜井弘満の汚名になると思うんだよ?」
「いや、その……私、ちょっと変わっているもので……」
「変わってる?」
「はい。例えば、そうですね、スポーツ選手は一般のサラリーマンなどと違って、ほとんどが高齢になる前にその仕事からの引退を余儀なくされるわけじゃないですか。なので、友人らにかわいそうだよねって話をしたら、『そんなふうに考えるなんて変わってる』といった具合に、けっこうな頻度で変わり者だと言われるんです。ゆえに、もう亡くなっていますが立派な父に、息子がそんな人間だということで迷惑をかけてしまうので、他人に知られないように極力目立つ場は避けて今まで生きてきたんです」
「……」
すると、藤野社長は呆気に取られたという感じになって、隣の三浦さんと顔を見合わせた。
「確かに変わってるな?」
「……そうですね」
二人はそう言葉を交わした。
「え?」
な、なに?
「どういうことですか?」
「いや、だってよ、きみが犯罪を犯すとか悪事を働いたりするなら、父親の汚点になるって考えるのは妥当だけども、そんな程度の変わり者ってだけで、父親の名を汚すと思うことが変わってるよ」
え? え?
「そう……ですか?」
「カッカッカッ」
社長はとても愉快そうに笑って、自分の太ももの辺りを叩いた。
「こいつはいい。やっぱりきみにGMをやってもらいたいね。言ったように、あんまり簡単に強くなってもつまらねえし、紆余曲折あっていい。その変人であるところを活かして、他のチームじゃ思いつかないことをやって、ロケッツを面白くしてくれや。ま、きみは深く考えないで、ただ一生懸命優勝を目指してくれりゃいいんだ。桜井弘満はそこまでの人格者じゃなかったわけだし、変わってるくらいじゃ名を汚すことにはならない。彼に傷をつけるとしたら、あまりにも成績が振るわなかった場合だが、桜井弘満の息子をGMにしたと公表したりせず、球団内部の人間がその役目を担う際に一般的に使われる『編成本部長』っていう肩書にして目立たないようにすっからよ。どうだい?」
……。
「で、では、検討する時間を少々頂戴したいのですが、よろしいでしょうか?」
「まあ、そうだな。今日GMの話を聞いたんだから、すぐに返事をするのは酷だなわ。よく考えろよ。そんで、決まったら会社に連絡をくれ」
「は、はい。ありがとうございます」
そうして、僕はピエロを後にした。
「母さん」
自宅に着くと、職場から先に帰ってきていた母に、僕はすぐさま声をかけた。
「ねえ、父さんってさ——」
今日のことを話して、知らなかった父の一面について確認した。
「本当なんだよね?」
「そうよ。まさか、そんなこと、ほんとに知らなかったの?」
「だって、教えてくれなかったじゃんか」
「そっかー。そうねー。『お父さんは、善い人は善い人だったけれど、世間で言われているほど立派ではなかったの。至って普通よ』なんて話した覚えはないわねー」
母さんは独り言を口にするようにしゃべった。
「もー、ちゃんと教えてよ」
でも、考えてみると、仕方ないかもしれない。おそらくそれまでの父さんの稼ぎでうちの家計が苦しい状態になることはなかっただろうけれど、にしても、父さんの死によって母さんは働きに出て、母子家庭ゆえ一人で仕事をやり、家事も育児もやりと、毎日忙しくて大変だったんだから、そんな些細なことに気が回らなかったとしても。
「でさ、どう思う? ゼネラルマネージャーなんて大役、僕には無理じゃない? それに、藤野社長はそう言ったけれど、やっぱり父さんの迷惑になっちゃうんじゃないかな?」
「そんなの気にすることないわよ」
母さんは間髪入れずに答えた。
「人間なんて、生きていれば迷惑をかけちゃうものなんだから。その社長さんの言うように悪事を働くならともかく、お父さんを気にしてやりたいことを我慢するなんて馬鹿げてる。ごめんね、道尋。私がそう伝えてこなかったせいで、ずっと窮屈な思いをさせちゃったのね」
「いや、それはいいよ、全然。母さんはひとり親になって大変だったんだし、僕が勝手に父さんのことを過剰に意識してただけなんだから」
「それで、あんたはやりたいの? やりたくないの? やりたいなら引き受けて、嫌なら断ればいいだけよ。どうなの?」
「うん……やりたい、かな。ちょっと荷が重くてプレッシャーもあるけれど、僕、父さんがどうこう関係なく、野球というスポーツが好きなんだ。それに関わる仕事に就けて、しかもプロチームのゼネラルマネージャーだなんて、こんな夢みたいな話は普通はあり得ないと思うしね」
「そう。じゃあ、決まりね」
すると、母さんは満面の笑みを浮かべた。
「もしかしたら、お父さんが道尋のために頑張ってくれて、こうなったのかもね。桜井弘満の息子っていうので、生まれてから嫌な思いをたくさんしたでしょうに、そんな境遇を一度して恨んだりすることなく、それどころかお父さんの名を汚さないようにずっと気をつけてきたんだもん。十分すぎる孝行息子で、そのご褒美みたいなものよ。だから、失敗したっていいから、心置きなく、自分の思うようにやりなさい」
「……うん!」
母さんにそう言ってもらえて、完全に気持ちは固まった。
「あ、社長ですか? 私です。桜井道尋です」
会社に電話をかけると、また藤野社長につないでくれた。
「おう。何だ? どうするか決めたのか?」
「はい。ゼネラルマネージャー、いえ、編成本部長でしょうか、ぜひやらせてください。よろしくお願いいたします!」




