投手コーチ 相川玲志の話
僕は今回が初めてのコーチ就任であり、選んでくれた桜井GMには感謝している。
また、ロケッツは、勝率が五割前後で、六チーム中の三位か四位という状況がしばらく続いており、万年最下位のチームだったのだから健闘しているのは間違いなく、彼の力によるものといっても言い過ぎではないだろう。
ただ、あの桜井弘満の息子さんという眼で見てしまっているからかもしれないが、お坊ちゃんの弱々しい印象を抱いた。それに——。
「もちろん狙うのは優勝のみです」
そう公言しているのも、「Aクラスで満足」なんて語るのより本来は好ましいはずなのに、現実の厳しさを知らない甘ちゃんといった受けとめ方をしてしまっていた。
だから、そのときも良くない感情の割合が高かったのだ。彼から「うかがいたいことがある」と、監督とコーチみんなが意見を求められた。
「トレードの申し出が来ているんです」
「はあ」
——え? マジで?
聞いたその内容にびっくりしたのは、僕だけではないだろう。
異なるリーグに属している、静岡ジェッツというチームからで、向こうが交換要員として挙げた選手がかなり力のある選手だったのである。
牛込進という名のその彼は、フリーエージェントによって今年加入したプレイヤーに押しだされる格好で、長年務めていたレギュラーのポジションから外れてしまい、トレードを志願して、球団がそれに応えた、という経緯のようだ。
ピーク時よりは若干成績が下がってきていたものの、まだ三十一歳とバリバリやれる年齢であり、実際に去年だって、ほぼ全試合に出場し、打率は二割七分台で、二十本以上のホームランを放つなど、体力的にも数字の面でもまったく悪くはない。「放出しちゃって本当にいいの?」と思わず訊きたくなるクラスの選手なのだ。
実質的なゼネラルマネージャーという立場じょう、桜井くんの一存で決めることも十分可能だが、迷っているのでこのトレードを成立させるのに賛成か反対か我々の考えを知りたいということだった。
「そりゃあ、もちろん賛成ですよ」
後でわかったけれど、コーチは全員、申し出を受けるべきと回答した。
ただ一人、大野監督だけは反対したらしい。
「その選手が加わると、当然、うちの今レギュラーのコの立場が悪くなるのよね?」
「はい、そうなりますね。試合でどちらを使うかは監督が決めるわけですが」
「私は受けなくていいと思う。ロケッツの選手みんな、よくやっているもの」
こういったやりとりだったみたいだ。
そして桜井GMが出した結論は、「断る」だったのである。
「監督がノーと言っていますし、私もキャンプで今いる選手たちに『優勝には皆さんの力が必要だ』と力説したにもかかわらず、外部からの補強に頼るのは、タイミングとして早すぎると思いますので」
で、僕は思ったのだ、「やっぱり甘いな」と。
力のある選手は何人いてもいいはずだ。それでレギュラーを奪われてやる気をなくすようなヤワな奴は元から大成は見込めない。ケガでポジションに穴が開くことだってある。本気で優勝を狙う気が果たしてあるのか。あるとするなら、考えが甘すぎる——。
ところが、だ。
選手には成立するまでトレードの情報は伏せられるが、どこかしらから耳に入ってくるもので、僕が担当している投手の、最上という男が、こう言ってきた。
「あの桜井GM、善い人だとは思いますけど、ちょっと甘くないですか? 牛込さんをうちにくれるってトレードの話を受けなかったらしいじゃないですか」
「だよな。僕もそう思ったよ。ただ、向こうが代わりに要求した相手は、お前だったんだけどな」
「え! そうなんですか? ほんとに?」
「ああ」
「……」
最上はしばらく唖然としていた。
その後、最上は実に素晴らしいピッチングをするようになったのだ。元々素質はあって期待されていたものの、殻を破れずにそこそこの成績しか残せていなかったのだが、おそらく牛込の代わりとして求められる選手だというので自信がついたのと、それを拒否するくらい評価してくれている桜井GMに報いるためといった気持ちが大きいに違いない。
しかも、最上だけではない。牛込が加入したらほぼ確実にポジションを奪われていたサードの森崎という男も、GM、それから反対した大野監督への恩義でだろう、闘志みなぎるプレーで、今年は最初から結果を出していたが、さらにもう一段上と言える活躍を見せたのである。
それを計算したのか、牛込一人獲得するより、投手と野手の若手二人を飛躍させたのだから、そっちのほうがいい。そもそも、そのトレードの話が彼らに間違いなく伝わるように、監督とコーチたちに相談をしたのかもしれない。本当は最初から断ると決めていて。
もしその通りだとしたら、桜井GMは相当したたかだ。
甘いなんて思ったことを懺悔したいくらいである。




