番外編 風を失った男③ 風の魔法使いと魔道具職人
それからというもの、セレイオスはグリードホーン家に入り浸るようになった。店の仕事を手伝い、バルドと酒を酌み交わし、リシェルに「邪魔だから、少しどいて」と追い払われても気にしない。なかでも、魔道具作りが趣味のリックとは、すぐに意気投合した。
ある日、店の裏にある工房を訪れると、作業台に向かうリックの前で魔道具が白い煙を吐いていた。
「……リック、また煙が出てるんだけど」
「煙じゃない。余った魔力が外に出てるだけだ」
「それを煙って言うんじゃないの?」
リシェルが呆れたように言うと、リックは返事の代わりに装置を調べ、設計図を広げ直した。
「今回はかなりいいところまで来てるんだ。風属性の魔力を圧縮して、一定時間保存する装置なんだよ。うまくいけば、長距離移動の補助に使えるはずなんだ」
セレイオスは設計図を覗き込み、術式をしばらく目で追ったあと、その一部を指で示した。
「着眼点は面白い。ただ、この術式だと魔力の損失が大きいな。圧縮する前に流れを整えたほうがいい。ここで魔力同士がぶつかっている」
「やっぱりそこか。ずっと悩んでたんだ。術式の順番を変えれば改善できそうか?」
「ああ。先に流れを安定させれば、余計な魔力を逃がさずに済むはずだ。ここの回路も少し変えてみるといい」
「なるほど……。それなら出力も安定するかもしれないな」
二人は設計図を挟んで、術式の組み方や魔力の流れについて意見を交わし始めた。普段はセレイオスの魔法談義にうんざりしているリシェルも、研究の話となると夢中になる弟を前に、口を挟むのを諦めたらしい。
「……もう、また始まった。二人とも研究の話になると、周りのことなんて全然気にしなくなるんだから」
「楽しそうでいいじゃねえか」
様子を見に来たバルドが笑うと、リシェルは肩をすくめた。
「楽しそうなのはいいけど、前みたいに工房をめちゃくちゃにするのだけはやめてほしいわ」
「おいおい、そんなにしょっちゅう壊してないぞ」
「この前だって、実験中に何か爆発してたじゃない」
「……あれは、ちょっとした失敗だ」
「工房を壊すような失敗を、ちょっとしたで済ませないでよ……」
リシェルが呆れてため息をつくと、リックは気まずそうに設計図へ目を落とした。しばらくそれを見直していたが、ふと思い出したようにセレイオスへ向き直る。
「そうだ、頼みがあるんだけど、高純度の風魔力を少し貸してくれないか? 今使ってる魔石だと出力がどうしても安定しないんだ。直接魔力を流し込めれば、術式がちゃんと動くか確かめられると思う」
「それだけでいいのか?」
「十分ありがたいよ。どれくらい必要になるか分からないから、最初は少しずつ試したいんだ」
「分かった。必要な分だけ流せばいいんだな」
「そう。くれぐれも、一気に流し込んだりしないでくれよ?」
念を押すリックに、セレイオスは頷いた。その様子を見ていたリシェルは、どこか不安そうに眉をひそめる。
「……セレイオス、ちゃんとリックの言うことを聞いてよ。あなた、こういうときに夢中になりそうで怖いんだから」
「心配しなくても大丈夫だ。リックの研究がうまくいくように、協力するだけだからな」
「……本当に頼むわよ」
リシェルが念を押す横で、リックは装置の調整を始めた。セレイオスの魔力を借りられれば、これまで行き詰まっていた研究も進展するかもしれない。二人はさっそく術式と装置の状態を確認しながら、魔力を流し込む準備を進めていった。
◇
それからしばらくして、工房の中には凄まじい風が吹き荒れていた。魔力抽出装置が低い唸り声を上げ、床に描かれた術式が青白く輝く。その中央で両手を広げたセレイオスから風の魔力が流れ込み、金属製の管を通って装置内部の魔石へと吸い込まれていく。
「いいぞ、そのまま! もう少しだけお願いします!」
作業台にかじりついたリックが、興奮した様子で声を張り上げた。
「これくらいか?」
「そう! もう少し上げてみてくれ!」
「ちょっと、リック! さっきから装置が揺れてるんだけど!?」
リシェルが止めようとするが、リックは制御盤から目を離さない。
「大丈夫だって! 魔力の流れは安定してるんだ。ここで出力を上げれば、蓄積効率がどこまで伸びるか確かめられる!」
「その『大丈夫』って言葉、全然信用できないんだけど!」
「ははっ、装置は揺れているのに、魔力の流れは乱れていないのか。面白いな」
「セレイオスまで何を楽しんでるのよ! いいから二人とも、少しは周りを見なさい!」
リシェルが叫んだ直後、装置がひときわ大きな唸り声を上げた。窓がガタガタと震え、床まで小刻みに揺れ始める。
「……リック、これ以上はまずいんじゃないか?」
「そ、そうだな! よし、十分だ! セレイオス、もう止めてくれ!」
リックが慌てて制御盤を操作すると、装置の唸り声が次第に弱まり、工房を吹き荒れていた風も嘘のように収まった。セレイオスも魔力の供給を止め、大きく息を吐く。
「よし、記録できた! これなら蓄積効率を調べられるぞ。ありがとう、セレイオス!」
「そうか。それならよかった」
セレイオスが微笑んだ直後、身体がぐらりと傾き、そのまま床へ倒れ込んだ。
「お、おい! 大丈夫か!?」
リックが慌てて駆け寄る。
「だから、やりすぎだって言ったでしょう!」
リシェルたちが慌てて駆け寄る。セレイオスは床に横たわったまま、心配そうに覗き込む三人を見上げ、かすかに笑った。
「……家族の役に立てたなら、本望だ」
「だから、勝手に家族認定しないで!」
リシェルがすかさず言い返すと、工房にバルドの豪快な笑い声が響いた。
「がははは! いいじゃねえか! ここまで頑張ってくれる奴がいるなんて、ありがたい話じゃねえか!」
「父さんまで何言ってるのよ!」
リシェルが抗議する横で、リックは呆れたように息を吐きながらも、セレイオスの身体を起こそうと手を貸していた。
セレイオスはそんな三人のやり取りを聞きながら、静かに目を細めた。散々叱られているはずなのに、不思議と嫌な気はしない。むしろ、この賑やかなやり取りの中にいることが、心地よく感じられた。
◇
それから数日後、工房を訪れたセレイオスは、作業台の前で固まっているリックを見つけた。机の上に置かれたものをじっと見つめ、声をかけられるまで気づかないほど集中している。
「どうした? 何かあったのか?」
セレイオスが近づくと、リックはようやく顔を上げた。
「……セレイオス、これ、どこで手に入れたんだ?」
作業台の上には、拳ほどもある透明な鉱石が置かれていた。内部では青白い光が淡く揺らめき、角度を変えるたびに結晶の奥で複雑な模様が浮かび上がる。リックはそれを手に取ると、信じられないものを見るように光へかざした。
「天晶石だ。以前、手に入れる機会があってな」
「天晶石……? まさか、本物なのか?」
リックは恐る恐る魔力を流してみた。すると、ほとんど抵抗を感じることなく、魔力が滑らかに内部を通り抜けていく。
「嘘だろ……。天然の天晶石なんて、めったに見つからないはずだぞ。こんな大きなものが残っていたなんて……」
「そんなに珍しいものなのか?」
「珍しいどころじゃないよ。天晶石は魔力をほとんど損なわずに伝えられる、伝説級の魔法鉱石なんだ。普通の素材じゃ安定させられないような複雑な魔法陣や魔力回路にも使えるし、これだけの大きさがあれば、作れる魔道具の幅も大きく広がるはずだ」
リックは一度言葉を切り、改めて鉱石を見つめた。
「加工するのも難しいから、素材として手に入っただけでも大変なことなんだぞ。……それで、これをどうするつもりなんだ?」
「お前の研究に使えないかと思ってな」
「……え?」
セレイオスは天晶石を手に取り、そのままリックへ差し出した。
「お前にやろうと思って持ってきた」
「……俺に? いや、待ってくれよ。これがどれだけ貴重なものか分かってるのか? 俺にはとても受け取れないよ」
「どうしてだ?」
「どうしてって……。俺の作る魔道具なんて、まだ試作品ばかりだし、こんな貴重な素材を使いこなせるかどうかも分からない。それに、これほどのものを俺がもらうなんて……」
リックは戸惑いながらも、天晶石から目を離せずにいた。
「最初から使いこなせる必要はないだろう。お前は自分で術式を考えて、何度失敗しても研究を続けている。俺は、その先を見てみたいんだ」
セレイオスは天晶石を持った手を、もう一度リックの前へ差し出した。
「貴重だからとしまい込んでおくより、使える人間に託したほうがいい。お前なら、これを使って面白いものを作れると思ったんだ」
「……セレイオス」
リックはしばらく天晶石を見つめていたが、やがて両手で大切そうに受け取った。
「ありがとう。本当に、もらっていいんだな?」
「ああ。好きに使ってくれ」
「分かった。絶対に無駄にはしない。いつか、この天晶石を使って、誰も作ったことのない魔道具を完成させてみせるよ」
リックが決意を込めて頷くと、そばで話を聞いていたバルドが豪快に笑った。
「がははは! そこまでしてくれるとはな。セレイオス、お前は本当に気前がいいぜ!」
「俺が持っていても使い道がないからな。それなら、リックに使ってもらったほうがいい」
「そういうところも気に入ってるんだよ。……ますます、うちの婿に来てほしくなったな!」
「父さん、またそれ!?」
リシェルが呆れた声を上げると、バルドはどこ吹く風といった様子で笑った。
「いいじゃねえか。お前だって、最近はこいつが来ても追い返さなくなっただろ?」
「最初から追い返してなんかいないわよ!」
「そうだったか? 前はずいぶん嫌そうな顔をしてた気がするけどな」
「それは……セレイオスがしつこかったからでしょ!」
リシェルがセレイオスをちらりと睨むと、本人は悪びれる様子もなく微笑んでいた。さらにリックまで、面白そうに二人を見比べる。
「でも、最近は来ても文句を言わなくなったよね?」
「……っ、リック! あんたねぇ!」
リシェルは顔を赤くして拳を振り上げると、リックに向かって殴りかかった。
「うわっ、ちょっと待て! 冗談だって!」
「どこが冗談なのよ! この際だから、たっぷり聞かせてあげるわ!」
「おいおい、こいつを持ってるんだから、少しは手加減してくれ!」
リックは天晶石を抱えたまま慌てて逃げ回り、リシェルがその後を追いかける。そんな二人を眺めながら、バルドは腹を抱えて笑い、セレイオスも楽しそうに目を細めていた。




