番外編 風を失った男② 押しかけ魔法使い
男は、有言実行だった。
港であれだけ大声で宣言した数日後には、もうリシェルの居場所を突き止めていた。周囲から見れば、もはや狂気に近い執念だっただろう。だが、セレイオスにとっては違った。嵐の中、船を覆ったあの結界を目にした瞬間から、自分の人生が彼女へ引き寄せられている――そんな確信にも似た感覚があったのだ。
だからこそ、探すために手段は選ばなかった。王国中に張り巡らせた人脈を使い、冒険者協会に情報を求め、商人たちから話を聞き、港の記録まで調べ上げた。金も権力も惜しみなく使った結果、ようやく一つの名前へと辿り着く。
グリードホーン商店。
王都から少し離れた商業区画にある、小さいながらも評判の良い店だった。風雨に晒されて少し色褪せた木製の看板を見上げ、セレイオスは満足そうに頷く。
「……見つけた。ここだな」
そのまま扉を開けると、カラン、と乾いた鐘の音が店内に響いた。
「いらっしゃ――」
店の奥から出てきたリシェルは、セレイオスの姿を見た瞬間、ぴたりと足を止めた。しばらく彼の顔を凝視したあと、信じられないものを見たように眉をひそめる。
「……なんでいるの?」
「探した」
「いや、そういうことを聞いてるんじゃないわよ。どうやってここまで突き止めたの?」
「人脈と金を使った」
あまりにもあっさり答えられ、リシェルは額に手を当てた。
「……さらっと言わないでよ。普通に怖いんだけど。まさか、変なところまで調べたりしてないでしょうね?」
「安心しろ。違法なことはしていない」
「その言い方、逆に不安になるんだけど……」
リシェルがじろりと睨むと、セレイオスは少し考えるように目を伏せた。
「……少しだけ、心当たりはある」
「あるの!?」
思わず声を上げたリシェルに、店の奥から豪快な笑い声が響いた。
「がはははは!」
「……父さん?」
暖簾を押しのけるようにして姿を現したのは、大柄な男だった。厚い胸板に丸太のような腕と、いかにも商人らしからぬ体格をした男は、セレイオスを見るなり愉快そうに近づいてきた。
「おう、あんたが噂の魔法使いか! 別大陸でうちの娘と出会って、そのまま追いかけてきたっていう!」
「父さん! 誰からそんな話を聞いたのよ!」
「商人仲間の噂だよ。ずいぶん熱心に娘を探してる奴がいるってな。まさか、本当に店まで来るとは思わなかったが!」
男――バルドは、笑いながらセレイオスの肩を叩いた。
「いやぁ、ここまで行動力のある奴は久しぶりだ。気に入ったぞ!」
「気に入らなくていいから! そもそも、どうしてそんなに嬉しそうなのよ!」
「そりゃあ、わざわざ海を越えて会いに来るほど、リシェルに惚れ込んでるってことだろ? 父親としては、ちょっと気になるじゃねぇか」
「ちょっとどころじゃないでしょ……!」
リシェルは呆れたようにため息をついたが、バルドはまるで気にしていない。むしろ、セレイオスの顔をまじまじと眺めながら、さらに楽しそうに笑っている。
「それで、あんた。名前は?」
「セレイオス=ヴァルドです」
「セレイオスか。俺はバルド、こいつの父親だ。まあ、せっかくここまで来たんだ。ゆっくりしていけよ!」
「父さん、勝手に話を進めないで!」
「いいじゃねぇか。遠くから来た客を追い返すわけにもいかんだろ?」
「客って……!」
リシェルが言い返そうとする横で、セレイオスは軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせてもらいます」
「おう、そうこなくっちゃな!」
「ちょっと、あんたまで素直に従わないでよ!」
抗議するリシェルをよそに、バルドはセレイオスの背中を押すようにして店の奥へ促した。
「ほら、いつまでも入口で騒いでねぇで、中に入れ。茶くらい出すからよ!」
「……もう、どうしてこうなるのよ」
リシェルは深いため息をついたが、バルドは気にする様子もなく、セレイオスを店の奥へと招き入れた。
◇
セレイオスが店の奥で茶を待っていると、二階から一人の青年が降りてきた。黒髪を後ろで束ねた、穏やかな雰囲気の男だった。
「父さん、取引先に行ってくるよ。今日は晩飯はいらないから」
「おう、分かった。気をつけてな」
返事をして店を出ようとした青年――リックは、店内に見慣れない男がいることに気づいた。姉のリシェルと向かい合っているその男を見て、ふと足を止める。
「……姉さん、この人が噂の魔法使い?」
「ああ。リシェルの婿候補だ」
「ちょっと、父さん! 何言ってんの!?」
リシェルが慌てて声を上げる。対する父親は、どこ吹く風といった様子だった。
「なんだ、違うのか?」
リックは苦笑しながらセレイオスへ目を向けた。父がここまで面白がっている相手なのだから、ただの客ではないのだろう。
「それで、あなたは何者なんです? 父さんがここまで気に入るなんて、珍しいですよね」
「セレイオス=ヴァルド。アルスレイア王国直属魔導師だ」
「…………え?」
リックは目を丸くした。しばらくセレイオスの顔を見つめてから、恐る恐る尋ねる。
「……あのセレイオス=ヴァルド? 『風王』と呼ばれている、王国軍の大魔法使いですか?」
「そう呼ばれることもあるな」
「いや、そんな軽い返事をするような肩書きじゃないでしょう……」
リックは呆然としたまま姉を振り返った。
「……姉さん、とんでもない人に目をつけられたね」
「だから、私が目をつけたんじゃないってば!」
「いや、分かってるよ。そうじゃなくて……」
「分かってるなら、余計なことを言わないで!」
姉弟のやり取りを聞いていたバルドが、とうとう腹を抱えて笑い出した。
「がははは! 肩書きは立派でも、やってることは娘を追いかけてるだけだからな!」
リシェルが頭を抱える横で、リックは呆れたように肩をすくめた。どうやら、姉が振り回されているのは間違いなさそうだった。
◇
それからというもの、セレイオスは毎日のように店へ顔を出すようになった。朝から訪れることもあれば、昼過ぎにふらりと現れることもあり、依頼帰りなのか、服を泥だらけにしたまま店へ入ってくることさえあった。
「……また来たの?」
「当然だろう。お前に会いに来たんだからな」
「そういうことを、よく恥ずかしげもなく言えるわね……」
「恥ずかしがる理由が分からない」
「はいはい。もういいわ」
リシェルは呆れながらも、以前のようにすぐ追い返すことはなくなっていた。セレイオスが店の隅にある椅子へ腰を下ろすと、仕事の手を動かしたまま声をかける。
「それで、今日は何の用? また魔法の話をしに来たの?」
「今日は特に用はない。この辺りに来るついでに、お前の顔を見に来ただけだ」
「……絶対、こっちが本当の目的でしょ」
「否定はしない」
あまりに堂々と認められ、リシェルは呆れたように息を吐いた。
「まあ、仕事の邪魔をしないなら好きにしていいけど、魔法の話ばかりするのは禁止だからね」
「それは困る。俺はお前の魔法について、まだ聞きたいことが山ほどあるんだが」
「だから、そういうところよ! 少しは別の話題も考えてきなさい」
「分かった。では、この店の売れ筋について聞かせてくれ」
「……急に商売の話? まあ、魔法の話よりはましだけど」
そんな調子で言葉を交わすうちに、セレイオスが店を訪れることも、いつしか珍しいことではなくなっていた。仕事の合間に話をしたり、一緒に食事をしたりすることも増え、リシェルも以前ほど彼を邪険に扱わなくなっていた。もっとも、魔法の話になると相変わらずしつこく、呆れさせられることに変わりはなかったが。
ただ、そんな変化をリシェル自身は、まだたいして気に留めていなかった。
◇
ある日、セレイオスが珍しく店に姿を見せなかった。朝から帳簿をつけていたバルドは、昼を過ぎても開かない店の扉をちらりと見て、娘に声をかけた。
「……今日はあいつ、来ねぇのか?」
「知らないわよ。毎日来るほうがおかしいんだから」
リシェルは帳簿から顔を上げずに答えたが、バルドはにやにやと笑った。
「そうかぁ? さっきから、客が入ってくるたびに入口を気にしてるように見えるけどな」
「気にしてない! お客さんが来たか確認してるだけ!」
「はいはい、そういうことにしておくか」
隣で商品の整理をしていたリックも、苦笑しながら口を挟む。
「でも、今日は静かだね。いつもなら、そろそろ姉さんに魔法の質問をしてる頃じゃない?」
「……静かでいいのよ。仕事もはかどるし」
そう言いながらも、リシェルは気になる様子で再び入口へ目を向けかけた。慌てて帳簿に視線を戻し、何事もなかったように仕事を続けようとした、そのとき、カラン、と扉の鐘が鳴った。
「すまん。研究が長引いた」
聞き慣れた声に、リシェルは反射的に顔を上げた。そこに立っていたセレイオスを見て、ほんの一瞬、ほっとしたように表情を緩める。だが、その変化をバルドとリックが見逃すはずもなかった。
「おお、来た来た。よかったじゃねぇか」
「……姉さん、ずいぶん嬉しそうだったね」
「嬉しそうになんてしてない!」
リシェルが顔を赤くして言い返すと、セレイオスは不思議そうに三人を見回した。
「……何の話だ?」
「あなたの話よ! というか、今日は来ないのかと思ったじゃない!」
言い終えた途端、リシェルは自分の失言に気づいたように口を閉じた。店内が一瞬静まり返り、バルドがにやりと笑う。リックも何か言いたそうな顔をしたものの、姉の視線に気づくと、そっと顔を背けた。そんな二人の反応には気づいているのかいないのか、セレイオスは少し考えてから頷いた。
「そうか。待っていてくれたんだな」
「違う! そういう意味じゃないから!」
「なるほど。では、どういう意味なんだ?」
「自分で考えなさい!」
リシェルが叫ぶと、バルドの豪快な笑い声が店内に響き、リックもとうとう堪えきれずに笑い出した。セレイオスだけは相変わらず不思議そうに首を傾げており、リシェルはそんな彼を見て、深いため息をつく。
――本当に、調子が狂う相手だ。
それでも、彼が来るのを待つようになった自分に気づき始めていた。以前なら煩わしいだけだったはずなのに、いつの間にか、彼がいると店の中が少し賑やかになることを、悪くないと思うようになっていた。




