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夜の訪問者

皆さん 過去のエピソードの後半に人物詳細や世界の詳細をよろしければ見てみてください、


その日の夜。


焚き火の残り火が、炉の中でかすかに赤く揺れていた。炎はほとんど落ち着いているが、その上では小さな鍋がまだ温もりを保っている。


部屋の中央には、簡素な木の皿が並んでいた。


その上に乗っているのは、今日手に入れたばかりの肉。


焼いただけの、味付けもほとんどないものだったが――それでも、今のこの家にとっては十分すぎるほどの“ごちそう”だった。


「……うまいな」


ガルドが短く呟く。


噛みしめるように、ゆっくりと肉を口に運ぶ。その動きは普段よりも慎重で、無駄がない。


エナはそんな様子を見ながら、小さく息をついた。


「……お腹いっぱいに食べるなんて、いつぶりかしら」


その言葉は軽く聞こえるが、どこか実感がこもっていた。


ガルドは一瞬だけ手を止め、それから小さく鼻を鳴らす。


「……話してる間に冷めるぞ」


ぶっきらぼうではあるが、強さはない。


それだけ言うと、また黙って肉に手を伸ばした。


ユウも肉を口に運ぶ。


歯を入れた瞬間、じわりと脂が広がり、遅れて熱と旨味が舌に残った。


(……味付けも何もないのに、うまい)


思わず言葉が出なくなる。


前の世界でも肉は食べていたはずなのに、これはまるで別物だった。味そのものというよりも、体に染み込んでいく感覚が違う。


空っぽだったところに、ようやく何かが満ちていくような感覚が、ゆっくりと全身に広がっていく。


体が、欲しがっている。


横ではリクが夢中でかぶりついていた。


普段はあまり食べられないのに、今日は違う。


小さな手で肉を握りしめ、一心に食べている。


「……ゆっくり食え。喉詰まらせるぞ」


ガルドが声をかけると、リクは慌てて頷きながらも口を動かし続ける。


「……だいじょぶ」


言葉は少し不明瞭だが、それでも手は止まらない。


エナがその様子を見て、そっと水を差し出す。


「ほら、一回飲みなさい。急がなくても、ちゃんとあるから」


その言葉に、リクはようやく動きを緩め、水を口に含んだ。ごくり、と喉が鳴る。


それからまた、迷いなく肉にかぶりついた。


誰もそれを止めない。ただ、それぞれが自分の分を静かに口へ運んでいく。


外では風が鳴っている。壁の隙間をすり抜ける音は低く冷たいが、この部屋の中には届ききらない。


ユウは膝を抱え直し、火の前に座る。


さっきまで口にしていた熱が、まだ体の奥に残っている。


(……あったかいな)


それだけのことなのに、胸の奥に張りついていたものがゆっくりほどけていく。


ほんのわずかに、気の抜けた時間だった。



ーーーー


――コン、コン。


乾いた音が、扉を叩いた。


小さいはずなのに、不自然なくらいはっきり響く。


ユウの肩がびくりと揺れる。


同時に、ガルドも顔を上げた。


何も言わず、一瞬だけ視線を交わす。その目にははっきりとした警戒がある。


「……こんな時間にか。用があるにしても、普通は明るいうちに来るもんだろ」


低く呟きながら、ガルドはゆっくり立ち上がる。床を踏む音すら抑えながら、扉へと近づいていく。


手をかける前に、一度だけ息を整える。


「……誰だ。用があるなら名乗れ」


短く問いかけると、わずかな沈黙のあと――


「……俺だ」


かすれた声が返ってきた。


その一言で、ガルドの眉がわずかに動く。警戒は解かないまま、ゆっくりと扉を開けた。


そこに立っていたのは、やせ細った男だった。


伸びっぱなしの茶色い髪が乱れ、頬はこけ、肌は乾き、目の下には濃い影が落ちている。服は体に張りつくようにくたびれていて、立っているだけでも無理をしているのが分かる。


「……レインか。どうした」


ガルドが低く言う。


ユウはその姿を見て、すぐに気づいた。


(……隣の人だ)


前はよく見かけた。薪を割る姿も、娘と話している声も覚えている。


けれど最近は――ほとんど見ていなかった。


レインは小さく頭を下げる。


「……悪い、こんな時間に。迷惑なのは分かってる」


声は弱く、乾いていた。


ガルドは遠回しな言い方をしない。


「用件はなんだ。手短に言え」


静かな声だが、逃がさない響きだった。


レインは一瞬言葉に詰まり、喉を鳴らしてから顔を上げる。


「……肉、あるんだろ。今日持って帰ってたの見た」


ごまかしのない言葉だった。


部屋の空気が、一気に張り詰める。


ガルドはすぐには答えず、わずかに間を置いてから頷いた。


「……ああ、あるにはある」


その返事に、レインの喉がひくりと動く。


「頼む」


短く言って、そのまま深く頭を下げた。


「ほんの少しでいい。肉じゃなくてもいい、骨でもいいから……何か分けてもらえないか」


一度、言葉が途切れる。


「……妻がもう立てなくてさ。ここ二日ほとんど何も食ってないんだ。娘も水ばっかりで……このままだと…」


沈黙が落ちる。


風の音だけが、やけに大きく響いていた。


ガルドは腕を組み、ゆっくり息を吐いた。


「……うちも余裕はねぇ。今日だって、たまたまだ。明日も取れる保証なんてない」


淡々とした言い方だったが、揺るがない現実だけを置く声だった。


レインは顔を上げる。怒りも反論もない。ただ、追い詰められた色だけが残っている。


「……それでも頼む」


かすれた声で言葉を押し出す。


「もう頼れるのがお前しかいねぇんだ」


そこで言葉が途切れる。


それが、最後だった。


ガルドはわずかに視線を落とし――小さく首を横に振る。


「……悪いが無理だ」


短く、はっきりと告げる。


レインはしばらく立ち尽くしていたが、やがて小さく頷いた。


「……だよな。分かってた」


力の抜けた声だった。


「夜分悪かった。本当にすまん」


それだけ残して、背を向けた。


足取りは重く、引きずるように遠ざかっていく。


扉が閉まり、静けさが戻る。


誰もすぐには口を開かない。


「……ねえ」


やがてエナが口を開く。


「少しくらいなら、分けてあげてもよかったんじゃない?」


責めるというより、確かめるような声音だった。


ガルドはしばらく黙っていたが、やがて低く言う。


「……無理だ。これを取ってくるのにどれだけ手間がかかったと思ってる」


一度、言葉を切る。


視線は逸らさない。


「あれは遊びじゃねぇ。下手すりゃ、そのまま死んでた」


押し殺したような声だった。


エナは一度目を伏せ、それでもすぐに顔を上げる。


「……分かってるわ。でもね、覚えてる? ユウが生まれたときのこと」


その言葉で、ガルドの視線が止まる。


エナは少しだけ息を吸い、ゆっくりと言葉を続けた。


「あのとき、私動けなくて……急に痛くなって、そのまま起き上がれなくなって。夜で、外も暗くて……どうしたらいいか分からなかった」


声は落ち着いているが、どこか遠くを見ているようだった。


「あなたも外に出られる状態じゃなかったでしょ。雨も降ってて、道もひどくて……あのまま朝まで待つしかないって、そう思ってたわ」


一度、言葉が途切れる。


「そのとき、レインが来たの」


静かに続ける。


「様子を見に来ただけだったのに、私の顔見た瞬間、何も聞かずに外に飛び出していったわ」


ガルドは何も言わない。


ただ、わずかに眉が寄る。


「止める間もなかったわ。あの暗さで、あの道を……一人で、カルディアまで走っていったのよ」


小さく息を吐く。


「どれくらい経ったか分からない。でも、戻ってきたときには、ちゃんと医者を連れてきてくれてた」


声がわずかに揺れる。


「泥だらけで、息も上がってて……それでも何も言わなかった。“連れてきたぞ”って、それだけ」


ほんの少しだけ、間が空く。


「もし、あのときあの人がいなかったら……」


言葉はそこで止まる。


それ以上は、必要なかった。


ガルドは無言のまま拳を握る。


エナは小さく息を吐き、視線を外さずに言う。


「困ったときは、お互い様でしょ」


逃げ場のない言葉だった。


しばらくの沈黙のあと、ガルドが顔をしかめる。


「……面倒なこと思い出させるな」


ぼそりとこぼし、視線を逸らす。そのまま少し動かなかったが、やがて小さく息を吐いた。


「……分かったよ」


短く言って棚へ向かい、肉をひとつ手に取ると、振り返らないまま続ける。


「全部は無理だが、これくらいなら出せる」


そのまま扉へ向かう。


「行ってくる」


ユウが顔を上げる。


「……無理してない?」


ガルドは一瞬だけ足を止め、それから肩で息を抜いた。


「無理はしてねぇ。ただ、このままにしてると気分が悪いだけだ」


ぶっきらぼうに言って扉を開けると、冷たい空気が流れ込む。


外に出ながら、ぽつりとこぼした。


「借りは、溜めとくもんじゃねぇからな」


扉が閉まり、静けさが戻る。


ユウはしばらくその扉を見ていた。


(……ああ)


なんとなく分かる。


強いとか、優しいとか、そういう単純な話じゃない。


もっと面倒で――でも、


「……こういうとこ、父さんらしいな」


小さく呟く。


火が、ぱち、と弾けた。


その音だけが、静かな夜に残った。








《カルディア》


カルディアは、グレイウッド村から歩いて半日ほどの場所にある町だ。


森を抜けた先、開けた土地に石壁と木柵で囲まれるように築かれており、入口には見張りが立ち、荷を積んだ馬車が絶えず出入りしている。


街道が通っているため、人の流れは止まらない。

商人、行商人、傭兵、荷運び――昼間は荷車の軋む音と呼び声が重なり、常にざわめいていた。


物はある。


干し肉、穀物、鉄製の刃物、縄や罠道具。

だが、どれも村とは比べものにならない値段で並んでいる。


金さえあれば手に入る。

だが、持たない者には何も回らない。


グレイウッドの人間にとってカルディアは、物資を得られる唯一の場所でありながら、同時に“金がなければ何もできない場所”でもあった。





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