番外編 残された者たちの冬支度②
それから数日、ガルドたちは何度も森へ入り、狩りを続けていた。思うように獲物が見つからない日もあったが、それでも少しずつ肉を蓄えることができ、村では獲れた肉を干し肉にする作業も始まっていた。
「これだけあれば、多少は足しになるな」
レインが並べられた干し肉を眺めながら言う。
「ああ。だが、まだ十分とは言えない。もう少し獲らないとな」
「相変わらず真面目だな。せっかく肉が獲れたんだ。少しくらい喜んでもいいだろ」
「喜んでいるさ。ただ、冬を越すにはまだ足りない」
「そういうところだよ」
レインが呆れたように笑うと、ガルドも小さく息を吐いた。
「分かってる。だが、食料が足りなければ困るのは俺たちだけじゃないからな」
「まあ、それもそうだけどな」
レインが干し肉へ目を戻した、そのときだった。
「ガルド!」
村の入口のほうから慌てた声が響いた。振り返ると、門の見張りをしていた男がこちらへ駆けてくる。
「どうした?」
「村の外に、人が来てる!」
「人?」
「ああ。かなりの人数だ。荷物を持った連中が大勢いる。怪我人もいるみたいだ」
その言葉に、ガルドの表情が変わった。
「怪我人が?」
「そうだ。それに、老人や子供もいる」
「……どこから来たんだ?」
「それが、まだ詳しくは聞けてない。ただ、どこかから逃げてきたらしい」
ガルドは一瞬だけ考え、それから立ち上がった。
「分かった。案内してくれ」
「ああ!」
男が先に走り出すと、ガルドもその後を追う。レインとダンもすぐに立ち上がった。
「俺たちも行くぞ」
「ああ。何があったのか、話を聞かないとな」
三人が村の入口へ向かうと、門の向こうには大勢の人影が見えた。老人や子供を連れた家族、疲れ切った顔の男たちが、泥や煤で汚れた服のまま立っている。荷物を背負っている者もいれば、怪我をした仲間に肩を貸している者もいた。
その様子を見れば、普通の旅人ではないことはすぐに分かった。誰もが疲れ果て、何かから逃げてきたような顔をしている。
「……避難してきたのか」
レインが小さく呟く。
「この人数、どうする?」
ダンも門の向こうを見ながら尋ねた。
「まずは話を聞く。それから決める」
ガルドがそう答えたところで、門の前で見張りの男と話していた避難民の一人が、こちらへ顔を向けた。
「あなたが、この村の方ですか?」
「ああ。俺はガルドだ。何があった?」
ガルドが声をかけると、男は一瞬だけ迷うように視線を伏せ、それから小さく頭を下げた。
「……南の村から逃げてきました。どうか、ここへ入れていただけないでしょうか」
「南から?」
レインが聞き返す。
「はい。南のほうで、大きな魔物の群れが現れたそうです。アルベルト公爵家が討伐に動いたという話も聞きましたが……どうやら、すべてを片付けることはできなかったようです」
男はそこで言葉を切り、唇を噛んだ。
「討伐から逃れた魔物が、近くの村まで流れてきました。私たちの村も襲われて……家も畑も、ほとんど壊されてしまいました」
「……それで、ここまで逃げてきたのか」
「はい」
男は力なく頷いた。
「逃げられた者だけで、どうにかここまで来ました。途中で怪我をした者もいます。食料も、ほとんど残っていません」
男はもう一度、背後にいる人々へ目を向ける。
「戻る場所も……もう、ありません」
その言葉を聞いたガルドは、しばらく黙ったまま避難民たちを見渡した。疲れ切った子供たちは母親に寄り添い、大人たちも立っているだけで精一杯といった様子で、ここからさらに別の場所へ向かえるようには見えない。
「……そうか」
ガルドが口を開くと、男が顔を上げた。
「少しの間だけでも構いません。どうか、ここに置いていただけないでしょうか」
ガルドはすぐには答えず、門の向こうにいる人々へ目を向けた。怯えた子供が親の服を握りしめ、怪我をした男が仲間に支えられている。老人の中には、立っているだけで精一杯に見える者もいた。
「……レイン」
「ああ」
「どうする?」
ガルドが尋ねると、レインはしばらく避難民たちを眺め、それから困ったように息を吐いた。
「追い返すのは無理だろ。あの状態じゃ、ここから別の場所まで行けるとは思えない」
「だが、村だって余裕があるわけじゃないぞ。食料はぎりぎりだし、冬も近い」
「分かってる」
レインは腕を組み、避難民たちへ目を向ける。
「受け入れれば、今まで以上に厳しくなる。それは間違いない」
「……それでも、ここで追い返すわけにはいかないだろ」
ダンが静かに口を挟んだ。
「怪我人もいるし、子供や老人も多い。この人数を今から歩かせたら、途中で倒れる奴が出てもおかしくない。少なくとも、今夜を過ごせる場所くらいは必要だ」
「……だな」
ガルドはしばらく考えたあと、代表の男へ向き直った。
「分かった。村に入ってくれ」
「本当に……?」
「ああ。ただ、先に言っておく。うちの村も余裕があるわけじゃない。食料も住む場所も限られてる。満足な暮らしをさせてやれるとは約束できない」
「それは分かっています」
男は深く頭を下げた。
「私たちも、何もしないつもりはありません。食料のことでも仕事でも、できることは何でもします」
「……そうか」
ガルドは男の顔を見つめ、それから頷いた。
「なら、それでいい」
そう言って、見張りの男へ目を向ける。
「門を開けてくれ」
「分かった!」
見張りの男が持ち場へ戻り、重い門を動かし始める。軋む音を立てながら門がゆっくりと開くと、避難民たちは戸惑いながらも、一人、また一人と村の中へ入ってきた。子供の手を引く親もいれば、荷物を背負ったまま足を引きずる者もいる。怪我人は仲間に支えられながら、ゆっくりと歩いていた。
「……忙しくなりそうだな」
レインが苦笑する。
「冬支度だけでも手一杯なのに、今度は人まで増えたか」
「文句を言っても仕方ないだろ」
「分かってるって。だから手伝うんだろ」
レインはそう言って、村へ入ってくる避難民たちを見渡した。
「まずは寝る場所だな。空いてる家を探してみる」
「頼む。俺は怪我人を休ませられる場所を探す」
ガルドが答えると、ダンが倉庫のほうへ目を向けた。
「じゃあ、俺は食料を確認してくる。人数が増えたなら、配分も考え直さなきゃならん」
「ああ。頼む」
三人がそれぞれ動き始める中、ガルドは一度だけ振り返った。
門からは、まだ避難民が続々と入ってきている。泣き疲れた子供、足を引きずる老人、互いに肩を貸しながら歩く家族。誰もが疲れ切っていた。
(……少しでも、安心して休めればいいんだが)
「ガルド! ぼーっとしてる暇はないぞ!」
少し離れたところから、レインの声が飛んでくる。
「分かってる!」
ガルドは苦笑しながら村の奥へ向き直った。
「行くぞ。やることが山ほどある」
「ああ。まずは今日を乗り切らないとな」
二人は並んで村の奥へ歩き出した。その日、グレイウッド村には新たな住人が増えた。冬を前に、ただでさえ余裕のない村の暮らしは、ここから少しずつ変わっていくことになる。
◇
難民たちがグレイウッド村へ入ってきてから、翌朝。
村では朝から人が行き交い、昨日までとは違う慌ただしさが続いていた。避難してきた者たちも、それぞれに割り当てられた場所で休んだり、村人の仕事を手伝ったりしている。まだ落ち着いたとは言えないものの、昨日のような混乱は少しずつ収まり始めていた。
ガルドも朝から村の中を動き回っていたが、門の近くまで戻ってきたところで、見慣れた白髪の老人がこちらへ歩いてくるのが見えた。
「ガルド」
「……村長か」
白くなった髪を後ろへ撫でつけた老人は、長年この村のまとめ役を務めてきたマルタンだった。
「昨日は大変だったな」
「ああ。まだ落ち着いたとは言えないけどな」
「見れば分かる」
マルタンは苦笑しながら、門の向こうにいる難民たちへ目を向けた。
「思ったより多いな」
「俺が確認しただけでも三十人以上いる。子供や老人も多いし、怪我人もいる」
「食料は?」
「今のところは何とかなる。ただ、この人数で冬を越すとなると厳しいな」
「住む場所は?」
「空いている家をいくつか使える。足りない分は、村の家に分かれてもらうしかないだろうな」
「そうか……」
マルタンはしばらく門の向こうを眺め、それから小さく息を吐いた。
「やはり、一番の問題は食料か」
「ああ。狩りは続けてる。少しずつだが、肉も蓄えられてる」
「それでも三十人以上増えたんだ。今までと同じやり方じゃ足りないだろう」
「……そうだな」
ガルドも門の向こうへ目を向ける。昨日までなら、冬を越すための食料を何とか集めればよかった。だが、これからは新しく増えた人々の分まで考えなければならない。
「しばらくは、村全体で節約するしかないな」
「それだけじゃ足りんだろうな」
「やっぱりか」
「狩りだけに頼るのも限界がある。ほかに食料を探したほうがいい」
マルタンはそう言って、村の東側へ目を向けた。
「……そういえば、リュネ川はどうだ?」
「リュネ川か」
「ああ。今の時期なら、あの辺りで雪白魚が獲れるはずだ」
「雪白魚?」
聞き慣れない名前に、ガルドが首を傾げる。
「寒い川に棲む白い魚だ。冬が近づくと流れの緩い場所に集まるから、網があればそれなりに獲れる」
「へえ……そんな魚がいるのか」
「昔、川について調べたときに知ったんだ。俺も実際に獲ったことがある」
「それなら、狩りだけよりは食料を増やせそうだな」
「ああ。大量に獲れるとは限らんが、今は少しでも食料が欲しい。村の人間だけじゃなく、避難してきた者たちの分も必要だからな」
「だったら、狩りの合間に一度見に行ってみるか」
「そうするといい。網があるなら、何人か連れて行ったほうがいいだろう」
「分かった。準備してみるよ」
「頼む」
ガルドが頷くと、マルタンは再び門の向こうへ目を向けた。避難してきた者たちの中には、すでに村人の仕事を手伝っている者もいる。薪を運ぶ者や柵の修理を手伝う者もいて、昨日より少しずつ村の中へ馴染み始めていた。
「それにしても、これから先は色々と考えないとな。食料の配分だけじゃなく、住む場所も見直す必要がある」
「ああ。今のままじゃ、冬を越すまでに足りなくなるものも出てくるだろうな」
「だからこそ、できるだけ村の負担を増やさないようにしないといかん。避難してきた者たちにも、できる仕事はしてもらっているしな」
「人手が増えた分、こっちも助かってる。うまく回せれば、何とかなるかもしれないな」
「そうだな。今はできることを一つずつ増やしていくしかない」
マルタンは村の中へ目を向けた。
「それにしても、村長はずいぶん色々考えてるんだな」
「村を預かっているんだ。それくらいは考えるさ」
「それだけじゃないだろ。川の魚まで詳しい。俺は村長ってのは、村のことをまとめるくらいだと思ってたよ」
「ずいぶんな言い方だな」
「悪い。そういう意味じゃないって」
ガルドが笑うと、マルタンも呆れたように息を吐いた。
「でも、考えてみれば、俺はあんたのことをほとんど知らないんだよな」
「私のことを?」
「ああ。いつも『村長』って呼んでるけど、そういえば名前で呼んだこともない」
「今さら気づいたのか?」
「今さらだな。じゃあ、改めて教えてくれよ」
マルタンは少しだけ笑って答えた。
「マルタンだ。いい加減、覚えておけ」
「分かった、マルタン村長」
「……結局、村長はつけるのか」
「そっちのほうがしっくりくるんだよ」
「まあ、好きにしろ」
マルタンは苦笑し、それからガルドの顔を見る。
「それより、お前も少し休め。昨日からほとんど動きっぱなしだろう」
「俺はまだ大丈夫だよ」
「そう言うと思った。だが、お前まで倒れたら余計に手間が増える。少しくらい休んでおけ」
「……分かった。少し休んだら、また手伝う」
「ああ。それでいい」
マルタンが頷くと、二人は再び村の奥へ向かって歩き出した。
ガルドにとって、マルタンはこれまでずっと村長だった。村のことをまとめ、困ったときには皆の相談に乗る、頼れる老人。それ以上のことを考えたことはなかった。
だが、今日の話を聞いてから、その見方は少しだけ変わっていた。川のことだけでなく、文字や計算まで扱えるマルタンが、昔は何をしていたのか。聞いてみたい気持ちはあったが、本人が話す気になるまでは無理に聞くつもりもなかった。
(……まあ、そのうち聞ければいいか)
ガルドはそう思いながら、目の前の仕事へ意識を戻した。




