番外編 残された者たちの冬支度①
ユウが徴兵されて村を出てから、数日が経った。
戦場へ送られた者たちが無事に帰ってくることなど、ほとんどない。ガルドも、それくらいのことは分かっていた。それでも、家の中に残されたユウの椅子を見るたびに胸の奥が重くなり、あの日のことが何度も頭をよぎる。
自分がもっと強ければ。もっと力があれば。あのとき、ユウを連れていかせずに済んだのではないか。
「……くそっ」
ガルドは吐き捨てるように呟き、薪を割る手を止めた。
父親として家族を守る。それだけは、ずっと自分の役目だと思っていた。なのに、いざとなれば息子を守ることすらできなかった。その悔しさを紛らわせるように薪を割り続けていたが、気づけば必要以上に薪の山を積み上げていた。
「……ガルド」
背後から声をかけられて振り返ると、そこにはレインとダンが立っていた。
「いつまで薪を割ってるんだ? もう十分だろ。それ以上増やしても、置く場所に困るぞ」
「……まだ足りない」
「薪の話じゃないだろ、それ」
ダンが呆れたように言いながら、積み上がった薪へ目を向ける。
「まあ、無理もないがな。それより、村長から話を聞いた。徴税で、かなり持っていかれたらしいな」
「ああ。食料もだ。倉庫にあった分の大半を持っていかれた」
「大半って……それじゃ、冬を越せるのか?」
「このままじゃ厳しいな」
レインが眉をひそめる。
今年は冬が早い。すでに朝晩は冷え込み始め、山には薄く雪が残る場所まで出てきている。ただでさえ冬を越すための食料を蓄えなければならない時期なのに、その備えまで戦争のために持っていかれてしまった。
「……あと、どれくらいだ?」
「何が?」
「冬までだ」
ダンは腕を組み、山のほうへ目を向ける。
「そうだな……一月もないんじゃないか。今年は雪も早そうだ。今の食料だけじゃ、春までは持たん」
「やっぱりか……」
レインが頭を掻く。
「どうする? 他の村から買うってのも、今は難しいだろ」
「他の村だって似たような状況だろうな。戦争で人も物も動いてる。食料を余分に売ってくれるところがあるとは思えん」
ダンの言葉に、ガルドは黙って薪の山を見つめた。
薪はいくらでも集められる。森へ行けば、冬を越すための燃料は確保できる。だが、食料だけはそうはいかない。
「……なら、獲るしかないな」
ガルドが低く呟いた。
「山へ入る。獲れるだけ獲って、食料を増やす。鹿や猪が獲れれば肉も確保できるし、干し肉にすれば冬まで持たせられるだろ」
「狩りか……。冬前の山だぞ。獲物が簡単に見つかるとは限らない」
「分かってる。それでも、やるしかないだろ」
ガルドがそう答えると、レインも頷いた。
「……そうだな。俺も行く」
「もちろんだ」
ガルドは斧を地面へ置き、積み上がった薪を一度見てから立ち上がった。
「できることをやるしかない。ユウがいなくても、俺たちがここで立ち止まってるわけにはいかないからな」
ユウを守れなかったことは、今でも胸に残っている。だが、いくら悔やんだところで、連れていかれた息子が戻ってくるわけではない。今の自分にできるのは、エナやルク、そしてこの村で暮らす人々を守り、なんとか冬を越すことだった。
「ダン、狩りに出られる奴は何人くらいいる?」
「本来なら十人以上いるんだが、今は五人だ。レインを入れれば六人になる」
「六人いれば十分だ」
「本当に? 冬前の山だぞ。獲物が見つからなかったらどうする?」
「見つかるまで探す。食料が足りないなら、それくらいしないと冬は越せないだろ」
「相変わらず無茶を言うなぁ」
レインが苦笑すると、ガルドは肩をすくめた。
「無茶でもやるしかないだろ」
「……まあな」
レインが小さく笑い、ダンも頷く。
「じゃあ、明日から始めよう。山へ入れるだけ入って、獲物を探す」
「ああ。それと、森へ入る連中には無理をするなと伝えておいてくれ。冬前の山は危険だからな」
「分かってる。獲物を探すのも大事だが、怪我人を出したら余計に村が苦しくなるからな」
話がまとまり、二人が準備へ向かおうとしたところで、レインが足を止めてガルドを見た。
「……なあ、ガルド」
「なんだ?」
「ユウのこと、まだ気にしてるだろ」
ガルドは答えなかった。その沈黙だけで察したように、レインは小さく息を吐く。
「まあ……俺だって気にするさ。あんな小さい子が戦場なんて、普通なら考えられないだろ。それに、お前がどれだけ悔やんでるかも分かってる」
「……俺がもっとしっかりしてればよかった」
「それを言うなよ。お前が悪いわけじゃない。徴兵を決めたのは、お前じゃないだろ」
「でも、父親なのに何もできなかった」
「ガルド」
レインが真面目な顔でガルドを見る。
「今さら自分を責めたって、ユウが戻ってくるわけじゃない。それより、今は残った家族のことを考えよう。エナさんもルクも、お前が落ち込んでるのを見たら余計に心配するぞ」
ガルドはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「ああ……分かってる」
それだけ答えると、ガルドは家のほうへ一度だけ目を向けた。そこには、もうユウはいない。それでも、帰ってくる場所だけは残しておかなければならない。
◇
その日の夕方、ガルドが家へ戻ると、エナが夕食の準備をしていた。
「明日、狩りに出るんですか?」
「ああ。レインたちと一緒にな。冬まであまり時間がないから、少しでも食料を増やしておきたい」
エナは少し心配そうにガルドを見る。
「……そう。分かったわ。でも、無理だけはしないでね。冬前の山は危ないでしょう?」
「ああ、分かってる。俺も気をつけるよ」
ガルドも小さく笑う。
家の中には、ユウがいなくなったことで生まれた静けさが残っていた。それでも、明日もやることはある。食料を集め、薪を確保し、冬を越す。そして、残された家族を守る。今のガルドにできるのは、それだけだった。
◇
翌朝、ガルドは弓を背負い、レインやダンたちとともに村の外へ出た。朝の冷え込みは厳しく、吐く息が白くなる。村では家々から煙が上がり、村人たちが冬支度を進めていた。
八人を超える狩り組は、そのまま森へ向かって歩き出した。狩り組は獲物を追う者と、事前に森へ罠を仕掛ける者に分かれており、冬前の狩りでは、獣の通り道を見極めて罠を仕掛け、逃げ道を狭めながら獲物を追い込んでいく。これまで何度も狩りを続ける中で、自然と身につけてきたやり方だった。
「行くぞ。まずは罠を仕掛けた場所から確認していこう」
ガルドの声に仲間たちが頷き、森の中へ入っていく。しばらく進むと、先に罠を見て回っていた男が手を上げた。
「こっちは外れだ。何もかかってない」
「こっちもだ。昨日仕掛けたばかりだし、まだこれからだろ」
男たちは周囲を警戒しながら森の中を進み、仕掛けておいた罠の位置を確認しつつ獲物の痕跡を探していく。しばらく進んだところで、先頭を歩いていたダンが雪の上に残された足跡へ目を止めた。
「……鹿だ」
「新しいか?」
「ああ。雪の崩れ方を見る限り、そう遠くない」
ガルドも足跡を確認する。
「群れじゃないな。一頭か二頭だ」
「なら、罠のほうへ追い込めるかもしれん。この先に仕掛けた罠がある。うまく誘導できれば、そこで止められるぞ」
「よし。二手に分かれよう」
ガルドが周囲の男たちを見る。
「俺とレイン、ダンたちは足跡を追う。残りは先回りして、罠の周辺を見てくれ。獲物が逃げても無理に追うな。追い込むだけでいい」
男たちは頷き、それぞれの持ち場へ散っていった。
ガルドたちは足跡を追いながら森の奥へ進んでいく。しかし、しばらく歩いても鹿の姿は見えなかった。足跡は途中で雪の途切れた場所へ入り、別の動物の跡と混ざっている。
「……本当にこっちで合ってるのか?」
レインが周囲を見回す。
「足跡は続いてる。間違ってはいない。ただ、姿が見えないってことは、それだけ警戒されてるんだろ」
ダンが苦笑した。
「冬前の獲物は食べるものも減ってるからな。人間に追われれば、必死にもなる」
「じゃあ、今日は一日中追いかけっこか?」
「それで肉が食えるなら安いもんだろ」
「俺はできれば、追いかけ回さずに獲りたいんだけどな」
「だったら、罠にかかるのを待てばいいだろ」
「それじゃ狩りに来た意味がないだろ」
「お前ら、狩りに来て何言ってるんだ」
ダンが呆れたように言うと、周囲から小さな笑いが起こった。ガルドも口元を緩めながら歩いていたが、ふとユウのことを思い出した。
以前もこうして山へ入ったとき、ユウは獲物の気配を感じ取ると、大人たちより先にその場所を言い当てていた。固有能力を持っていることには薄々気づいていたが、あの小さな身体で何かを感じ取っている姿は、今でも印象に残っている。
(……今頃、どうしてるんだろうな)
そんな考えが一瞬だけ頭をよぎったが、ガルドはすぐに前へ向き直った。今は狩りに集中しなければならない。そう思い直したところで、前方から声が飛んできた。
「いたぞ!」
男たちが一斉に身を低くする。木々の向こうにある開けた場所では、一頭の鹿が雪の残る地面を警戒するように歩き、ときおり顔を上げて周囲を見回していた。
「でかいな」
ガルドが弓を構えようとすると、ダンが小声で制した。
「まだ撃つな。こっちには気づいてない。先に罠の位置を確認する」
ダンが合図を送ると、離れた場所にいた男が小さく手を上げた。罠は問題ない。
「よし。追い込むぞ」
ダンの合図で男たちがゆっくりと散開すると、鹿も周囲の気配の変化に気づいて頭を上げた。
「……気づいたな」
「まだだ。焦るな」
ガルドが低く声をかける。
鹿は一歩後ろへ下がったが、その先には別の男が回り込んでいる。逃げ道を塞がれた鹿はすぐに方向を変え、森の奥へ駆け出した。
「行ったぞ!」
「追え!」
男たちが一斉に動き出し、鹿は木々の間を縫うように逃げていく。正面には別の狩り組が回り込んでおり、左右からも人が迫っていた。
「右へ回った! 先回りしろ!」
「分かった!」
声を掛け合いながら少しずつ逃げ道を狭めていく中、ガルドも鹿の動きを追って走った。あと少しで罠の場所へ追い込める――そう思った瞬間、鹿が急に方向を変え、斜面へ向かって走り出す。
「まずい!」
ガルドも反射的に後を追った。
「ガルド、待て!」
レインの声が聞こえたが、ガルドは止まらなかった。このまま逃がせば罠の範囲から外れてしまう。あと少しで追いつける――そう思って斜面へ足を踏み出した瞬間、足元の雪が崩れた。
「っ!」
身体が大きく傾き、そのまま崖へ落ちかける。ガルドが咄嗟に手を伸ばした直後、後ろからレインが腕を掴んだ。
「ガルド!」
レインが必死に踏ん張り、そこへ駆け寄ってきたダンも加わる。二人がかりで引き上げられ、ガルドはなんとか斜面の上へ転がり戻った。
「……危なかったな」
荒い息を吐きながら、ガルドは崖下へ目を向けた。もし落ちていたら、ただでは済まなかっただろう。
「何やってんだ、お前!」
レインが珍しく声を荒らげた。
「獲物を追うのに夢中になりすぎだ。あんなところまで一人で突っ込んで、もし落ちてたらどうするつもりだったんだよ」
「……すまん」
「家族を守るんだろ? お前がここで死んだら、エナさんもルクもどうなる。ユウのことを気にしてるのは分かるが、だからって自分の命まで投げ出したら、残された家族はどうなるんだ」
「……分かってる」
「なら、もう少し自分の命もちゃんと考えろ」
レインの言葉に、ガルドは何も返せなかった。ユウを守れなかった。その思いが頭の中に残り続けていて、せめて今度こそ家族を守らなければならないと、そればかりを考えていた。
ダンも呆れたように息を吐く。
「鹿一頭のために命を張るな。俺たちは一人で狩ってるんじゃないんだ。周りを頼ればいい」
「……ああ」
ガルドは短く答え、もう一度だけ崖下へ目を向けた。自分一人で何とかしようとして、周りが見えなくなっていた。それは狩りだけではなく、ユウのことでも同じだったのかもしれない。
「……もう一度、追い込もう。今度は皆でやる」
ガルドが立ち上がると、レインはしばらくその顔を見つめ、それからため息をついた。
「それなら最初からそうしろよ」
「悪かった」
「まったく……」
ダンが周囲へ合図を送る。
「まだ近くにいるぞ! 持ち場へ戻れ!」
男たちが再び動き始める。今度はガルドも無理に先へ出ず、仲間と距離を合わせながら鹿を追い込んでいった。やがて鹿は、先ほど確認していた罠のある場所へ近づいていく。
「来たぞ! そのまま追え!」
鹿が雪の上を駆けた次の瞬間、仕掛けていた罠が作動し、その足が止まって身体が大きくよろめいた。
「今だ!」
ダンの声に合わせて男たちが鹿の前へ回り込み、左右から逃げ道を塞ぐ。鹿が逃げようと向きを変えるたびに別の男が進路を塞ぎ、少しずつ動きを狭めていく。
その間に、ガルドは少し離れた場所で弓を構えた。こちらを向いた鹿をじっと見据え、今度は焦らず、ゆっくりと息を吐きながら狙いを定める。
十分に引き絞ったところで、ガルドは弦から指を離した。放たれた矢が鹿を捉え、鹿は数歩だけ走ったあと、雪の上へ倒れた。
「……やったな」
レインが息を吐く。
「ああ。これなら、冬を越すための足しになる」
ガルドが弓を下ろすと、周囲から安堵の声が上がった。ダンが鹿へ近づいて状態を確かめると、満足そうに頷く。
「いい獲物だ。これならかなりの肉になるぞ」
「今日の夕飯も肉だな」
ダンが嬉しそうに言うと、レインが呆れたように笑った。
「お前は本当に食うことばかりだな」
「お前には言われたくねーよ」
レインが言い返すと、男たちから笑い声が上がる。ガルドもつられて口元を緩めた。
ユウがいなくなってから、こんなふうに笑ったのは久しぶりだった。胸の奥に残っていた重さが消えたわけではない。それでも、今だけは少しだけ軽くなった気がした。
昼を過ぎる頃には、男たちは仕留めた鹿を村へ運び込んでいた。
「おかえりなさい!」
家の前で待っていたルクが、大きな鹿を見つけて駆け寄ってくる。
「すごいな。こんなに大きいの?」
「でかいだろ」
レインが得意げに答えると、ルクは鹿を見上げてからガルドへ顔を向けた。
「これ、父ちゃんたちが獲ったの?」
「ああ。みんなでな」
「やった!」
少し遅れて家から出てきたエナも鹿を見ると、目を丸くする。「こんなに大きいの……?」と驚くエナに、ガルドは「これだけあれば、しばらく肉には困らないだろ」と答えた。
「そうね……ありがとう」
エナがほっとしたように笑う。その表情を見て、ガルドもようやく肩の力を抜いた。山へ入る前は何としてでも獲物を取らなければと思っていたが、こうして家族が喜んでいるのを見ると、今日の苦労も無駄ではなかったと思える。
「じゃあ、早く捌こう!」
「そんなに楽しみなのか?」
レインが笑いながら声をかけると、ルクは元気よく頷いた。
「だって、今日は肉なんでしょ?」
「ああ。たっぷり食えるぞ」
「やった!」
嬉しそうに笑うルクを横目に、男たちは鹿を捌く準備を始めた。
◇
夕方になる頃には鹿の肉も切り分けられ、保存する分と夕食に使う分に分けられていた。エナが焼いた肉を皿へ盛りつけると、香ばしい匂いが家の中に広がり、ルクは待ちきれない様子で椅子に座っている。
「いただきます!」
ルクが勢いよく肉へ手を伸ばす。
「熱いから、気をつけて食べなさい」
「うん!」
肉を頬張ったルクは、すぐに顔をほころばせた。
「うまい!」
「よかった」
エナが笑い、ガルドも一切れ口へ運ぶ。久しぶりに食べる肉は、思っていた以上に美味かった。
「……うまいな」
「でしょう?」
エナが嬉しそうに頷く。しばらく三人で食事を続けていると、ルクが二切れ目の肉へ手を伸ばした。
「ルク、そんなに食べたら後で苦しくなるぞ」
「だって、久しぶりの肉だもん」
「まあ、今日はいいだろ」
ガルドが笑って、ルクの皿へもう一切れ肉を置く。
「ほんと?」
「ああ」
「やった!」
ルクが嬉しそうに笑う。その様子を眺めながらガルドも肉へ手を伸ばしたが、ふと視線の先にある空いた椅子へ目が止まった。いつもなら、そこにはユウが座っている。
そのことを思い出した途端、ガルドの手が止まり、それに気づいたルクが不思議そうに顔を上げた。
「……父ちゃん?」
「どうした?」
「いや……なんか、止まってたから」
「……ちょっと考え事してただけだ」
ガルドはそう答えると、手にしていた肉を口へ運んだ。
「そっか」
ルクはそれ以上聞かなかった。向かいに座るエナも何も言わず、ただ静かに食事を続けている。久しぶりの肉はやはり美味かったが、それでもガルドの視線は何度か空いた椅子へ向いてしまった。
そこにユウがいないことだけが、いつまでも胸の奥に残っていた。




