封鎖命令①
夜明け前、ユウは自然と目を覚ました。
部屋にはまだ薄暗さが残っていたが、昨日まで身体にまとわりついていた疲労はかなり抜けており、崩落から逃げる途中に負った傷の痛みだけが残っている。
ベッドの上で身体を起こし、自身の内側へ意識を向ける。昨夜はほとんど空だったMPも、一晩休んだことで十分に回復していた。
(これなら使えるな)
ユウは《即時回復》を発動させた。淡い光が身体を包み、腕や脇腹に残っていた痛みがゆっくりと引いていく。傷そのものは残っているものの、歩くには問題ない程度まで身体は楽になった。
(……あとは、村に帰るだけだ)
グレイウッド村までは半日ほど。道も頭に入っているし、この町にこれ以上留まる理由もない。
そう考えたユウは身支度を整え、新しく買った服に着替えて荷物をまとめた。まだ少し身体に馴染まないものの、昨日のように血と泥にまみれた姿よりはずっとマシだった。
準備を終えて階下へ降りると、宿の主人がカウンターにもたれながら、眠そうに欠伸を噛み殺していた。
「もう出るのか?」
「はい。夜が明けたら村へ戻るつもりです」
「そうか。昨日来たばかりなのに、随分と早いな」
「長居する理由もないので」
「まあ、そうだな」
主人はユウの姿を一度眺めた。昨日とは見違えるほどまともになった服装を見て、少しだけ目を細める。
「しかし、ずいぶんまともになったな。昨日は本当にひどい格好だったぞ」
「……すみません」
「謝ることじゃねぇよ。宿を汚されなかっただけでも十分だ」
主人は苦笑しながら、ユウの荷物へ目を向けた。
「飯はどうする? 出る前に何か食っていくか?」
「いえ、大丈夫です。途中で適当に食べます」
「そうか。なら、腹が減ったらちゃんと食えよ。朝はまだ冷えるから、道中も気をつけな」
「はい。お世話になりました」
ユウが軽く頭を下げると、主人も小さく手を上げた。
「またこの街に来ることがあったら、うちを使ってくれ」
「……そのときは、お願いします」
ユウはもう一度だけ頭を下げると、宿を出て門へ向かった。
まだ薄暗い通りには朝の冷たい空気が漂っていたが、昨日とは様子が違っていた。人の流れが妙に滞っており、道端では荷車を止めた商人たちが不安そうに顔を見合わせている。普段なら動き始めているはずの店もまだ閉まっているものが多く、街全体が何かを警戒しているようだった。
(……何かあったのか?)
ユウが足を緩めたところで、少し離れた場所から住民たちの話し声が聞こえてきた。
「朝っぱらから騎士が来てるって話だ。門の辺りで何かやってるらしいぞ」
「騎士が?」
「ああ。それも一人や二人じゃねぇ。かなりの数が集まってるらしい」
「何の用なんだ?」
「さあな。俺たちにもさっぱりだ」
男たちは声を潜めながら門の方へ視線を向けている。その様子を見て、ユウも自然と足を止めた。
(……騎士か)
嫌な予感がした。昨日、酒場で聞いた話が頭をよぎる。グレイロード家の生き残りを探しているという噂だ。
(……まさかな)
そう思いながらも、ユウは門の方へ視線を向けた。騒ぎは少しずつ大きくなっているらしく、遠くからでも門の周辺に人が集まっているのが分かる。
(……一体、何を探してるんだ?)
村へ帰るだけのつもりだったが、この様子ではすぐに門を通れるかどうかも分からない。ユウは人混みに紛れながら、ざわめきの集まる門の方へ向かった。
門前には騎士と兵士が並び、街から出ようとする者を一人ずつ確認している。さらに通りの分岐や裏路地にも兵士が配置され、周囲へ警戒の目を向けていた。
その中で、騎士たちが身につけたマントに刻まれた紋章がユウの目に留まる。盾の中で交差する二本の剣――昨日、酒場で聞いたアルデン公爵家の紋章だった。
「……アルデン家の騎士だよな?」
「間違いねぇ。なんでこんなところに……」
周囲から戸惑いの声が上がる中、ユウは少し離れた場所から門前の様子を窺った。
(……何をしてるんだ?)
兵士たちは街道へ続く門を固め、通りを行き交う人々にも目を光らせている。やがて馬上の騎士が周囲を見渡し、門前に響き渡るような声を上げた。
「この町に滞在している者たちへ、通達する!」
よく通る声に、人々のざわめきが少しずつ収まっていく。
「これより、アルデン公爵家の命により、町の出入りを一時的に制限する!」
その言葉に、再び周囲がざわめいた。
「現在、グレイロード家の関係者がこの周辺に潜伏している可能性がある。我々はその捜索のため、この町を封鎖する」
「グレイロード家……?」
「アルデン家と戦争して負けた、あのグレイロード家か?」
「ああ……あの家の生き残りを探してるってことか?」
人々の間に小さなどよめきが広がる。だが、騎士はそれを気にする様子もなく、淡々と言葉を続けた。
「捜索が終わるまで、町の出入りを制限する。勝手に門を通ろうとする者は、身分を問わず呼び止めるので注意しろ」
「じゃあ、村へ帰る奴も出られないのか?」
「……そういうことだろ」
「勘弁してくれよ……」
あちこちから不満の声が上がり、商人たちは困ったように顔を見合わせる。
「ただし、捜索に協力する者については、その内容に応じて通行を認める場合もある。何か知っている者は、騎士か兵士へ報告しろ」
「協力すれば、町を出られるってことか?」
「そういうことじゃねぇか?」
「でも、下手なこと話して目をつけられたらどうする?」
「……それは嫌だな」
人々の間に、再び不安げなざわめきが広がった。
そのとき、別の騎士が馬を一歩前へ進め、周囲を鋭い目で見渡す。腰の剣へ手を添えたまま、その騎士はゆっくりと口を開いた。
「……一つ、覚えておけ」
低い声が門前に響く。
「無理に町を出ようとする者や、捜索を妨げる者には――相応の対応をする」
次の瞬間、騎士が剣を抜き放ち、そのまま石畳へ叩きつけた。
――ドンッ!
鈍い衝撃音とともに足元の石畳が砕け、剣を中心に亀裂が一直線に走る。
「うわっ!」
「おいおい……冗談だろ」
「……本気かよ」
人々が一斉に後ずさる中、騎士は砕けた石畳から剣を引き抜くと、何事もなかったかのように鞘へ収めた。
「……そういうことだ。余計な真似はするな」
それだけ告げると、騎士は改めて周囲を見渡す。
「そして、今回我々が捜索しているのは――グレイロード家令嬢、エリシア・グレイロードだ」
その名が告げられた瞬間、門前に再びどよめきが広がった。
「エリシア・グレイロードって……あの娘か?」
「まだ生きてたのか……」
「だからアルデン家がここまで動いてるのかよ」
騎士はざわめきを気にする様子もなく、淡々と続ける。
「十代後半の女性。金髪に黒い瞳をしている。見つけた場合は、すぐに近くの騎士か兵士へ知らせろ」
そこで一度言葉を切ると、騎士は冷たい声で付け加えた。
「匿った者も、同様に処罰の対象となる」
その一言で、門前から声が消えた。
町の封鎖に加え、グレイロード家の生き残りを捕らえるための大規模な捜索。アルデン家が本気でエリシアを追っていることは、嫌でも分かる。
(エリシア・グレイロード……)
ユウは騎士たちを見つめながら、その名前を頭の中で繰り返した。
昨日、宿や酒場で聞いた話が脳裏をよぎる。中級騎士とも渡り合えるほどの実力者であり、グレイロード家の娘でもある。それでも、たった一人の令嬢を探すために、これだけの騎士や兵士を動員している。
(……かなり本気みたいだな)
門だけでなく、通りの分岐や裏路地にまで兵が配置されているのも、そのためなのだろう。門自体は完全に閉じられていないものの、外へ出ようとする住民の姿はほとんどなく、皆が騎士たちの様子を遠巻きに窺っている。
ユウはそんな光景を眺めながら、小さく息を吐いた。
(……めんどくさいことになった)
身分を証明できる者なら通してもらえるのかもしれないが、何の後ろ盾もない自分が門を通ろうとすれば、まず呼び止められるだろう。
(……俺みたいなのが出ようとしたら、余計な面倒に巻き込まれそうだな)
無理に町を出ようとして目をつけられるくらいなら、今日は大人しくしていたほうがいい。
(……今日は帰れそうにないな)
そう判断し、ユウが踵を返そうとした――そのときだった。
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■ショートストーリー 『一本だけ』
シルフィと別れたユウは、宿へ戻るため大通りを歩いていた。夕暮れが近づき、通りには仕事を終えた人々や買い物帰りの客が増え始めている。
そんな人混みの中を歩いていると、不意に香ばしい肉の匂いが鼻をくすぐった。
「……ん?」
思わず足を止めて周囲を見回すと、少し先に小さな屋台が出ているのが見えた。炭火の上では串に刺された肉が焼かれており、脂が落ちるたびにじゅうじゅうと音を立て、立ち上った煙とともに食欲をそそる匂いが辺りへ広がっている。
屋台の看板には、《ローラビットの焼き串》と書かれていた。
「……」
ユウは無意識に屋台へ足を向けかけたが、すぐに立ち止まる。
(……肉)
目の前で焼かれている肉から漂う匂いに、腹が小さく鳴った。
「……くっ」
ユウは思わず腹を押さえる。
(食べたい……)
屋台の主人が焼き上がった串を並べるたび、香ばしい匂いがさらに強くなり、ユウの視線も自然とそちらへ引き寄せられていく。
「兄ちゃん、一本どうだ?」
「……いくら?」
「銅貨三枚だ」
「……」
ユウは財布の中身を思い浮かべた。
明日には村へ戻るつもりだ。今はできるだけ無駄遣いはしたくない。
「……いや、いい」
名残惜しそうに焼き串を見つめながら、ユウはその場を離れようとする。
「そうか? 焼きたてでうまいぞ」
「……」
その一言に、ユウの足がぴたりと止まった。
ゆっくりと屋台を振り返る。
「……一本だけ」
「毎度あり!」
ユウは銅貨を渡し、受け取った焼き串をじっと見つめた。表面はこんがりと焼け、肉汁がじわりと滲んでいる。
「……いただきます」
一口かじった瞬間、香ばしい肉の味が口いっぱいに広がった。
「……うまい」
思わず漏れた言葉に、ユウはもう一口かじる。
気づけば、さっきまでの迷いなどすっかり消えていた。
(……もう一本くらいなら)
ふとそんな考えが浮かんだが、ユウは首を横に振る。
(いや、駄目だ)
残った焼き串を食べ終えると、ユウは後ろ髪を引かれるように屋台を一度だけ振り返り、そのまま宿へ向かって歩き出した。
――ただ、さっきより少しだけ歩く速度が遅かった。




