交易都市カルディア
しばらく1話から今までの話を改稿するかもしれないので、今週は投稿をお休みするかもしれません!
より読みやすくできるように頑張りますので、少々お待ちください
道は、思っていた以上に長かった。
崩落から逃げ延びたものの、傷の痛みが消えるわけではない。肩や太腿に巻いた包帯は雨を吸って重くなり、歩くたびに鈍い痛みが走る。それでもユウは足を止めず、ただ道の先を目指して歩き続けた。
(街でも村でもいい……とにかく屋根のある場所が欲しい)
休める場所が見つかるまでは立ち止まるわけにはいかない。そう思ったそのとき、不意に遠くからガタガタと不規則な音が響いた。
「……ん?」
聞き慣れない音にユウは足を止め、霧の向こうへ目を凝らした。やがて姿を現したのは、一台の馬車だった。
「……馬車か」
久しぶりに人の気配を感じ、ユウは思わず足を止めた。森を抜けてから初めて見る人の姿に、張り詰めていた気持ちがほんの少し緩む。
――そう思った、次の瞬間だった。
「うわっ!」
馬車が猛スピードで迫ってくるのを見て、ユウは反射的に道の端へ飛び退いた。直後、目の前を馬車が駆け抜け、跳ね上がった泥が頬と服を叩く。
「どけぇっ! 止まれねぇんだよ!」
御者の怒鳴り声だけを残し、馬車は速度を落とすことなく霧の向こうへ消えていった。
「……は?」
呆然と立ち尽くすユウの前を、車輪の音だけが遠ざかっていく。頬についた泥を袖で拭いながら、ユウは遅れて息を吐いた。
(あと半歩遅れてたら……普通に死んでたぞ)
文句を言う気力もなく、ユウは重い足を引きずるように歩き出した。しばらく進むと道幅が次第に広がり、泥の上には馬車の車輪跡が幾重にも刻まれている。
そして――霧の向こうに、ようやく街の姿が見えた。
森を抜けた先には高い石壁と大きな門がそびえ、その周辺では荷物を積んだ馬車や商人、旅人たちが絶え間なく行き交っている。グレイウッド村とは比べものにならない人の多さに、ユウは思わず足を止めた。
「……やっと、街に着いたか」
(……人が多いな)
村では見たことのない光景に目を奪われていると、近くを通った馬車から大きな声が飛んできた。
「急げ急げ! 今日の取引に遅れたら、荷主にどやされるぞ!」
「分かってるって! お前こそ、そっちの荷物を落とすなよ!」
「誰が落とすか! こんな重いもん、落としたら俺の腰が先に死ぬわ!」
飛び交う声に馬車の音まで重なり、街へ続く街道は慌ただしい雰囲気に包まれていた。
(……すごいな)
荷馬車を引く男たちが声を掛け合い、その横を大きな荷を背負った行商人が足早に通り過ぎていく。さらに少し先では、商人らしい男たちが立ち話をしていた。
「今日の相場はどうだった?」
「塩が高ぇな。アクアリア連合国からの船が遅れてるらしい」
「またかよ……勘弁してくれ」
「仕方ねぇだろ。船が来なきゃ、こっちの値段も上がる」
「それにしたって、最近高すぎるんだよ」
聞こえてくる会話のどれもが、ユウには新鮮だった。グレイウッド村では耳にすることのない話ばかりだ。
(本当に別世界だな……)
ユウは人の流れに混ざるように歩き続ける。
正直なところ不安はあった。村を出ることなど滅多になかったし、町の人間が自分のような子供をどう扱うのかも分からない。
(追い返されたら面倒だな……)
そう思いながらも、今さら引き返す場所はない。ユウが門の前まで辿り着くと、槍を手にした二人の衛兵が無言のまま視線を向けてきた。
泥だらけの服に痩せた身体、雨で滲んだ血の跡まで残っているのだから、警戒されるのも無理はない。そのうちの一人が眉をひそめ、値踏みするようにユウを見た。
「おい、どこから来た?」
「……グレイウッド村からです」
「グレイウッド?」
衛兵の眉がわずかに動き、隣の衛兵が小さく息を吐く。
「またどこかの村から、口減らしで流れてきたのか?」
「……」
「それとも、自分から逃げてきた?」
ユウは答えなかった。余計なことまで話せば面倒になるだけだと判断し、黙ったまま衛兵を見返す。衛兵はしばらくユウの様子を眺めてから、小さく息を吐いた。
「……その格好で、よくここまで来たな」
「盗賊にでも襲われたのか?」
「……そんなところです」
「ふーん……まあ、いい」
明らかに納得していない様子だったが、それ以上は聞かず、衛兵は改めてユウへ向き直る。
「それで、身分証は?」
「……ありません」
「ない?」
「はい」
答えた瞬間、衛兵の槍がわずかに持ち上がった。
「悪いが、身元の分からない奴をそのまま街へ入れるわけにはいかねぇ」
「……どうすれば入れますか?」
「普通なら、身元を確認してからだな」
隣の衛兵が肩をすくめる。
「この雨の中で悪いが、今日は諦めて帰んな。……と言っても、帰る場所なんてなさそうだけどな」
ユウは答えず、門の奥へ目を向けた。荷車が行き交い、商人が声を張り、兵士が巡回する光景は、これまで暮らしてきた村とはまるで別の世界に見えた。
ここで揉めれば、余計な騒ぎになる。
(使うつもりはなかったんだけどな……)
ユウは腰へ手を伸ばし、服の内側に隠していた指輪を取り出す。戦場跡で拾ったものだが、見るからに安物というわけでもない。
ユウは何も言わず、それを衛兵へ差し出した。
「……なんだ、これ?」
「これで、通してもらえませんか」
衛兵は訝しげに指輪を受け取り、刻印を確かめるように何度か傾けると、隣の衛兵へ目を向けた。
「……悪くないな。売れば、それなりの金にはなりそうだ」
「だな」
二人は顔を見合わせ、最初の衛兵が指輪を懐へしまう。
「……よし、通っていい。ただ、中で面倒は起こすなよ」
「はい」
「それと、その傷じゃきついだろ。入ったら治療院でも探せ。門の中で倒れられちゃ、こっちも困るからな」
「分かりました」
衛兵は面倒そうに顎をしゃくった。
「ほら、行け」
「ありがとうございます」
ユウは小さく頭を下げ、そのまま門をくぐった。
その先には、さっきまで門の外から眺めていた町並みが広がっていた。人々の喧騒に混じって汗や煙、焼けた肉に香辛料の匂いまで漂い、森の湿った静けさとはまるで別世界のような熱気が押し寄せてくる。
「焼き串どうだ! 今焼き上がったばかりだぞ!」
「そこの兄ちゃん、荷運びの仕事はどうだ! 今日中に終われば日払いで出すぞ!」
「待て待て! そっちの荷は先に倉庫へ持ってけ!」
「分かってるって! そんなに怒鳴らなくても聞こえてる!」
商人や売り子、荷運びの男たちの声が途切れることなく飛び交い、荷馬車の車輪が石畳を叩く音まで重なって、通りは朝から騒がしいほどの活気に包まれていた。
(……すごいな)
見たこともない商品が並び、見たこともない人々が当たり前のように行き交っている。その光景に目を奪われていたユウだったが、ふと周囲から向けられる視線に気づいた。
「なあ、あの子……大丈夫か?」
「さあな。あんな泥だらけで、怪我までしてるぞ」
ひそひそと交わされる声に、ユウは思わず自分の格好へ目を落とした。泥と血で汚れた服に擦り切れた靴、雨に濡れてまともに整えられない髪――確かに、この格好では目立つのも無理はない。
「……スラムの子じゃないのか?」
「どうだろうな。でも、あの様子じゃ何か事情がありそうだ」
「だったら、なおさら関わらないほうがいい。面倒に巻き込まれたくないからな」
「……それもそうだ」
そんな声が耳に入る。あからさまな敵意はないものの、できるだけ関わりたくないという空気だけは伝わってきた。
もっとも、今のユウにそれを気にする余裕はない。足元には泥と雨水が混じった道が続き、石造りの建物が並ぶ通りでは商人たちの呼び声が絶えず響いている。
「傷薬あるよ! 擦り傷ならすぐ効くやつだ、今なら安くしとくよ!」
「保存肉はいらんか! 遠征に持ってくなら今のうちだぞ!」
「そこの兄ちゃん、見てくだけでもいいぞ! 珍しい品が揃ってるからな!」
飛び交う呼び声に目を向けると、見たこともない商品が所狭しと並んでいる。そのどれもが今のユウには縁遠く、値札を見なくても高そうだと分かった。
(高そうだな……)
そんなことを考えながら歩いていると、不意に見張り塔の向こうへ視線が引き寄せられた。門の上部に、大きな文字が刻まれている。
――カルディア。
「……カルディア」
村で何度も聞いていた名前が、今はこうして自分の目の前にある。それだけのことなのに、長かった道のりがようやく一つにつながったような気がした。
(……ここまで来たんだな)
ユウは短く息を吐き、人の流れへ視線を戻した。傷は痛み、身体も重いが、ここで立ち止まっている理由はない。
(まずは休める場所と、着替えだな)
今はそれだけを考えればいい。ユウは町の喧騒へ溶け込むように一歩を踏み出し、そのままカルディアの通りを歩き始めた。
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■とある巡回兵の記憶(カルディア城壁周辺)
(……またか)
城壁の外には、もはや人が行き交う道だった頃の面影すら残っていなかった。飢えや病に倒れた者たちがそのまま命を落とし、巡回に出れば誰かの亡骸を見つける――そんな光景も、いつの間にか珍しくなくなっていた。
今日も、道端に小さな身体が転がっている。
倒れていたのは、まだ幼い子供だった。痩せ細った身体はあまりにも軽そうで、風が吹けばそのままどこかへ転がっていきそうに見える。
「……小せぇな」
思わず漏れた言葉に、隣を歩いていた兵が子供へ目を向ける。
「まだ子供だからな」
「そういうことじゃねぇよ」
俺は苦笑しながらも、その場から目を逸らせなかった。誰がここまで連れてきたのかは分からない。親が最後まで抱いていたのか、それとも途中で力尽きて置いていったのか――考えたところで、答えが出るはずもない。
ただ、ひとつだけ分かることがある。この子も、今日まで生きようとしていた。
「……昨日までは、生きてたんだろうな」
「……ああ」
隣の兵は、それだけ答えて口を閉ざした。
俺たちにできるのは、名前も分からない子供の死体を記録し、処理することだけだ。それが今の巡回兵に与えられた仕事だった。
もう一度、子供の顔を見ると、どこかで見たことがあるような気がした。だが、すぐにその考えを打ち消す。最近はどの子供も同じように痩せ、生気を失っていて、誰が誰なのかすら分からなくなっていた。
「……なあ」
「なんだ?」
「俺たち、もう慣れちまったのかな」
隣の兵はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……慣れなきゃ、やってられんだろ」
「……そうだよな」
そう答えたものの、胸の奥に残った嫌な感覚は消えなかった。俺は立ち上がると、子供に背を向ける。
「……せめて、次は腹いっぱい食えるところに生まれろよ」
誰に聞かせるつもりもない独り言だったが、歩き出そうとしたところで、ふと思い直して振り返る。
「……できれば、こんな場所には来るな。俺たちに見つかる前にな」
「おい。それじゃ、俺たちが死神みたいじゃねぇか」
「……似たようなもんだろ」
「……まあ、違いねぇな」
二人とも笑わなかった。雨だけが、静かに降り続いていた。
ようやくカルディアにっ!グレイウッド村までもうすぐだ!
長かった旅も、いよいよ終盤へ――。




