逃亡者の隠れ家③
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――翌日。
ユウが目を覚ますと、まず身体に妙な違和感を覚えた。ゆっくりと上体を起こしてみると、昨日まで全身を襲っていた重い疲労も、骨が軋むような痛みもほとんど消えている。
(……まだ少し痛むけど、かなり楽になってるな)
身体を軽く動かして状態を確かめたあと、ユウは自分の傷へ目を向けた。
(……《即時回復》を使うか)
ユウは自分自身へ《即時回復》を発動した。淡い光が身体を包み込むと、残っていた痛みや疲労がゆっくりと引いていく。
しばらくして光が消える頃には、身体はすっかり軽くなっていた。
(……これなら大丈夫そうだな)
ユウは軽く身体を動かして確かめると、ほっと息を吐いた。
「ほんと、このスキルがなかったら、とっくに死んでたな……」
そう呟きながら周囲を見渡すと、薄暗い部屋は静まり返っており、少し離れた場所では男が机にもたれかかるようにして眠っていた。
昨夜、自分に《鑑定》を託そうとしていた鑑定士だ。
あのときの出来事を思い返しながら、ユウは男の様子をじっと見つめる。
「……ちゃんと生きてるな」
男の胸は規則正しく上下していた。ユウがほっと息を吐いた、そのとき、男の指先がわずかに動く。
「……ん」
かすれた声とともに男の瞼がゆっくりと開き、焦点の定まらない視線が天井をさまよったあと、やがてユウの姿を捉えた。
「……ここは……?」
男はまだ意識がはっきりしないのか、周囲を見回しながら眉を寄せる。
「……俺の隠れ家、か?」
そう呟いたところで、昨夜の出来事を思い出したのか、男の表情が変わった。
「……そうか。私は……」
オスカーはぼんやりと呟きながら自分の身体へ目を落とし、腹部へ手を当てた。血で汚れた服はそのままだったが、昨夜まで焼けるように痛んでいた傷は驚くほど落ち着いており、出血も完全に止まっている。
「……痛みがない。出血も止まってる……」
確かめるように腕を持ち上げ、指を握ったり開いたりする。身体は思った通りに動き、その事実にオスカーは戸惑いを隠せないままユウへ視線を向けた。
「君が治したのか?」
「少し回復させただけだ」
「少し、か……」
オスカーは呆れたように苦笑した。
「普通なら、昨夜の時点で死んでいてもおかしくなかったんだぞ。それを“少し”で済ませる奴は初めて見た。昨日も思ったが……本当にとんでもないな、お前は」
そう言いながら傷口へ手を当てたオスカーは、ふと何かを思い出したように表情を変えた。
「……そういえば」
オスカーはふと何かを思い出したように顔を上げた。
「昨日の《能力継承》が、ちゃんと成功したのか確認しておかないとな」
昨夜、自分が《鑑定》をユウへ託したことを思い出す。あのときは確かに《能力継承》を使ったが、その後どうなったのかを確かめる前に意識を失ってしまった。
「……《鑑定》」
オスカーは目を閉じ、意識を集中させる。
すると、すぐに自分の中から見慣れた感覚が返ってきた。
「……《鑑定》が、ある?」
思わず眉をひそめる。昨日、自分は確かに《鑑定》をユウへ託したはずだった。それなのに、こうして今も自分の中にその力が残っていることが、どうにも腑に落ちない。
「……どういうことだ?」
オスカーは戸惑いながら、さらに意識を巡らせる。
《能力継承》を使った以上、それがなくなっていること自体は不思議ではない。だが、肝心の《鑑定》まで残っているとなると話が違う。
しばらく考えたあと、オスカーはユウへ視線を向けた。
「……昨日、俺が《能力継承》を使ったあと、何か変わったことはなかったか?」
「よく分からないけど……消えた」
「消えた?」
「うん。《能力継承》を使ったあと、失敗したって出た。それから、能力が分解されたみたいな表示が出て……なくなった」
「……分解?」
オスカーは眉を寄せたまま、しばらく考え込んだ。
「なるほどな……つまり、継承そのものが失敗したってことか」
「たぶん」
オスカーはしばらく黙り込み、何が起きたのかを考えるように視線を落とした。
「……こんなことは初めてだな。何が起きたのか、俺にもさっぱり分からん」
「俺もよく分からない」
「だろうな」
オスカーは苦笑し、ゆっくりと息を吐いた。
「まあ……なくなったものを今さら気にしても仕方ないか」
そう呟いて胸元へ手を当てると、オスカーは少し遠くを見るような目をした。
「正直に言えば、あの力にはもう未練はない。持っているだけで、ろくでもない連中に追われ続ける羽目になったからな」
「……そんなに大変だったのか?」
「ああ。嫌だったというより……疲れたんだよ」
オスカーは苦笑を浮かべた。
「自分の力を欲しがる連中から逃げ続けるのにも、誰を信用していいのか疑い続けるのにもな」
その言葉には、長年積み重ねてきた疲労が滲んでいた。
「だから、なくなったならなくなったでいいさ。これで少しは、気楽に生きられるかもしれん」
そう言ってから、オスカーは改めてユウへ向き直った。その顔には、昨夜までの死を覚悟した男の影はなく、穏やかな笑みが浮かんでいる。
「それより、礼を言わせてくれ。助けてくれて本当にありがとう。君がいなければ、私は今ごろ死んでいた」
「……別に。死にそうだったから助けただけだ」
「それを普通は簡単にできないんだがな」
オスカーは小さく笑い、それからふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、まだ名乗っていなかったな」
一度だけ息を整え、改めてユウを見る。
「俺はオスカー・アントニオだ。よろしくな」
「……ユウ」
「ユウか」
その名を確かめるように呟いたあと、オスカーはふと首を傾げた。
「それで、ユウはどうしてこんな場所にいるんだ?」
「オークに追われてた。逃げてたら地面が崩れて、そのまま落ちた」
「なるほどな。……それはまた、とんでもない災難だったな」
「お互い様だろ」
ユウがそう返すと、オスカーは一瞬ぽかんとしたあと、堪えきれないように吹き出した。
「ははっ、違いない。まさかこんな地下で死にかけてたところを、上から落ちてきた少年に助けられるとはな」
「俺だって、こんなところに人がいるとは思わなかった」
「だろうな」
オスカーは笑いながら肩をすくめた。
「人生、何が起こるか分からんもんだ」
二人の間に、ほんの少しだけ穏やかな空気が流れた。だが、オスカーはすぐに表情を引き締めると、壁へ背を預けたまま周囲へ視線を向けた。
「……とはいえ、いつまでもここにいるわけにはいかない」
オスカーはそう言って、わずかに眉を寄せた。
「ここへ逃げ込んだことを、いつまでも隠し通せるとは思えない。追手が来る前に、動いたほうがいいだろう」
「どこへ行くんだ?」
「アルデン公爵家だ」
オスカーは少しだけ間を置いてから、静かに続けた。
「会いに行くというより、顔を出しておきたいってところだな。助けを求めるつもりはない。ただ、俺を追っている連中のことや、この国で起きていることを伝えておきたいんだ。何も知らないまま巻き込まれる人間が出る前にな」
「……信用できるのか?」
「実際に会ったことはない。だから、信用できるかと言われれば分からんさ」
オスカーは肩をすくめる。
「それでも、アルデン公爵について悪い話はあまり聞かない。少なくとも、身分だけで人を判断したり、話も聞かずに人を処刑したりするような男じゃないらしい」
「……貴族なのに?」
「貴族だからって、全員が同じ人間だと思うなよ」
オスカーは苦笑を浮かべた。
「俺が鑑定士を続けてこられたのも、何人かの貴族が味方してくれたからだ。もちろん、ろくでもない連中も山ほどいたがな」
そこで一度言葉を切り、オスカーは静かに息を吐いた。
「結局のところ、人間なんて身分だけじゃ分からん。信用できるかどうかは、実際に会ってみるまで分からないさ」
そう言って笑ったものの、その表情には拭いきれない不安がわずかに残っていた。オスカーはそれを隠すようにユウへ視線を戻す。
「……それで、君はどうする?」
「村に帰る」
「村?」
「ああ。カルディアの近くだ」
「カルディアか……」
その名前にオスカーは記憶を辿るように目を細め、少し考えてから頷いた。
「ここからなら、そこそこ距離があるな」
「帰れる」
「そうか」
迷いのない返事に、オスカーは小さく笑った。
「それなら心配はいらなそうだな。ただ、残念だが俺とは反対方向だ。アルデン公爵領へ向かうなら、カルディアに寄るのは難しそうだ」
「別にいい。俺は村に帰るだけだから」
「そうだな」
オスカーは頷き、それから少しだけ表情を和らげた。
「……それじゃあ、お互い無事に帰れるよう祈っておくよ」
「オスカーもな」
「ははっ。助けてもらった身で言うのもなんだが、君に心配されると妙な感じがするな」
「なんで?」
「さあな」
オスカーは苦笑しながら肩をすくめた。
「ただ……君は見た目より、ずっと頼りになるからじゃないか?」
そう言って笑ったオスカーは、ふと何かを思い出したように懐へ手を入れた。取り出した小さな革袋を探り、その中から金貨を一枚つまみ出すと、机の上へ静かに置く。
乾いた音が、静かな部屋に響いた。
「持っていけ」
ユウは机の上の金貨へ目を落とした。
「……多い」
(前世なら十万円くらいの金額だぞ……)
「そうでもないさ」
オスカーは苦笑しながら椅子へ腰を下ろした。
「王都を飛び出すときに、とっさに掴んできた金だ。情けない話だが、それが今の俺の全財産でな」
「全部?」
「ああ。だから、惜しくないと言えば嘘になる」
そう言いながらも、オスカーの表情に迷いはなかった。
「それでも、お前がいなければ俺は昨日死んでいた。命を拾ってもらった礼が、金貨一枚で済むなら安いものだろ」
「……でも」
「いいから受け取れ」
ユウはしばらく金貨を見つめていたが、やがてそれを手に取った。
「……借りにしとく」
その言葉に、オスカーは思わず吹き出した。
「律儀な奴だな。返さなくていいと言ってるだろ」
「それでも借りだ」
「分かった分かった。好きにしろ」
オスカーは肩をすくめながら笑った。
「まあ、返すつもりなら、いつかまた会う理由くらいにはなるか」
ユウは何も答えず、金貨を布袋へしまった。そのまま立ち上がろうとしたところで、ふと何かを思い出したようにオスカーへ視線を向ける。
「……一つ聞いていいか」
「ああ。なんだ?」
「昨日、ゴブリンに襲われて死にかけたんだよな」
「……そうだな」
「それなのに、一人でアルデン公爵のところまで行くつもりなのか?」
オスカーは数秒黙り込んだあと、困ったように頭をかいた。
「……痛いところを突くな」
「普通に心配になるだろ」
「昨日は少し油断しただけだよ。ゴブリンなんて、普段なら問題にもならない。数を読み違えただけだ」
そう言ってから、オスカーは少しだけ胸を張った。
「これでも剣はそこそこ使えるんだ。昔、白剣騎士団で訓練を受けていてな」
「……騎士団?」
「ああ。まあ、今となっては昔の話だが」
どこか得意げなオスカーに、ユウは冷めた目を向ける。
「油断して死にかけた奴の言うことは、あんまり信用できないな」
「ぐっ……」
オスカーは額を押さえた。
「正論すぎて何も言えない……」
しばらく唸っていたが、やがて顔を上げると真面目な表情を浮かべる。
「まあ、心配するな。次は油断しない。昨日みたいな失敗は、もう二度としないさ」
軽い口調とは裏腹に、その目には冗談の色はなかった。
ユウはしばらくオスカーを見つめたあと、その言葉を確かめるように小さく頷いた。
「……ならいい」
その返事を聞いたオスカーは、ふっと口元を緩めた。
「もしかして、心配してくれたのか?」
「……別に」
ユウは即座に否定すると、そのまま背を向けた。出口へ向かって数歩進んだところで、ふと足を止める。
「……次は死ぬなよ」
振り返らずに告げた言葉に、オスカーは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに口元を緩めた。
「ああ。そう簡単にくたばるつもりはないさ。次に会うときは、もう少しマシな姿を見せるよ」
オスカーはそう言って立ち上がり、荷物をまとめると出口へ向かった。扉に手をかけたところでふと思い出したように振り返る。
「……ユウ」
「なんだ?」
「また会おう。そのときは、こんな穴蔵じゃなくて、まともな場所でな。それと……せっかくだ。次に会ったら、飯でも食おう」
「……分かった」
「よし。それじゃあ、またな」
オスカーは笑いながら扉を開ける。
「じゃあな、ユウ」
「ああ。気をつけてな」
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。やがてそれも聞こえなくなると、地下室には静けさだけが残った。
ユウはしばらく閉ざされた扉を見つめていたが、やがて小さく息を吐いて荷物を背負い直す。
(……変な奴だったな)
「……俺も帰るか」
そう呟き、ユウはゆっくりと出口へ向かった。
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■通貨単位
銅貨:100円
大銅貨:1000円
銀貨:1万円前後
金貨:10万円前後
【オスカー、一生の後悔】
オスカー「やっばい」
ユウ「?」
オスカー「全財産渡しちゃった」
ユウ「もう俺のだ」
オスカー「返して?」
ユウ「一度手放した金に未練を持つな」
オスカー「そんなこと言わずにさ!!」
ユウ「諦めろ」
オスカー「今初めて命の恩人を殴りたいと思ったぞ」




